スラッピング・ラヴァー 後
※バンドパロ
「どういうつもり?」
スタジオの一番奥まった場所に位置する喫煙所までくると、臨也はつかんでいた静雄の腕を放した。
壁際に押しやられるように突き飛ばされ、硬いコンクリートに肩を打ちつけた静雄は思わず顔をしかめた。
今更のように、理不尽な扱いに対する怒りがふつふつと腹の奥底から滲みだしてくる。
静雄が文句を口にするよりも前に、臨也は矢継ぎ早にまくしたてた。
「もうライブまで時間無いんだよ?分かってるの?」
「……うるせえな。だから、門田に付き合ってもらって練習してんだろうが。邪魔すんじゃねぇよ」
「は、……練習?あれで?俺には馴れ合ってるようにしか見えなかったけど。子供のお遊びバンドじゃないんだから」
一気に吐き捨てると、臨也は目元に下りている前髪をかきあげ、わざとらしく大きなため息をつく。
ひやりと冷たい空気が、二人の間に音もなく流れていく。
同じぐらいに冷え切った臨也の目をしっかりと睨み据えながら、静雄はただ黙って唇を噛み締めた。
不思議と、怒りは沸かなかった。静雄の胸を流れるのは、己に対するふがいなさや憤り、そして言いようもない悲しさだけだ。


望みを抱くことなど、とうの昔に諦めてしまっている。自分の想いに先がないことなど、誰よりも自分自身が一番よく理解していた。
臨也に特別な“誰か”が出来たのならば、自分の存在意義はきっと、彼の隣でベースを弾き続けることだ。
自分はただ、傍に居たいだけなのだ。触れられなくても、たとえ好きだと声に出すことすらできなくても。
なのに、このままではその場所さえも失ってしまう。焦りと不安で、胸の奥がきしきしと痛んだ。
「……ごめん、言い過ぎた」
しばし黙って互いに睨い合いを続けていたが、先に折れたのは臨也の方だった。ひどく沈み込んだ声で詫びると、静雄と肩を並べるような形で壁にもたれかかる。ひとつ息をつき、「らしくないよねぇ」と呟いた臨也は、まるで先ほどの剣幕が嘘のように自嘲的な笑みを浮かべてみせた。
こんな風に感情の浮き沈みが激しい臨也の姿を見るのは、久方ぶりのように思う。妙な違和感を抱きつつ、静雄は力なくうな垂れる男の横顔をじっと見つめた。長い睫が数回揺れ、そして音もなく伏せられる。
間近で見れば、染みひとつない目元はわずかにくすんだ色をしていた。
「ねえ、」
「……あ?」
手持ち無沙汰に煙草を取り出しかけた静雄の横で、臨也がぽつりとつぶやく。
「そんなにあの曲が気に入らないなら、さ。いっそ、今度のセットリストから外そうか」

今なら代用曲だって何とでもなるしね、と言って臨也は静雄の手から奪い取った煙草をさっと唇にくわえた。
ライターで火を灯すその少しぎこちない動作すら、ひどく様になる。

“せめて そばに”

紫煙越しの臨也の顔をぼんやりと眺めていると、幾度となく繰り返し言い聞かせたフレーズが静雄の脳裏に浮かんでは消える。
それは、あるいは呪いの言葉なのだ。口にしてしまったら、もう傍にいることすら叶わなくなるのかもしれない。気持ち悪いと罵られて、近寄るなと蔑まれて、名前を呼ぶことさえできなくなってしまう。
静雄はずっと、それが怖かった。近づく可能性よりも離れてしまう可能性を恐れて、何もできずにいた。自分が変わらなければ、二人の関係はきっと今以上にも以下にもなりはしない。この距離で、臨也の隣にずっと居座り続けられる。
それが仮初の永遠だと気づいたのは、臨也の歌詞を目にした瞬間。
そして、ライブで彼の歌声を聴いた時から、限界が近いだろうことにも薄々気づきはじめてはいる。
けれど今は、まだ。もう少しだけ、この距離に甘えていたい。


