無限遠点
※臨也さんが女々しいかもしれない

タイミングが悪い。甘味の類は嫌いではないし、飴玉のひとつふたつ、いつもならそこら辺に転がっていそうなものが、今日はひとつも見当たらなかった。頼みの綱のプリンは、すでに静雄自身の腹の中にきれいに納まった後だ。
静雄は舌打ちを鳴らしかけ、やっぱりこれは理不尽だな、と唇をかみ締めた。何より理不尽なのは臨也の方だと大声で怒鳴り散らしたかったが、彼は懸命にそれを抑えた。それだけの罪悪感と、この男への思いやりが自分の中に存在していたことに、ほんの少し驚きつつ。
「いたずら決定だねぇ」
さもこうなる事があらかじめ分かっていたと言いたげに言うと、いつもより一段と黒尽くめの服装に身を包んだ男は、にたりと人の悪い笑みを浮かべた。


* * *


折原臨也は割と細かいことを根に持つタイプだ。
無駄に記憶力が良いものだから、殊更たちが悪いと静雄は思う。やれ付き合い始めたのはいつだ、今日はキスをして何ヶ月だと、静雄が忘れたいようなことまで事細かに覚えていたりする。
自分たちがどうこうなったきっかけなんてものは、静雄にとってはどうでもいいし、そこまで重要な事柄ではない。二人にまつわる歴史にはおおむね胸糞の悪くなるような思い出しか残っていないし、昔を振り返るよりも今を充実したものにできれば十分だというのが静雄なりの持論だった。
2月のバレンタインを過ぎ(これに関しては男女のイベントという認識だったため、静雄はまったくのノーマークだった)、恋人の誕生日祝いは、ケーキと手料理でなんとか乗りきることができた。臨也が根にもっているのは、その後に控えた交際二年の記念日のことだ。
どう見ても高めのホテルで食事をし、舌が蕩ける絶品のデザートを腹に詰め込んだあと、二人はそのままホテルのスウィートに宿泊した。終始上機嫌の臨也に、静雄もまんざらではなかったのだが――ルームサービスのシャンパンは甘ったるい空気をこなごなにぶち壊した。
いや、シャンパンのせいにするのは気が引ける。静雄ははっきりと、あの時の原因は自分にあると自覚していた。酒を飲んで、さらに気分が良くなった自分が「今日は何の日だ?」なんてうかつなことを口走らなければ。
その一言の後は、もう最悪だった。最高のはずの記念日が、最悪なものに変わった。表には出さないが、臨也が憤りを溜め込んでいることはその後のセックスでいやというほどに思い知らされた。
いつもなら必要以上にべらべら開閉を続ける口を真一文字に結び、彼は言葉少なに静雄を抱いた。いっそ事務的と言ったほうがしっくりくるような味気ない行為を終え、それでも臨也は口を開かなかった。
「このホテルさ、半年先まで予約でいっぱいなんだって。去年は予約できなかったから、今年はって気合入れてたんだよね」
気まずい沈黙に耐え切れずに煙草に火をつけた静雄の背に向かって、臨也がぽつりと漏らす。
「まあ、君にはどうでも良いことなんだろうけど」
「……んなこと言ってねぇだろ」
「は、覚えてなかったくせに?」
ぐうの音も出ず、静雄は口を噤んだ。悪いことをした、という気持ちはあった。心底くだらないとは思うが、臨也にとっては重要な一日だったのだ。それを、自分が台無しにしたという自覚はある。だから、味気ないセックスに文句をつけもせず、普段はしないサービスまでしてやったというのに。
「だから、悪かったっつってんだろ」
自らの腹の中で苛立ちが膨らみ始めたのを感じ、静雄は手にした煙草を灰皿に押し付けた。
恋愛経験など無いに等しいし、これから先も自分には無縁なものだと決め付けてきたのだ。臨也のいう“記念日”とやらに何をすればいいのか、どんな風に過ごすことが正解なのか、静雄にはまったく分からない。手探り状態で付き合っている相手が、よりにもよって折原臨也なのだから、余計に勝手がつかめないというのもある。
「次は忘れないように、する」
「無理だね」
百歩どころか一万歩近く譲歩して口にした言葉は、間髪いれずに否定された。さすがの静雄も、これにはカチンとくる。
「シズちゃんはさ、そもそも興味ないんだよ。だから、次もその次もきっと忘れる。できない約束はするもんじゃないよ?」
そう言って笑った臨也の顔は、どこか寂しそうだった。怒り以上に、その表情が静雄を苛立たせる。
勝手なこと言ってんじゃねえ。俺の気持ちなんか、お前に分かってたまるか。怒鳴りかけて、口から飛び出しかけた言葉をぐっと飲み込んだ。ここで怒り任せに暴れては、もとの木阿弥だ。
「忘れねえよ」
ぶっきらぼうに低く呟き、臨也の顔を睨み付ける。はあ、とため息を吐いた臨也は、先ほどとは打って変わって挑発的な笑みを浮かべた。
「ハロウィン」
「あ?」
「10月31日に、俺は仮装して君の家に行く。その時シズちゃんが覚えてたら、君の勝ち」
ハロウィンと聞いて、静雄が真っ先に思い出したのがカボチャのランタンとお菓子だった。イベントごとに関心が薄いとはいえ、池袋の繁華街を日々練り歩く仕事の関係上、10月のハロウィン飾りにはそれなりになじみがある。
トリック・オア・トリートの呼び声と共に家を訪れる臨也の姿を想像して、静雄は勝利を確信していた。







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