水清ければ大魚なし

「蝶?」
 それはこのレリクスに到底似つかわしくない美しい翅を持つ蝶だった。青くきらめく翅を持つ美しい蝶に惹かれふらふらと蝶の導くままに歩みを進めると、今度は蜘蛛を見つけた。どちらも同じ方向に進んでいる。知能なんて無いはずの虫達が明確な意思を持って同じ方向に進んでいるとは、中々不思議なこともあるものだと名前は思った。

 レリクスに人以外の生物らしき生物を見たことがなかった名前は、迷うと分かっていてもその好奇心に逆らえなかった。いや、そもそもこのレリクスは虫が生きていられるような環境なのだろうか。それは名前には分からない。
 一歩一歩、歩みを進める度に虫の種類も数も増え、聴覚は羽音で阻害され視界は飛び交う虫達の影でほぼ黒く塗り潰されてしまった。
 虫達は道の真ん中にいる名前を器用に避け目的地へ向かっているようであったが、それでも虫達を踏んでしまいそうで摺り足で慎重に一歩一歩足を進めていれば、なんだか虫達が道の端に寄っているような気がした。
「道を開けてくれてるの?」
 勿論返事はない。なんだか名前が虫達を統べる女王のようで不思議な光景だが、名前という異物がいても彼らは気にせず本来の“女王”の元へ向かうらしい。

 少し開けた空間に出たところで一斉に虫達が跪いた。と言ってもあくまで名前にはそう見えた、というだけだが。
 数多の昆虫達の中心には名前より幾分か年下であろう少女がおり、母親が我が子に向けるような慈愛に満ちた目線を虫達に送っていた。特徴からして、若水が「女王陛下」と呼んでいる少女だろう。
 そんな慈愛に満ちた少女の視線も、人間という異物が混じっていることに気がつくと、鋭いものに変わる。
「そなたは人の子か?」
「……? はい、生まれは地球で父も母も人です」
「少なくともここは人が迷い込むような場所では無いはずだがな。ガスティールの気紛れか」
「日比野くんですか?」
「ああ、器の名前はそんな名前であったか……そうじゃ、其奴のことじゃ。ガスティールの言う客人とはそなたのことか」
 名前は未だにこのガスティールという呼び名が慣れなかった。本人は「渾名のようなものです」と言っていたが自分のメインヴァンガードが渾名とは全くおかしなこともあるもので。それに、なんだかさっきからこの少女の言動が自分は人ではないとでも言いたげなものばかりでどうにも落ち着かない。まるで、自分はこの虫達を統べる女王であるとでも言うような。
「はい、そうだと思います。えっと、ゲイリ・クートさま」
「そうか。ガスティールはそんなことを言っておったな……」
「あの、私は何か不敬を働いてしまいましたか?」
 なんだか会話が噛み合っていないような気がして不安になる名前。
 床に膝をついて祈るように腕を組むその姿が、虫達の女王であるグレドーラには、それがその場凌ぎの謝罪でもただの命乞いでも無いことは分かった。この人間は、自分は処刑台でギロチンを待つ哀れな罪人だと言いたいらしい。

「面を上げよ」
「は、はい」
「別の星に住んでいるとはいえ、生まれが近しい愛しい子らの前だ。無益な殺生はせぬ」
 名前は女王を怒らせた訳ではないと分かると、強張らせていた体を少しだけ緩める。女王のその表情を見れば、鋭かった目線は緩み眉間の皺もほどけていた。
「よいか、邪神司教に導かれた哀れな人間よ。無知は罪ではない。無知を恥じぬ者こそ罪なのだ、分かるな?」
「はい、ゲイリ・クート様」
「そなたは無恥だ。だが、無知を恥じぬ者ではないだろう? 妾は人間を統べる女王ではないが、女王としての在り方を定められておる。女王として、罪のない者を裁きはせぬ」

「人間、この虚構と現の狭間から真実を得てみせよ。そなたが夢から目覚めようとするのならば、妾がそれを見届けてやろう」




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