スラッピング・ラヴァー 前
※バンドパロ
四方をぐるりと鏡で囲まれた狭い室内には、会議用の長机と古いパイプ椅子が乱雑に並べられている。
出口の傍に陣取った新羅は、濡れそぼった衣服が不快なのか、椅子には腰掛けずに机の端にもたれかかった。
向かい側のパイプ椅子に臨也、その隣を椅子ひとつ分空けて、門田が腰を下ろす。
静雄はというと、なるべく臨也と真っ向から向き合わずに済むように、椅子を引いて横向きに腰かけた。
各々が好き勝手に席に着いた頃合いを見計らって、臨也がおもむろに口を開く。
「ここ最近、演奏ガタガタなの気づいてる?特にリズム隊――いや、ベース」
体中を突き刺す鋭い視線から逃れようと、静雄は自らの膝に目線を落とした。
ステージを早々に逃げ出したのも、実のところ臨也のこの目から逃れたいがためだったのだと、今更のように気づく。
「……聞いてるの?シズちゃん、君のことだよ。特に今日は酷かったねぇ。アンコ2のラスト、新曲。
何あれ?ラスサビ前で、どうしてあんなにリズムがもたつくの?」
一気にまくし立てるように吐き出し終えると、臨也はわざとらしくため息を零した。
「今日だけじゃない。あの曲、もう何ヶ月やってると思ってるのさ」
「おい、臨也」
「ドタチンは黙ってて」
ぴしゃりと言い捨て、臨也は横目に門田を睨み付けた。
門田は静雄に甘い。
バンドの基盤を支えるリズムパートの相方として、いや、それよりもっとずっと昔から、彼は静雄に甘かった。
まだこのバンドが影も形もないただの学生の時分から、門田は不器用な静雄を常に気遣っていたし
静雄自身もまた、彼の優しさに甘えているふしがある。臨也にはそれが何よりも腹立かった。
正体不明の苛立ちをライブのミスに乗じてつつき回すなんて、スマートなやり方ではないと重々自覚はしている。
それでも、やはり腹が立つものは腹が立つのだ。自分がどんな気持ちでこの曲を作り上げたのか、それすら知らないくせに――。
身勝手な憤りを噛み潰して、臨也は苦々しく呟いた。
「この曲は、ラスサビが肝だ。その直前のブレイクで崩れられたら困る」
「…………わ、るい」
大きな背中を丸めて足元に視線を落とした静雄は、消え入りそうな声で呟く。
臨也の言葉に反論しないどころか謝罪の言葉すら口にした静雄に、門田と新羅は互いに顔を見合わせた。
「悪い?悪いと思ってるなら、少しは練習したらどうなの?」
「ま……まぁまぁ、臨也。そう頭ごなしに責めたって、仕方ないだろう」
気の長くない友人の怒りが爆発するかと内心ひやひやしながら、新羅は恐る恐ると仲裁に入った。
これ以上、出入り禁止の会場を作るのは得策ではない。デビューという大きな節目を目前に控えている今は、尚更だろう。
バンドの采配を握る臨也が、そのことを失念しているとは思えなかった。
三人のやりとりにじっと耳を傾けている門田に一つ目配せをして、新羅はうーん、と声に出して思案する。
「じゃあ、こうしよう」
すっかり汗は引いてしまい、濡れたTシャツがただただ不快感を煽るばかりだ。
一刻も早くシャワーを浴びて、着替えて、会場の裏口で待っているであろう恋人を抱きしめたい。
不器用な友人たちを忍びないと思いつつも、岸谷新羅の頭の中には恋人である首なし女性の姿しかなかった。


* * *


「……どうした?つっ立ってないで入れよ」
お世辞にも広いとは言いがたいアパートの一室。
玄関を上がってすぐの所で、どうしたものかと足を止めたままの男に、門田は苦笑まじりの声をかけた。
お邪魔します、と慣れない口上を口にしてから、ひょろりと長い体を丸めてリビングの中へと足を踏み入れる。
1DK。単身者用のありふれた間取りで、居室は畳張りだ。足を踏み出すたびに、みしみしと音がする。どうやら築年数もそれなりのようだ。
家具は少なめで、家電の類も必要最低限しか見当たらない。
男の一人暮らしなんて概ねこんなモンなんだろう。ぐるりと部屋を見渡して、静雄は内心呟いた。
折りたたみ式のベッドが壁沿いに立てかけられており、それを広げると部屋の中は半分が埋まってしまいそうだった。一人で住む分には十分だろうが、これから一週間、大の男二人がこの空間で寝食を共に過ごさねばならないのだ。
改めて申し訳ない気持ちでいっぱいになる。できるだけ邪魔にならないようにと、静雄は長い手足をぎゅっと丸めて部屋の隅に座り込んだ。
「あんまり伸び伸びできる環境でもないかもしれんが、……まあ、気は使わなくていいぜ」
「お、おう」
ローテーブル、というよりも座卓と呼んだほうがしっくりくるような、使い古された円卓の上に缶ビールを並べながら
門田は共同生活に必要であろう最低限のルールを淡々と口にしていった。
風呂やトイレは好きに使え、食材はあるモンは食べていい。出かけるときは一言声をかけるように、鍵の置き場は――。
冷蔵庫から取り出したばかりの缶ビールが、静雄の手のひらの中でじわじわと汗をかいていく。
「悪ぃ、世話んなる」
「別に構わねえよ」
小気味のいい音をたててプルタブを引き起こし、続けて缶に口をつけた門田は、白い歯を見せて笑った。
「俺だって、悔しかったしな」
「あ?」
「お前がいつも人の倍は練習してるのは、俺が一番よく知ってんだからよ」
意外な言葉に、静雄はわずかに目を見開いた。


