スラッピング・ラヴァー 後
※バンドパロ

  



原曲を持ってきたのは新羅だった。
緩やかなメロディラインにのせて繰り出されるドラマチックなサビの旋律は
仮歌の段階ですでに新羅の透き通った声によく馴染んでいた。
メンバー全員で曲のアレンジを詰めているうちにミディアムテンポのロックチューンへと生まれ変わっていったが
切なげな主旋律がよく活きていて、バラードアレンジよりもよほど深く聴くものの心を穿つ、そんな曲へと仕上がった。
ある程度曲の原型が出来上がったころ、臨也が詞を完成させた。
曲によっては新羅が書くこともあるが、歌詞に関しては門田と静雄はほぼノータッチといっていい。
静雄はそもそもそういった文学方面への知識が乏しかったし、門田は照れくさいといって手を出したがらないのだ。
新羅の書く詞はストレートに愛を歌うラブソングが主体となっており、反して臨也の紡ぐ歌詞は、一見すると何を伝えたいのかよく分からないようなものが多い。「何を伝えたいのか」ではなく、臨也はおそらく「相手がどう解釈するのか」を楽しみたいのだろう。
まったくもって自分勝手な話だが、その姿勢はファンからはそこそこ支持を受けているのだから、静雄にとっては納得がいかない。
今回の曲もいつもと同じだと思っていた。よく分からない言い回しや、小難しい単語がいたるところに散布されていて、一見すると何を歌っているのかは見えにくかった。


『珍しく、熱烈だねぇ』
あれは初めてスタジオで曲を合わせた時のことだろうか。譜面から顔をあげた新羅は、そう言うと臨也に向けて意味深に笑った。
ギターチューナーのつまみをいじくり回しながら、臨也は小さく肩をすくめてみせた。それを肯定と受け取ったのか、新羅はサビのワンフレーズを口ずさむ。
ライブでは臨也自身がコーラスを担当する手はずになっているその英詞部分を、静雄は辞書で引いてみたことがある。
柄にもないと思いつつ、二人のやりとりが印象的で、どうにも気にかかったのだ。
ひとつひとつの単語は決して難解なものではなかったが、なにせ高校時代から英語は万年赤点だ。
単語を書き出して、それを文法にならって並べ替えるだけでも、静雄にとっては一苦労だった。
出来上がったつたない翻訳詞を眺めながら、なるほど、と小さく呟く。コーラスパートにひっそりと忍ばせてあったその一節は、ひねくれ者のあの男らしい愛の告白にも思えた。
同時に、この詞は彼の本心なのではないかという思いが、ふと脳裏を掠めた。
それを確信に変えたのは、新曲を初披露したライブでのことだ。


その日のライブはいつも以上の超満員となった。
新曲が演奏されるらしいとどこからか噂を聞きつけたファンの熱狂は、アンコールを前に最高潮へと達しようとしていた。
人垣の群れを眺め下ろしながら、静雄は体に叩き込んできたリズムを確実に刻んでいく。
疾走感あふれるビートが、腹の底を心地よく震わせる。
少し掠れた高音を響かせる新羅のパートを追うように、臨也が自身の立ち位置に設置されていたマイクに唇を寄せた。誰かの耳元に囁きかけるような甘いテノールボイスが、ギター音の荒波を掻き分けて静かに響いた。
瞼を伏せて切なげに眉根を寄せた表情に、上手側に陣取った女性ファンがうっとりとため息を零す。
横目にその表情を盗み見て、静雄は確信をもった。
「ああ、こいつは自分と同じなんだな」と。誰かに焦がれて焦がれて、けれどそれを口にする勇気がない。
だったら今の関係を壊すことなく、ただの友人として、仕事仲間として傍にいられれば、それで満足だと。
どこかで諦めて――なのに、苦しくて仕方がない。

“だからせめて 今はそばにいさせてほしい”

それはそのまま、静雄自身が長年抱えてきた想いでもあった。


* * *


「静雄?」
ヘッドフォン越しでくぐもった声が、静雄の耳をうつ。
靴底でトントンと軽快にリズムを刻んでいた門田は、いぶかしげに首をかしげた。
「テンポ、ずれてきてんぞ」
あ、と間の抜けた声を上げた静雄は、あわてて目の前のスコアに視線を戻した。ぼんやりとしているうちに、自分が今どこを弾いているのかさっぱり分からなくなってしまった。
「少し休憩するか?」
「いや、いい。続けてくれ」
最近は個々の仕事も増えてきている。雑誌のインタビューから、テレビ用のコメント収録、新曲のグラビア撮影などの合間をぬうようにして、合同リハーサルの時間を捻出しているのだ。
門田とて、時間を持て余しているわけではない。少ない空き時間をやりくりして、こうして練習時間を捻出してくれている。
ライブ本番はもうすぐ目の前まで近づいてきているし、それに比例して臨也の目もよりいっそう厳しくなっている。一分一秒とて無駄にはできない。
腕時計に視線を落とし、門田は「最後にもう一回」とスコアの一節を指差した。
つられるように、静雄も壁にかけられた時計に目をやる。あと少しで、ほかのメンバーもスタジオに入り始める頃合だ。
「Bメロのここ……このあたりから、どうしても走りがちになるな。意識しておいたほうがいい」
「ああ」
ここ、と門田が指し示した部分へと視線をやる。五線譜の下に並ぶ歌詞はちょうど臨也のコーラスパートだ。
この歌詞を、言葉を臨也の口から聞くことが、今の静雄には何よりも辛かった。

