2.


「何をしている?オルゲルト」


後ろからかけられた声は、懐かしい思い出のなかの声よりもだいぶ低くなった大きな王子の声だった。


「申し訳ありません。ラジエル様」
「誰が謝れと言った。何をしている、と訊いたんだ」


ある程度伸びた前髪、伸びたままの後ろ髪。ストレートは昔と変わらずそのまま。外見がいくら変わろうと、中身まではなかなか変わらないものだ、とオルゲルトは小さく笑って、「少々考え事を」とだけ伝えた。ラジエルは伸びた後ろ髪を指先で遊びながら、「そうか」とだけ応えて、それから「のどが渇いた」と言う。少し、変わったかもしれない、と思いながら、オルゲルトはアフタヌーンティーの準備をはじめた。








「黒人はどこへ行った」
「平和なこの国には合わない。早く出ていけばいい」
「俺は見たぞ、第一王子のラジエル様と書斎にいるのを」
「あわよくば王子を手玉にとろうという魂胆か。貪欲な」
「いや、もしかすれば、脅しすかし権力を握ろうと……」


初めの出会いから月日は経ち、騒ぐ声はますます大きく高らかに拡がった。しかしそれらの言葉はとうに、オルゲルトの耳には届かなくなっていた。代わりに届くようになったのは、日だまりの熱を含んだ強く凛とした声。


「どうした?オルゲルト」
「……いえ、失礼いたしました。なんでもごさいません」
「なんだよ。ちゃんと言えよ」


「気になるじゃん」と袖を引っ張るラジエルに、オルゲルトは戸惑いながら、何か繕える言葉を探した。何しろ、周りが自分を悪く言うだのと子供のような告げ口はしたくないものだ。そうして出たのは、今の自分の本心だった。


「……少々、浮わついていたようです」
「うわつ…?……ふーん」


意味がわからないのだろう。けれどプライドの高いこの王子様は、威厳のために知ったように振る舞う。その姿がオルゲルトの目にはとても優しい世界に見えていた。自分がこの年の頃には日々を生き抜くことばかりに急いていた。この書斎にある本棚の一段目ほどにも本を手にしたことはなく、勉学も乏しい。文字より先に働くことを覚えたものだ。独学で覚えた知識は、幸い雇ってもらうには足りるもので、奇跡的な才覚がオルゲルトの身を助けていた。


「この世界には、貧しい荒れ地もございます。日照りが続き、作物もうまく育たず、日々水に飢えているような場所です。ジル様くらいの年の者もすでに働きに出ております」
「……くやしいのか。『ねたみ』ってやつか?」


オルゲルトはゆっくり首を横に降り、「いいえ」と答えて、一拍おいた。さぞかし嫌みに聞こえただろう。しかし首をはねられようと、オルゲルトは気持ちを偽らないことに徹底していた。嘘は所詮、裏切りにしかならないことをよく知っているからだ。


「嬉しいのですよ。あなた様が学び、遊び、安心して眠ることが。何よりあなた様は私腹を肥やすばかりの人間ではございません。それをどうして妬みましょう」


ラジエルは少し俯いて、何かを考えているようだった。そうして時を示す針が一つ動いたとき、ラジエルは机にべったりと上体を伏せて、オルゲルトの顔を覗き込むようにして言った。


「……『継承の儀』まで、待てるか?」


ラジエルは、がばっと起き上がるとそのまま立ち上がり、両手を広げて声高こわだかに話す。


「今はできないけど、俺が王になったら、水も食いもんもくばろう!服だってそうだ。家だってたてよう!」


まるで催促をしてしまったかのようだった。オルゲルトは自分の語彙ごいと表現力の不足に頭を悩ませる。ただ「この日々を持っているあなたは幸せなのだ」と伝えたかっただけなのに。


「……ジル様は誠に寛大がんだいな心をお持ちでございます。そのお気持ちだけで十分なのです」
「お前、できないと思ってるな?子供子供とお前は言うが、もうお前に会ったばかりのころの俺じゃないぞ!!」


そうしてよく見てみれば、ああ全くその通りではないか、と今更ながら気づいた。やっと時の流れについてきたような感覚だ。本当は、ラジエルは多くのことを知っていた。オルゲルトがまだ知らない方が良いと思うこともよく知っていた。オルゲルトの言うような貧しい国や村があることを。飢える者達がいることを。オルゲルトの話すその場所が、彼の育った場所だということも感づいていた。そして、今のオルゲルトに届かなくなった罵声ばせいは、とうの昔からラジエルの耳に届いていたことを、オルゲルトは知らない。







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