「ファイアロー。ありがとう」
 アサギからフスベまで“そらをとぶ”で連れてきてくれたファイアローを一撫でだけして、もっともっととねだるのを泣く泣く無視してボールに仕舞う。カロスのポケモンは、ジョウトでは目立ち過ぎるのだ。
「ポケモンセンターに行った後ね」
 端から見れば独り言のように見えるがボールの中のファイアローへはちゃんと届いていたようだ。ボールがカタカタと揺れた。
 名前のファイアローは、彼女がカロスへ行ったことを示していた。勿論交換で手に入れたことも考えられるが、ジョウトやカントーの人間がファイアローまたはヤヤコマかヒノヤコマを持っている可能性は低く、やはり彼女自身がカロス地方に出向いたという証左なのであろう。
 フスベの住民達は十年前忽然と姿を消した竜の一族の分家その末席の少女の帰郷に驚いていた。見慣れないポケモンを連れ、竜の一族の代名詞とも言えるミニリュウ系列の3匹を連れていない、もう少女とも言えない年齢に成長した女性。目鼻立ちに微妙に残された面影だけが彼女を彼女と認識出来る要素であった。

 数分前、イブキのポケギアに電話がかかってきていた。それは丁度ジムでのバトルが終わる直前のタイミングであった。残された留守番電話の内容は簡潔。フスベに戻る、それだけ。



 十年振りに見る実家だが、その姿は記憶と一切変わっていないように見えた。両親が病に伏せていた間も誰かしらが出入りして掃除をしていたらしい。大事なものをいれておくポケットの奥底にずっとしまわれていた鍵は、なんとなく黒ずんでしまった気がした。
 鍵を差し込み回すとガチャリという小気味良い音がした。玄関には誰の靴もなかった。遺品の整理はきっと、死ぬ間際の父が使用人に頼んだのだろう。娘は帰ってこない、その前提で。
「一応帰ってきたんだけどなあ……」
 町の人間達に親不孝者だとずっと思われてきたのは知っている。今更母が死んだ時父とイブキからの連絡を無視したのを後悔している訳ではないし、親子の絆という言語化出来ない不確かな存在は、とっくのとうに消えている。名前は一応、畜生になったつもりは無いからこうやって家に戻ってきたのだが。
 居間には母の遺影があった。線香に火をつけ手を合わせて形式ばかりの祈りを捧げた。名前が産まれてから写真なんて撮る機会は無かったからか、結婚した当時の写真が使われていた。
「家族写真なんて、撮ったことなかったな」
「羨ましかったのか?」
 この男は、気配も無く後ろに立っていた。ああ驚いた。驚かすつもりはなかった。そう。十年振りに再会した幼馴染みにしては些か淡白なやり取りを交わす。
「いやさ、イブキにしか連絡してないんだけど」
「イブキはバトルの後処理で手が離せないらしい」
 その言葉にどういった意味が含まれているのか、名前は一瞬戸惑った。そういえばイブキは今フスベジムでジムリーダーをしている、とワンテンポ遅れて気付いた。ジムリーダーとしての仕事を放り出す訳にもいかず、ワタルに連絡した。そういうことだと。だが何故イブキはワタルに連絡をしたのか。
「名前は引き留めなければすぐ行ってしまう、そう言っていたよ」
「はあ……チャンピオン様は案外暇なんですね」
「随分と棘のある言い方だな。これでも、幼馴染みだろう?」
 ちなみに、チャンピオンは暇じゃないぞ。笑顔でそう補足をした。確かに挑戦者は各地のジムリーダー、そしてチャンピオンの直前に控える四天王で篩にかけられる。年間を通して挑戦者は多くても数十人程度だろう。だが仕事は挑戦者とのバトルだけではない。セキエイリーグは各地のポケモンリーグを総括しており、ワタルもリーグが運営する様々な事業に参加することもある。そんなのポケモントレーナーの間では周知の事実である。それは結局皮肉という話になるのだが、ワタルの記憶の中の名前は物静かで皮肉を言うような性格でなかった。十年の旅で大分強かな女性に成長したらしい。
 幼馴染みという言葉をいちいち強調しなくてもいいのに、そう思った。名前は昔からこの男はいけ好かなかった。才能に溢れ、一族からの期待に応え続けていたこの男を。何もかも正反対な二人だった。片や才能も無い放浪娘、片やドラゴン使いとして世界に名を馳せるポケモンリーグチャンピオン。父親は口では何も言わなかったが、ワタルやイブキと名前を比較しては、失望の目線を向けていた。嗚呼、何故私の娘はこうも竜の一族に相応しくないのか、と。
「幼馴染みっつても、顔見知りと変わらないからさ。イブキにはちゃんと最低限の連絡はするから、帰っていいよ」
「実はな、おれも名前に会いたかったんだ」
「そうなの。てっきり一族の恥とは会いたくないだろうなって思ってたよ」
 フスベの人間達が名前に対して向ける視線は一様に冷たかった。町の人間達がどう思っているかは関係無く、純然たる事実として名前は一族の恥晒しだった。カロスやアローラに行きフェアリータイプを捕まえたのは、自らを縛り付けた両親への反抗心か、それとも。