確かに自分は昔から指先が器用なほうではない。同じ教本を読んでも、臨也や門田であれば半日で出来る奏法を、一週間掛かってもろくすっぽ弾きこなせないなんてことは実にざらだった。複雑なリズムラインを刻むには、いまだに初心者のように運指練習から入ることだってある。
ベースは好きだし、ライブは楽しい。だからこそ、思うように上達しない自分の腕が歯がゆく、悔しかった。
人の倍時間がかかるなら、人の倍練習すればいい。そう思い至ったのは、割と昔のことのように思う。
部屋の中でも、外でも、暇さえあればベースの弦を弾いた。それが出来ない時は本を読み、ピックだけを持ってイメトレもした。まるで楽器が体の一部として取り込まれてしまったかのように、静雄は暇さえあればベースを弾いていた。
それは彼の中では息をするのと同じぐらい自然なことで、誰かに話したことはない。だから、こうして自分の努力を誰かに評価してもらおうと考えたことすらなかった。嬉しい反面なんだか妙に照れくさくて、静雄は勢い任せにプルタブを引っこ抜いた。
「しかし、確かにここ最近、急に演奏にムラっ気が出てきたよな。何かあったのか?」
「…………」
「話せないんなら、無理しなくてもいい。けど、お前の気が楽になるんなら、吐き出したほうが良いこともあるんじゃないのか?岸谷は、そのためにお前を俺んとこにやったんだろうしな」
「いや、あいつは多分そんな大層なこと考えてないんじゃねーか?」
厄介ごとを押し付けてさっさと帰りたかっただけだろうよ、というと、門田は小さく笑った。
新羅が口にした提案は、彼の言葉を借りるならば「慮外千万」――静雄や門田にとって、思いがけないものだった。
ドラムとベースはバンド演奏の基盤を担うパートとして、互いの呼吸を合わせることが非常に重要なポジションでもある。どちらかが崩れれば、もう片方が引きずられ、それはそのまま演奏そのもののバランスを崩すことに繋がっていくのだ。


『ドラムとベースはまさに恋人同士、……いや夫婦といっても過言じゃないんだ。
だから、静雄くんと門田くんは次のライブまでの一週間、一緒に過ごして息をぴったりに合わせてもらう。
僕とセルティのように親密な関係になれとは言わないけれど、軌道修正するなら、まさに今このタイミングしかないだろう』

一気にまくし立てる新羅に、静雄は「このアホは一体何語を喋っているんだ」と、半ば呆然と聞き入っていた。
彼が「馬鹿なこと言ってんじゃねえ」と怒るより、臨也が「そんなことで解決するなら苦労しないよ」と皮肉に笑ってみせるよりも早く、当の門田が「わかった」と了承してしまったのだから驚きだ。
冗談として笑い飛ばすタイミングすら失った静雄は、こうしてのこのこと門田の家に上がりこむ運びとなった。
「丁度デビューの話が出始めたころ、……いや、新曲の初披露のあたりか?」
「……わかんのか」
「逆にいうと、岸谷や臨也の鈍感さが俺には信じられねえがな」
門田の行動力や判断力には信頼を寄せているし、いい機会だから、自分の胸の内を打ち明けてしまうのも良いかもしれない。
目の前でうまそうにビールを煽る男につられるように、あまり得意ではない薄苦い液体を喉の奥へと流し込んだ。
「門田、」
「うん?」
アルコールが回りきってしまえば、言えるだろうか。
ずっと腹の奥底に押し込めて押し込めて、ぺっちゃんこに潰れてしまっているであろう想いを。
「俺な、ずっと……好きだったんだよ」
わずかに握り締めた缶がベコリと派手な音を立ててへこんだ。







彩深様、リクエストありがとうございました。

 
勝手に前後編にしてしまってすみません……!
一人で盛り上がった挙句、長くなってしまったので一度ここで区切らせていただきました。
後編もあと少しで書き終わるので、追々up致します。
来神バンドパロ…!楽しい!!


(2012.5.17)






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