「俺は、あの曲が好きだ」
「……嘘」
「嘘じゃねえ」
静雄は凪いだ海のような穏やかな口調で言葉を続ける。余計な事を口走らないように、慎重に言葉を選びながら。
「その、なんだ。客のノリも良いしよ、サビのフレーズとか……俺の好きなコードだし。歌詞も……綺麗、だろ」
「嘘だ」
重ねてきっぱり言い切ると、臨也はぱかりと開けた口から煙を吐き出した。
「そりゃあ、シズちゃんがどうしようもなく不器用なのは、俺だって知ってる。同じぐらい努力してきてることもね。
だけど、あの曲だけはいつまで経っても上達しない。それはつまり、純粋に演奏したくないからってことなんだろう?」
「ちげぇよ」
「嘘だね」
「……お前、さっきからそればっかだな。いい加減うぜえ」
「ウザったくて悪かったね。どうせ俺はドタチンとは違って器の狭い男だよ」
「だから、なんでそこで門田が出てくんだ」
フォローするのも面倒くさくなってきたのか、いささか投げやりに答えつつ、臨也の手に握られたままの煙草のボックスに手をのばした。イライラが溜まってきたときは、煙草を吸うに限る。たっぷりと吸い込んだ煙で肺を満たして、一息に吐き出す。そうすると、少しだけ胸が軽くなる気がした。
「ッん、む……っ!」
潰れかけたアメスピの箱は静雄の手に奪取されることなく、二人の足元にカラカラと音を立てて転がった。中から飛び出した数本が廊下の上を転がっていく。
あ、と口にしかけた静雄の声は音にならずに消える。
空を切った腕は臨也によってコンクリートの壁に押し付けられ、静雄はあっという間に身動きを封じられた。
「……っ、い!」
同時に背中を強く打ちつけ、唇から漏れ出したうめき声は、そのまま目の前の臨也の薄い唇に飲み込まれる。目を白黒させている静雄の視界を奪うように、すらりと伸びた指が瞼の上に重ねられた。
荒っぽい口付に反して、冷たくかさついた指先はどこまでも優しく目元をなぞる。「キスするときは目は瞑るものなのか」、などと酷く場違いなことを考えながら、静雄は唇の表面を滑る感触を懸命に追いかけた。
短いリップ音と共に、二度三度と啄ばむような短い口付けを繰り返したかと思えば、下唇の端にちり、と鋭い痛みが走る。噛み付かれたのだと気づいた時には、臨也の整った目鼻立ちがゆっくりと遠ざかっていくところだった。
「てめ…な、なに……ッ」
「……ほんと、むかつく。俺がどれだけ悩んであの曲作ったと思ってるんだよ」
まったく、鈍感なんだから――。忌々しげに吐き捨てた臨也の耳元は、ほんのりと色づいている。
今の言葉か、それとも無骨な口付けか。何がきっかけになったのかは分からない。けれど、静雄は唐突に理解した。
耳のすぐそばで臨也のコーラスがリフレインしている。男同士だぞ。しかも、あの臨也と。まさか、ありえない。そう否定する声すらどこか彼方に吹き飛ばされて。同時に、体中で張り詰めていたものがぶつりと途切れた気がした。
静雄は壁伝いにずるずるとしゃがみ込み、着実に熱を吸い集めはじめている顔を膝の間に埋める。
「……わかりにくいんだよ、ばかやろう」
耳元でドクドクと鳴り響く鼓動が、うるさい。がしがしと髪をかきむしり、消え入りそうな声でぼやいた。




「門田くんも意外に性格悪いね」
先ほどまで静雄が座っていたパイプ椅子にゆったりと腰を下ろしながら、新羅はくつくつと笑った。
「さっきの、わざとでしょ。防音扉越しだと、ちょっと良い雰囲気にも見えたもの」
「嘘つけ。大根だって言いたいんだろうが」
門田はしらじらしい新羅の台詞に苦笑しながら、やれやれとため息を吐いた。いつの間にやら床に落ちてしまっていたタオルを拾い上げ、パタパタと数回はたいて頭に巻きなおす。
「それに、お前に性悪どうこう言われる筋合いはねえな。臨也にあてつけるために、あんな無茶振りしたくせに」
「あれ、やっぱりバレてたんだ?」
弾けもしないベースの弦をベンベンと爪先で弾き、新羅は歌うように言う。まるで悪びれた様子をみせないのが、いっそ清々しくも感じられた。
「これだけあからさまなのにね。気づかないのは本人達ぐらいだよ。知ってた?臨也ってばコーラスのとき静雄くんガン見してるの」
一部のコアなファン達の間でも噂になっているみたいだよ、と言う言葉は聞かなかったことにしよう。静雄のためにも、バンドの存続のためにも。門田は心に一つ近いを立てると、テーブルの上に投げ出されていたタバコケースに手を伸ばした。
「ここ禁煙だよ」
「あー……。喫煙所行きたくねぇなあ…」






彩深様リクエスト。

 
来神でバンドパロ。
学生4人がキャッキャとバンドしてるのも可愛いなぁと思ったんですが
せっかくのパロだし!ということで、思い切り趣味に走らせていただきました。楽しかった……!!
こんなバンドあったらものの見事に腐女子の餌食になると思います(笑)
ロマンチスト臨也さんは歌詞に込めたメッセージをシズちゃんに伝えたかったんですが
静雄は全然気づいてくれないし、そもそも曲やる気あんの?!ってイライラしていました。
静雄寄り視点で書き進めてしまったので、いまいち伝わりにくく……うう、すみません。


この度は企画にご参加ありがとうございました!
彩深様のみお持ち帰り可となっております。


(2012.7.2)




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