朧月夜-肆-
※軍人臨也×男娼静雄

「臨也!」
玄関先で靴を脱いでいると、後ろからどたどたという足音と共に馴染みの声がした。臨也は手にしていた荷物を女将に手渡すと駆け寄ってきた静雄を見てほのかに笑顔を浮かべる。
「やあ、今日はずいぶん元気そうじゃない」
「おかげさまで」
「何?何だか刺々しいなあ」
「……っ良いから、お前ちょっとこっち来い!」
「え?うわっ!」
むんずと捕まれた手を強引に引かれ、半ば引きずられるような形で静雄の座敷に放り込まれる。
「っ、ずいぶんと熱烈な歓迎は嬉しいんだけど、一体どうしたの?」
「お前、いくら払いやがった」
「は?」
「とぼけんな!女将さんが、向こう一年お前の専属だって……。本気で破滅するつもりかよ手前!」
「あはは。これでも俺、結構稼いでるよ?」
「そういう問題じゃねえんだよ」
苛立ちを募らせる静雄を横目に、臨也は目深に被っていた軍帽を座卓の上に置き居住まいを直した。静雄は後を追うように臨也の正面に胡坐をかくと、ばん、と畳を叩く。
「俺の固定客の中にはお前の上司とか、その他にも色々やべぇのが混じってんだ。俺を専属にしたりしたらお前の立場も危なくなるんだよ!」
「ふーん、心配してくれるんだ」
「茶化すな!」
相変わらずにやにやと人の悪い笑みを浮かべている臨也をきつく睨みつけ、静雄は声を荒げた。眉を吊り上げて怒るその形相に、臨也はふと、彼と初めて会った夜を思い出していた。あの時は、まさか自分と静雄がこんな妙な関係を築く事になろうとは考えもしなかった。こんなにもこの男のことが愛しくなるとは、思ってもみなかったのだ。
「さすがに身請け金をぽんと払ってあげるのは無理だったけど。これで向こう一年は安泰だろう?晴れて自由の身とはいかずとも、好きに過ごせばいい」
「手前にそんなお情けかけてもらう義理はねえよ」
「……酷い言われようだな。喜んでくれるかと思ったのに」
棘を隠すこともない静雄の言葉に苦笑しつつ、そんな彼の態度に臨也はさほど傷つきはしなかった。なぜならば、静雄を買い上げたのは半分は自分のためでもあったからだ。
はっきりと自分の気持ちを認識してしまったあの夜以降、臨也は静雄の事ばかりを考えるようになっていた。こんなにも何か一つ事に執着をしたことのない臨也は大いに戸惑った。必死に頭の中から静雄の存在を追い出そうとするが、全くうまくいかない。何をしていても、静雄は今何をしているのだろう、一体今宵は誰に抱かれているのだろう、あの淫らな姿を、声を、一体誰に曝しているのだろう――そんな事ばかり考えてしまうのだ。
(末期だな……)
誰にも触らせたくない、自分だけのものにしてしまいたい。そんな気持ちから、気が付けば金にものを言わせて半ば強引に女将に無茶な話を通してしまっていた。無論、このままではいつか静雄の身体が壊れてしまうのではと懸念する気持ちも嘘ではなかったが。
「……もういい、出てけ。手前なんかもう知らねえ」
「俺は君を買ってここに居るんだけど?」
「じゃあ俺が出てく」
静雄はわざとらしく足音を立てながら臨也の前を横切ると、開け放ったままの襖から出て行ってしまった。静雄の背中を横目に見送りつつ、臨也はやれやれと小さく息を吐く。
「さて、どうしたものかね……」






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