“この願いが叶うことはない”

彼がそう囀る通り、静雄もまた、自分が臨也に向ける劣情が決して受け入れられないであろうことを、よく理解している。
だからこそ、近くて遠いこの距離を守っていこうと決めていた。
たとえ臨也に想う相手が現れようと、自分は今までと何も変わらない。同じバンドで音楽を志す仲間として傍にいられれば、それ以上は望まない。そう心に決めてきたというのに。あのフレーズを臨也が口にするたび、静雄の心は無様なほどに乱れた。そしてそれは、彼の音にもそのまま顕れる。
無心に、無心にと自分自身に言い聞かせながら、少しあせばんだ手のひらをTシャツの裾でぬぐい、ネックを握りなおす。
静雄がひとつ大きく息を吸い込んで4弦に指を引っ掛けた瞬間、門田が唐突に口を開いた。
「臨也だろ?」
「え、…………は?」
「お前の好きなやつって。臨也のことなんだろ?」
あまりにいつもと変わらないトーンで繰り出された質問だったため、静雄はうっかり素直に首を縦に振りかけたのだが、寸でのところで思いとどまる。
自分は確かにあの夜、門田に言った。「好きなやつがいる」と。
己の想いが通じることはないだろうが、それでもどうしようもなく惹かれる相手がいる。その相手に、最近好きなやつができたようだ、と。
まさか高校生時代にもしたことのない色恋話を、この年になってからすることになろうとは思いもよらなかった。けれど、門田が言うように、吐き出して踏ん切りをつけてしまうのも良いかもしれないと考えたのだ。
あの夜は心身ともに疲労困憊状態で、しかも酒の力も手伝ってか静雄もいつになく饒舌だった。
時折あいづちを挟む以外、余計な言葉を吐かなかった門田相手に、くだをまくように話続けた。しかし、静雄の記憶が確かであれば、最後の最後まで相手の存在に関しては触れなかったはずだ。
門田も「相手は誰なのか」と聞くような野暮な真似はしなかった。それが暗黙の了解だというように。だからこそ、静雄は胸の奥でドロドロと渦巻いていた苦い想いを外に吐き出すことができたのだから。
「な、に……」
「……その様子じゃあ、図星みたいだな」
かまをかけられていたのだと気づいたところで、すでに後のまつりである。静雄のリアクションは、門田の質問を肯定しているも同然だ。否定の言葉を吐き出そうにも、ぱくぱくと情けなく開閉する口からはろくに息を吐き出すこともできない。
空調のよく効いたスタジオの中、静雄の顔はみるみる赤く染まっていく。
頭に巻いていたタオルを外すと、門田はへたった髪をくしゃくしゃとかき混ぜた。
「静雄。お前、自分がいつもどこでミスってるか、気づいてるか?」
門田は至極落ち着いた声でそう言うと、再びスコアの一部分を指差した。
先ほどと同じ、サビのワンフレーズ。ちょうど、臨也のコーラス部分の歌詞を、短く切りそろえられた爪の先がゆっくりとなぞる。
彼の言わんとした事を悟ったか、静雄は居た堪れないとでも言いたげに深くうな垂れた。すっかり茹で上がった耳元で、門田は追い討ちをかけるように囁く。
「臨也の声に聴き惚れるみたいに、な」
「……死にてえ」
静雄が細々とした嘆息を吐くと同時に、スタジオの防音ドアがゆっくりと押し開かれた。マネージャーに続き、臨也と新羅の二人が眠たげな顔で部屋へ入ってくる。静雄が恐る恐る顔を上げると、臨也とダイレクトに視線が交わってしまった。
おそらくまだ赤みの残る顔を不自然に思われはしないだろうかと、咄嗟に視線を逸らす。正直、今日はもうどんな顔をしてリハーサルに参加すればいいのか分からない。臨也の物言いたげな視線は、じりじりと静雄に注がれ続けた。
ほんの数秒の膠着を破ったのは意外にも臨也の方だった。背負っていたギターケースを乱暴に床に下ろし、一直線にスタジオの中を突っ切って静雄の目の前に立ちはだかる。
「……ちょっと来て」
「は?……ッ、お、おい!?」
ベースのネックを掴んでいた腕を引っつかむと、臨也は力任せに静雄を引き寄せた。慌しく立ち上がった拍子に、安っぽいパイプ椅子がガタガタと派手な音をたててフローリングに倒れる。
「てめ、リハが……っ」
スタジオの入り口付近であくびを噛み殺している新羅に肩にかけていたベースをあずけ、半ば引きずられるような形で廊下へと飛び出す。腕に食い込んだ爪が痛い。静雄はいつも通りに文句の一つでも言ってやろうと口を開きかけたが、結局は「おい」と力ない二文字を吐き出すだけで精一杯だった。
臨也は静雄の声には見向きもせずに、まっすぐに狭い廊下を進んでいく。時折スタッフと思しき若者とすれ違ったが、二人の鬼気迫る様子に誰も声をかけてこようとはしなかった。


一体どこへ行こうというのか、もうじきリハーサルが始まるのではないか、そもそも、この男は一体何をそんなに不機嫌になることがあるのか――。静雄の小さな脳みそは、疑問符でいっぱいに埋め尽くされていた。






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