泣き虫王子の奮闘記 ※日々デリ+ろぴつき パソコンの中でのおはなし |
どうぞ、と差し出された皿の上には、何やら綺麗にデコレーションの施されたケーキが二つ並んでいた。 真っ赤に熟れた苺とベリーで飾られたものが一つ。もう一つはこんがりと狐色の焼き色がこれまた食欲をそそる、ベイクドチーズケーキだ。 「お前の分は?」と問えば、「君のために用意したものだから」というどこか斜め上な回答が帰ってくる。男はにこにこと笑みを浮かべながら、紅茶のポットを傾けた。 釈然としない気持ちを喉の奥に押し込めて、ぴかぴかに磨き上げられたフォークで苺をぶっさす。口に放り込んで租借すると、シロップに漬けられたそれは見た目以上に甘かった。 「砂糖とミルクは?」 「いや、いらね」 紅茶が出される頃には、小ぶりな苺のケーキは姿を消していた。早々にチーズケーキを崩しにかかりながら、むすりと答える。 「ご機嫌ななめですね」 困ったように呟くと、日々也はおもむろに手袋を外した。テーブルから身を乗り出して俺の口元についたクリームを拭うと、何がそんなに嬉しいのか、満足そうに口元を綻ばせる。そのまま頬を撫でる指先をぞんざいに振り払って、俺は再びケーキに視線を落とした。 ご機嫌斜めだ? 誰のせいだと思ってやがる――。 放っておけば好き勝手にまくしたててしまいそうな唇をしっかりと閉じて、口の中に詰め込んだケーキと一緒に本心を噛み砕いた。 「ん」 最後の一欠けらを半分フォークに乗せて、テーブルを挟んで向かい側へと差し出した。 甘いものは好きだ。それは、元になった静雄がそうだからなのか、俺のもともとの性格なのかは分からない。所詮はパソコンの中に生み出された人工生命体に過ぎない俺たちは、食事を摂らなくても飢えて死ぬことはないのだけれど。時々、無償に食べたくなることがある。 ここではケーキなんて貴重だ。必要がないものだから、そもそも存在がない。それを気まぐれに与えられるのは、マスターである臨也だけのはずなのだが――日々也は、こうして時々どこぞからこっそりと甘味を手に入れては、俺にふるまった。 フォークの先と俺の顔とを交互に見やり、ぱちくりと目を瞬かせる日々也の口元に、ずい、と先端を押し付ける。 「せっかくだから、お前も食えよ」 「いえ、私はいりません。デリが全部食べてください」 相変わらず何を考えているのかよく分からない笑顔で言うと、日々也はフォークを握った俺の手をつい、と柔らかな仕草で押し返した。 むっとした表情で残りのケーキを全部口に放り込んで、俺は紅茶には手もつけずに席を立った。 「……なんだよ」 用件は済んだとばかりにさっさとその場を立ち去ろうとする俺の腕を、日々也が遠慮がちに掴んだ。 「その……ケーキはお口に合いませんでしたか?」 先ほどまでの精錬とした紳士の装いはどこへやら。まるでしかられた子供のように、細眉をハの字に下げた王子は、恐る恐ると俺の顔を仰ぎ見ながら見当違いなことをのたまう。 困り顔、仮面みてえな笑顔。俺が知ってる日々也の顔は、その二つだけだ。どちらかというと、困り顔の比率の方が高いような気もする。そんな顔をさせているのは他ならぬ自分自身なのだけれど、俺は理不尽にこみ上げる苛立ちをどうすることもできずに短い舌打ちを打ち鳴らした。 「お前さあ、俺の顔色ばっか伺ってて、楽しいわけ?」 スーツの裾をつまむ指先を振りほどき、行き場をなくした右手をパンツのポケットに突っ込む。煙草を切らしていたことを思い出し、おもわず眉根を寄せた。それをどう受け取ったのか、日々也の表情がことさらに曇る。 イラついたときは煙草を吸うに限る。真っ白な煙で胸の中を満たして、無心に吐き出す。煙草が燃え尽きるまでのその僅かな時間だけは、何も考えなくて済んだ。 