「これからどうするんだ?」
「今まで通りだね。旅して、バトルで生計立てる」
「何処かに腰を据える気持ちは無いんだな」
「無い。私はどうも一ヶ所に留まっていられない質らしいから」
 名前の言葉に含まれる棘なんて効いていないかのように、ワタルは穏やかな笑いを浮かべ続けている。それがなんとなく気持ち悪くて目を合わせていられなくなる。お前はそれでいい、と言われているような、そんな目線だ。なんだか居座る気のようだから名前もワタルを無視して他の部屋に向かった。歴史だけはあるこの家は無駄に広い。父の死を伝えた使用人曰く「この家に残っているのは名前様のものだけです」。服は燃えるごみ、本は古本回収、家具は粗大ごみ。それらをまとめる作業も数時間あれば全て終わるだろう。終わればこの町からも、この男のいけ好かない目線からもおさらばだ。名前はその事実に安堵していた。

「なんで付いてくるんだよ」
「手伝ってあげようと思ってな」
「いらない。帰っていいよ」
 明確な拒絶にも、ワタルは笑顔を崩さなかった。ただ、前を歩く名前と保たれていた程々の距離を一瞬にして崩しにいったことは、彼の感情の移り変わりを表しているのだろう。
 ずっと昔から、この男が苦手だった。アーボックに睨まれたケロマツじゃないけど、その視線が受け付けなかった。一族や町の人間達から期待され、その期待通りポケモンリーグチャンピオンまで登りつめたワタルと、バトルの才能も無く知識を得て技術を磨くでもなくただ流されるままに生きてきた名前を周囲の人間達は比較し、名前を蔑んできた。別にそれはよかった。当然のことだからだ。ただ一つ、ワタルという人間が名前のことを意外にも気に入っていたことが名前にとっても町の人間にとっても予想していなかった事実だろう(ワタルはそのことを巧妙に隠していた)。
 名前は一族の血縁ではあるけど家自体は半ば没落していたし、母は病弱でトレーナーですらなかった。ただ父親のみが一族の誇りというものにすがり、家族も省みずずっと修行に明け暮れていた。そして自らに才能が無いと分かるやいなや、今度は名前を竜使いとして育てようとした。名前はポケモンと触れあうことは寧ろ好きだったから、厳しい修行もなんとか耐えられた。
 ある日、ポケモンリーグを目指しているという十五歳程度の少年と出会った。各地のジムを周り、八つ目のフスベジムに挑戦するらしい。彼は由緒正しい家のお坊ちゃんであった。親に反対され続け約一年前に家出同然に旅に出たらしい。家を継ぐことを強制され、ずっとそのための経済学や帝王学を学ばされていた。
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