泣き虫王子の奮闘記
※日々デリ+ろぴつき
パソコンの中でのおはなし
「ふーん。じゃあさ、」
ほとんど独り言のように言葉を紡ぐ俺に、六臂の奴が珍しく口を挟んだ。
酷く聞き取りにくい声に、足元に落としていた視線を上げた――次の瞬間、胸板を強く押されて、俺は浅く腰かけていた椅子から転げ落ちてしまった。
「ッな、」
派手な音を立てて倒れる椅子の横に、背中から倒れ込む。フローリングに敷いてあった毛足の長いラグマットが衝撃を吸収したか、幸いにもたいしたダメージは受けなかった。
投げ出された拍子に外れたヘッドホンをぼんやりと眺めていると、遅ればせながらふつふつと怒りがこみ上げてくる。
「っ、てぇな!何すんっ……」
「喧しいよ。黙って」
音もなく傍らに歩み寄った男は、感情の見えない声でぴしゃりと言いのけると、有無を言わさずに俺の腹の上にまたがった。
「……何のつもりだ」
「べらべら煩いのは趣味じゃないけど……、まあ顔だけはそっくりだからね」
言うが早いか、六臂の細い指がシャツの襟元を派手に弾いた。ボタンが転げ、緩まったネクタイを強引に引き抜かれる。ようやく現状を把握しはじめていた俺の額に、じわりと嫌な汗が浮かんだ。
「試してみたらいいんじゃないの?お前もどうせご無沙汰だろ?」
「日々也はあっち方面も幼そうだからな」などと下品な揶揄を口にしながら、六臂は膝を使って俺の股間を押し上げた。品定めするように全身にまとわりつく視線が、気持ち悪い。
「大人しくしてれば、気持良くしてやるから、さ」
ぞわりと背筋に走ったのは、快感とは程遠い――おそらく、嫌悪と呼ばれる類のもの。

六臂のことを慕ってはいる。が、それは人間が「仲間」や「家族」に向ける親愛の情に近いものだ。姿かたちこそ同じとはいえ、こいつをそういう目で見たことなんかない。
「ふざけんなっ、ぐ、……ッ!」
振り上げかけた拳はあっさりと地面に縫いとめられた。この細身のどこにそんな力を溜め込んでいるのか、左手一つで悠々と俺の身動きを封じた六臂は、もう一方の手でゆっくりと俺の肌をなぞる。
シャツをはだけられた胸元をくるくると撫でつけ、その後を追うように薄い唇が鎖骨を食んでいく。全身にありありと鳥肌が沸いて、思わずぶるりと身震いをすると、「感じてるのか?」と無機質な声で問われた。
「ばっ…、感じるわけねーだろうが!いい加減にしねえとっ……」
「しないと?どうする?」
真っ赤な目を細め笑い、六臂は俺の耳元に唇を寄せた。
「期待してたくせに、今さらかまととぶるなよ」
生ぬるい吐息を感じ、びくりと肩が竦む。
「や、めっ……くッ、」
普段はヘッドフォンで隠れている耳元は、俺が一番弱い部分でもある。耳介にやわく歯を立てられ、あいつに――日々也の声にそっくりな甘い声で名前を呼ばれると、欲情とは違う熱が胸の奥底に淡く灯った。
「あいつが自分を見てないって言うけど、俺に言わせればお前も同じだな」
違う、俺は。――俺は日々也がいい。
不器用でも、いびつでも、情けなくったって。それを与えるのはあいつであって欲しい。あいつでなきゃ、嫌だ。
そう言って目の前の男を殴り倒してやりたいのに、残念ながら俺の身体はびくともしなかった。
八面六臂は俺たちプログラムの雛形のような存在であり、絶対的な権限を有している。今までこいつがその力をほかのプログラムに行使したことはなかったが、六臂がその気になれば、俺や他のプログラムを機能停止することなんか造作もないことなのだ。
好き勝手に身体をまさぐる男を睨みつけてやると、六臂はにやりと唇を吊り上げて噛み付くような口付けを寄越してきた。
「ん、んっ……んぅー!」
固く閉じた唇をやわく噛みながら、「レイプしてるみたいでそそる」とか訳のわからんことを呟く。臨也でもあるまいし、嗜虐趣味でもあるのか。この変態野郎。
ぬるりと口腔内に進入してきた舌を迎え入れ、奥へと誘い込むように絡め取る。たっぷりと引き込んだそれに思いきり歯を立ててやると、六臂が小さなうめき声を上げた。
「……チッ、お前みたいに股の緩い男を恋人にもって、あいつも不憫なやつだな」
六臂は血の混じった唾液を吐き捨て、くつくつと笑った。
(ちくしょう。まったく堪えてねえな)
肩に引っかかっていたジャケットを脱ぎ捨てる六臂を仰ぎ見ながら、俺はぼんやりと考える。もしここでこいつに犯されたら、日々也はどんな顔をするだろうか、と。
怒るのだろうか。それとも、俺を責めも苛みもせず、静かに涙を流すのだろうか。
――こんな時まで、俺の思考の中心は日々也だ。
なんだ、俺もあいつと大差ないじゃないか。思わず口はしを緩めた俺を見て、六臂が小さく首をかしげた。
むき出しの胸元にするすると指を這わされ、吐き気がこみ上げる。くそ、ヤるんならさっさとヤりやがれ。お前が悪趣味野郎だってことは、月島にしっかりチクるからな。
もうどうにでもなれと思考を放棄しかけた瞬間、フォルダの入り口が勢いよく開け放たれた。
「デリック!」
戸口付近の家具をまとめてなぎ払いつつ、狭いフォルダ内になだれ込んできたのは、日々也――と、付属アイテムの馬だった。
毛並みの良い白馬にまたがり、マントをなびかせる様は、まさに王子様然りといった風体だ。しかし、呆気にとられる俺と六臂の顔を変わる変わる眺めるその顔は真っ青で、やけにちぐはぐに見えた。
「日々也、お前なんつー……」
滅茶苦茶なことして、と溜息混じりに続けかけた六臂の呟きは、ひらりと馬から下りた日々也の不恰好な右ストレートで遮られた。
俺の上からぶっとんだ細い身体が、ベッドのへりに頭を打って動かなくなる。死にやしないだろうが、バグでも発生したら面倒なことになるんだがなぁ、なんて他人事みたいに考えていると、肩で息を切っていた日々也がこちらに向き直った。
俺も殴られるのかな、と視線を上げると、日々也は顔をくしゃくしゃにしながら、そっと地面に膝をついた。
「デリ……」
あれだけ威勢よく乗り込んできたくせに、掠れた声で名前を呼ぶのが精一杯とか。ほんと、どうしようもねえヘタレだな。
無性に笑えて仕方なかったが、俺は差し出された手を握り返し、日々也の胸元に飛び込んだ。