たったそれだけの理由で煙草をふかす俺に、こいつは「身体に悪い」なんてまるで人間みたいなことを、大真面目な顔で言いやがる。だから、俺は日々也の前では極力煙草を吸わないことにしている。 それなのに、この男と面と向かって喋っていると、正体不明のイライラが溜まっていって、影でこっそり吸う本数が増える。皮肉な話だ。 ふう、と息を吐いて、日々也に向き直った。 「俺が喜ぶことばっかしてて、楽しいか?そうまでして、どうして俺を喜ばせたいんだ?」 純粋な疑問だった。 日々也の世界は、良くも悪くも「俺」が中心に構成されている。当たり前だ。俺の対になるようにと人格をプログラムされた存在なのだから。 俺が黒と言えば、白いものも黒く染める。それがこいつのアイデンティティで、生きがいらしい。『デリックの幸せが、私の幸せです』と、恥ずかしげもなく言う。 今回のケーキだって、何日か前に俺が「甘いもん食いてえなあ」と呟いたのを、どこぞで聞きつけたからに違いない。 しばらく姿を見せないと思ったら、数日振りに目の前に現れた奴の右手にはしっかりとケーキの箱がぶら下がっていた。 「どうして……と言われましても」 日々也は困ったように笑った。次に吐き出されるべき言葉は分かりきっている。もう何度も、それこそ耳にタコができるんじゃないかというほど聞かされ続けた言葉だ。 「デリックのことが好きだから、喜んでほしいんです」 一点の曇りもない透き通った声で言うと、日々也は続けて「すみません」と何故か謝罪を口にした。 「なんで謝るんだ?」 「それは……その、最近…デリックが怒っているから」 「は、俺が怒ってるから謝るのか?理由もねえのに?」 棘をむき出しにした声でそう吐き出して、思わず「しまった」と顔をしかめたが、もう遅い。 案の定、日々也はぱくぱくと口を開閉するだけで、声も出なくなってしまった。まるで、悪い魔女に声を奪われた人魚姫のように。こうなってしまうと、もうこいつに弁明を期待することなんかできない。 ああ、イライラする。イライラする。 日々也が俺のために、と何かするたびに、言いようのない苛立ちが胸の中で煮詰まっていく。違う、こいつはそういうプログラムだ。怒るだけばかげてる。だけど、 「ごめん、なさい……」 悲しそうにぽつりと呟かれた言葉を最後に、真っ白な空間には沈黙だけが横たわった。俺と日々也の言い合いは、たいてい長く続かない。自分にまったく非がなくとも、こいつが謝って終る。 いつもそうだ。意味もなく毒を吐いて、俺はこいつを困らせることしかできないのに。そんな俺を好きだと笑う日々也。 こいつが俺のことを好きなのは、そういうプログラムだから。そうすることが、日々也の原動力であり、存在理由なのだ。人間が当たり前のように食べて寝るみたいに。 だから、こいつは俺の幸せだけを愚直に望む。たとえ、それが自身の意思に反していたとして、俺が望めば日々也はそれに逆らうことはしない。 こんな可愛げもない男を恋人と慕い、歪みきった関係を運命と呼ぶ。まったくもっておめでたい頭をした男なのだ。 「もう、いい」 言うだけ無駄だと知っている俺は、ため息と共にその場を後にした。 * * * 「で、また喧嘩したわけね」 「喧嘩じゃねえだろ、こんなもん」 「あっそう」 さも興味がないと言いたげな六臂の横顔を睨みつけ、俺は奴の煙草に手を伸ばした。 頭のてっぺんからつま先まで真っ黒なこいつと同じ、フィルターから何から影を切り抜いて作ったような煙草。俺が愛用しているものとは違うそれは、一口吸い込むだけで喉の奥にじんと染み渡った。 「喧嘩っつーのは、静雄と臨也がやってるああいうののことだろ」 「あれは喧嘩と呼ぶにはいきすぎだと思うけどね」 珍しく共有ライブラリに姿を現した引きこもり野郎をひっ捕まえて、自分のフォルダに引っ張り込むと、俺はお決まりの愚痴をこぼし始めた。 