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  あの日の面影


 あにさま、と自分を呼ぶ舌足らずな子供の声を今でも覚えている。まってまって、といつも後ろをついてきた双子の妹のことを。
 まるで祝福された子供のように彼女は純真無垢で、共に生まれてきたはずの尾形より随分と幼く見えた。実際、あの子は尾形のことを兄と慕っていたから、双子というより、年下の妹を持っている気分だった。あにさま大好き、とその言葉に少しだけ救われていたし、小さな手を引いてやるくらいには、尾形は妹を大切にしていた。
 けれど、妹はある日、いなくなってしまって、それきり行方不明だ。人攫いか野盗に襲われたのだろう。尾形の手元にはあの子の気に入りだった着物の一部しか戻ってこなかった。だから、もう、きっとこの世にはいないのものだと思っていた。

「あにさま、あにさま」

「…どうかしたのか、志乃」

「あにさま、あそぼ」

 だから、まさか、こんな形でまた巡り会うとは思ってもみなかったのだ。故郷から遠く離れた北の地で、それもあの子には不似合いなこんな場所で。
 まるで子供のような頭のおかしい娼婦。紆余曲折を経て、妹はそんな立場に落ち着いてしまったらしい。柔らかな心が壊れてしまうくらいの経験をしたのだろうが、本人は何も語らないので真実を確かめる術はない。

「なにがしたいんだ? あにさまに言ってみな」

「えっと、ね、お手玉しよう。あにさまもいっしょ」

 玩具が詰まった箱の中から、お手玉をいくつか持ち出して、あそぼ、と子供のように志乃が笑う。
 小さな手がぽい、とお手玉を放り投げた。

「ひとつ、ふたつ、みっつ、」

「上手だな志乃」

「うん、あにさまもやって」

 はい、と手渡されたお手玉を片手で軽く投げる。くるくると回るそれに、志乃が手を叩いて歓声を上げた。

「あにさま上手」

「練習したからな」

 すごいすごい、と妹が喜んでくれるから。実に単純な動機でお手玉を投げていたあの頃を思い出す。志乃は昔から不器用で、自分では上手くできないから、と尾形がお手玉を投げるのを喜んで見ていた。
 幸せだったのかは分からない。何もかもが今となっては遠い昔のことで、あのまま妹と一緒に成長していたら、なんてもしもの話は意味のないものだ。

「…志乃」

「なぁに、あにさま」

 あにさま、とそれは自分に向けられた呼称ではなくなってしまった。志乃は男相手なら誰にでもあにさま、と呼びかける。相手が誰なのかもよく分かっていないのだろう。純真無垢で可愛らしい尾形の妹はもういないのだ。

「いや、なんでもない」

「へんなあにさま」

 それでも、くすくすと笑う姿だけは昔と変わらなくて、尾形はどうしても彼女を放っておくことができなかった。

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