* * *


「ったく慣れねえことすっから……」
「す、すみません」
真っ赤に腫れあがった右手に、濡れたタオルを押し当ててやる。システム内のセキュリティプログラムのくせに、なんたるザマだと説教垂れる気にもなれず、俺は「お前らしいけどな」と笑った。
その言葉をどう捉えたのか、日々也はしょんぼりと肩をまるめながら、もう一度「すみません」とお決まりの謝罪を繰り返した。
白馬の王子様は、魔王の手から姫を救い出し、二人はお城に帰り末永く幸せにくらしましたとさ。めでたしめでたし――とはいかないのが、日々也が日々也たる所以だろう。
城は俺のフォルダと大差ない広さのそれだし、なにより肝心の王子がドヘタレ野郎ときたもんだ。
俺と六臂が何をしていたのか、どうしてあんなことになったのか。日々也は決して訊ねようとはしなかった。何か言いたげに口を開きかけては引き結び、俺の顔を横目に見ては俯き。
いい加減イライラしてきた俺が口火を切ろうとしたタイミングで、今度は「右手が痛い」とべそをかき始める始末だ。
「ほらよ。とりあえず応急処置だけしといたから、今はあんま動かすなよ」
 患部に冷却材をふきつけて、しっぷを貼ってやった。後で臨也に見せとけよ、という言葉に折り重なるように、「ごめんなさい」と呟いた日々也の両腕が、俺の首筋に絡みついてくる。体当たりするような勢いに面食らった俺の身体は、あっさりと背後に倒れこんだ。
六臂といい日々也といい、臨也モデルの連中は人を押し倒すのが趣味なのだろうか。
「お、い」
俺のシャツに顔を埋めたまま、ぴくりとも動かない日々也。相変わらずくぐもった声で「ごめんなさい」だけを壊れたスピーカーみたいに繰り返す男に、いい加減我慢の限界を迎えそうだった。
「言いたい事があんなら、ちゃんとこっち向いて言え」
華奢な肩を掴んで、強引に引き起こす。目元をほの赤く染めた日々也は、ようやく真っ直ぐに俺を見据えた。泣くのを堪えているのか、目元以上に赤くなった鼻をずび、とすすって、ようやく口を開く。
「貴方が俺以外を選ぶのなら……それで貴方が幸せになれるのなら、俺には…それを邪魔することはできません」
「は……?」
「俺は、そういうプログラムです。臨也が面白半分に人格をもたせただけの、不完全な。貴方に焦がれることしかできない、無様で哀れな欠陥品なんです」
もともと、セキュリティプログラムに人格など必要ない。それをいじくり回して、半ば強引に人格を形成させたのが、生みの親でもある臨也だった。
俺や津軽や――他のどのソフトとも違う。元からアバターとしての雛形なんかなかったから、最初はそりゃあ酷いもんだったそうだ。
試作とテストを繰り返し、そうしてようやく、日々也は俺の前に現れた。
白い頬に一滴伝った雫を目にした瞬間、何でこいつにイライラしていたのか、ようやく分かったような気がした。
「欠陥品とか、そういうこと言うな」
低く絞りだすように呟くと、日々也の肩がびくっと跳ねた。
「欠陥品なんかじゃ、ねえよ」
サイケのサポートパッチとしてしか機能できない俺だって、こう言っちゃなんだが、似たようなものだ。
俺の正式名称はPsychedelic‐dreams[02]オーディオデバイスである[01]――「サイケ」の、いわばオマケみたいなもんだ。独立した固体としては不完全な存在。単体では何の意味もないジャンクアプリ。
明確な使命をもってして生まれた他のプログラムの中で、いつだって一人浮いている――誰に責め立てられたわけでもないというのに、俺はずっと孤独と劣等感を抱えて過ごしてきた。
だから、欠落した自我の中でもがく苦しみが理解できないわけじゃない。しかし、それを肯定してやる気は更々なかった。
「お前がお前を好きになれないのに、どうして俺がお前を好きになれるんだよ。お前は好きなやつに、その欠陥品ってのを押し付けんのか?」
強い口調で問うと、日々也はぐっと唇を噛んだ。
「言いたいことがあるならハッキリ言え。ぐだぐだ遠まわしな言い方は好きじゃねえんだ」
俺は静雄と一緒で、大して知能指数も高くない。
考えたって、どうせ答えなんかないんだ。だったら、自分に素直に生きるのが一番楽でいい。
「聞かせろよ。お前が思ってること、全部」
雨に降られた子犬みたいにしょんぼりと肩を落とした日々也の顔をしっかりと見つめ、長い睫に溜まった涙を指先でぬぐってやる。
「俺が他の奴のとこに行っても、お前は平気なのかよ?」
 日々也は、小さく、だがしっかりと首を横に振った。
「デリックの幸せを望むようにと人格を設計された私が、こんなことを言うのはおかしいって…分かってるんです。でも……」
ほたり。
涙だか鼻水だかわかんねー液体が、日々也の顎を伝い落ち、俺の頬を濡らした。
「でも、……でも、俺以外の誰かがあなたに触れるのは、どうしても…我慢できそうにありません」
震える声でそういうと、日々也は俺の首筋に回した腕にぎゅう、と力をこめた。その熱が、ぬくもりが、どうしようもなく愛おしくて。俺も柄にもなく、日々也の背中に腕を絡めた。
「そっか」
言葉にするのは正直苦手だし、恥ずかしい。
けど、臆病で弱虫なこいつが腹をくくったなら、俺もそれに応えなきゃならない。
今度は、俺が素直になる番だ。やっと同じ目線で、スタートラインに立てたんだから。
「なあ、日々也――」
俺はたっぷりと息を吸い込んでから、祈るようにその名を口にした。