八面六臂は、情報屋である臨也が重宝している、いわゆる隠しプログラムだ。普段は仮想ドライブに閉じこもっているが、データのやりとりの関係で時々鉢合わせになったりもする。いわく、臨也の仕事のデータ関係を引き取るために、月島のところに立ち寄った帰りらしい。 全てのプログラムの親になっているのはこいつだし、何より俺と日々也を引き合わせたのも六臂で。 俺とあいつに関しても、よく知っている。だからだろうか、日々也にぶつけられない本心を吐き出しやすい。 こいつとは、不思議と馬が合う。とはいっても、月島みたいにこの根暗野郎とどうこうなりたいと考えているわけではなく、あくまでも友人の一人としてだけれど。 「喧嘩じゃないなら、何でお前はそんなにふくれてるんだ?」 「別に……ふくれてねーよ」 「無自覚か。救えないな」 俺が銜えた煙草をひょいと掠め取ると、六臂はためらいなく自らの口元へと運んだ。ぼんやりとその横顔を眺めていると、しょんぼりと肩を丸めて、今にも泣き出しそうな顔をした王子様の影が脳裏をちらついていった。 「俺は…別に、」 言いかけたところで、思わず口を噤む。何て言葉にしたらいいのか分からなかったし、何より、言う相手が違う。 六臂はまだ半分ほどしか吸っていない煙草を灰皿に押し込んでから、「言いたいことがあんなら、俺じゃなくて日々也に言ってやりなよ」と言ってため息を吐いた。 日々也のまっすぐな気持ちが嬉しくないわけじゃない。一人ぼっちだった俺に、やっと出来た「相手」だから。 初めてあいつに会った時――いや、あいつが俺の名前を呼んで笑った時は、素直に嬉しかった。自分だけを見てくれる相手が出来たことが。俺を必要としてくれる相手に出会えたことが。 サイケと津軽みたいなバカップルになりたかったわけでも、六臂と月島みたいな互いに依存し合う間柄になりたかったわけでもない。俺はただ、誰かに必要とされたかった。同じ目線で俺と向き合ってくれる相手が、一人でもいいから欲しかった。 けど、俺とあいつの関係は、俺がおぼろげに思い描いていたそれとはかけ離れすぎていた。 日々也はいつでも俺を優先させる。自分の気持ちなんか二の次に、「デリックのため」と崇拝にも似たまなざしを向けてきやがる。ここまでくると、もうほとんど宗教の域だ。 あいつが「デリック」ため、と口にするたびに、俺とあいつは対等じゃないんだと言われているようで――悲しくなった。 「日々也は、俺に興味なんてねえんだろうよ」 ぽつりと口をついて出た言葉は、自分でもびっくりするぐらい暗く澱んで響いた。 「あれだけ我侭放題かなえてもらっておいて、その言い草?」 「は、そうだな。俺が望めば、あいつは何だって叶えるし口答えなんかしない」 「何それ。のろけにしか聞こえないんだけど」 「のろけなんかじゃねーよ」 俺が何を言っても、何をしても、あいつには届かない。 たとえば、「六臂のことが好きだから、もう俺につきまとうな」なんて言おうもんなら、日々也はきっと「そうですか」と言って俺に笑いかけるのだと思う。初めて出会ったあの時と同じ笑顔を浮かべて、「デリックがそれを望むのなら」と、そう言ってあっさり身を引いてしまうだろう。 訥々と吐き出していくうちに、惨めな気持ちだけが肥大していく。相変わらず何のリアクションも寄越さない男に、俺は淡々と独白を続けた。 「あいつは、俺に興味ない。俺を喜ばせることにしか興味ない」 はっきりと口に出して、思わず目の奥が熱くなった。と、同時に、自分が随分とあの馬鹿王子に惚れ込んでいたのだという事実に愕然とした。 綺麗じゃなくてもいい、日々也の本心が知りたい。そう強く思った。 → |