* * *


「こんなところに居た」
上体を屈めた拍子に、月島の肩から白いマフラーが垂れ落ちる。ぼんやりと天井を仰ぎ見ていた六臂は、視界を遮るそれを指先で弄び、ゆっくりと身体を起こした。
「いっ、たた……。あのアホ、力の加減ってもんを知らないのか?」
ぶつぶつとぼやくと、ほんのりと口の中に血の味が広がる。恐らく、殴られたときに傷つけたのだろう。頬は腫れてジンジンと熱を帯びているし、ベッドの脚にしこたま打ちつけた頭にはピンポン玉大の立派なコブができあがっていた。

「……月島さあ、少しは心配したりとかないわけ」
フローリングに丸まったコートを拾い上げ、パタパタと埃を払う男の背中を恨めしげに眺めると、六臂は口を尖らせた。
「自業自得だろう」
「冷たいなぁ」
「俺がスキャンしてるのを知ってて、悪乗りしたお前が悪い」
 ぴしゃりと言い捨て、彼は「それに」と呟いた。
「馬に蹴られなかっただけマシなんじゃねえの」
 無造作に投げて寄こされたコートを肩に羽織り、六臂はゆっくりと立ち上がった。多少ふらつきはするが、幸いにも甚大なバグは発生していないようだ。
ふと月島の顔を見て、六臂は小首を傾げる。
「どういうこと?」 
「他人の恋路の邪魔する奴は、って言うだろ」
恐らく彼なりのジョークのつもりなのだろうが、月島はにこりともしなかった。
元来、感情の起伏に乏しい男ではあるが、例えそれがどんなに些細な表情の変化であろうと、読み誤るはずがない。
八面六臂は全てのプログラムのベースであり、彼に知らないことは無い――という建前を抜きにしても、月島の恋人という立場上、六臂には誰よりも彼を知っているという自負があった。
無表情の中に、微かに顔をみせるこれは、
「お前も中々可愛いとこがあるねえ」
にやりと笑えば、月島は季節外れのマフラーに口元をうずめ、「うるさい」と呟いた。







予想以上にデリックが乙女思考になってしまった気もしますが
日々也が王子様属性なのでそれで丁度いい気もする。
へたれでデリック至上主義だけど、譲れないものは譲れない日々也はやればできる子。
ろぴつきは熟年夫婦並みの落ち着き。

(2013.7.31)




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