甘く召しませ
※糖分過剰摂取注意
静雄視点(臨也視点ver.)
インターフォンのボタンを押して、そういえばこいつを鳴らすのは初めての事かもしれないと気付く。
臨也とこんな関係になる前にこの部屋を訪れた際には、こんなまどろっこしいボタンを押すよりも先にドアをぶち破っていたし、それ以降は部屋主であるあいつが招き入れてくれたので、何だか新鮮な気持ちになった。
ドア越しにぱたぱたと小さな足音がして、静まり返ったマンションの廊下に鍵を外す音が響き渡った。別段疚しいことをしにきた訳でもないのに、何故だか緊張してしまい、柄にもなく強ばった顔はいつも以上に不機嫌そうに映ったのかもしれない。
「……え、どうしたの?」
眠たげに垂れていた瞼を大きく見開いて、臨也はドアの前に立ち尽くす俺を呆然と見つめたいた。


「溜まった仕事を片づけたいから、しばらくそっちに行けないかも」というメールが届いたのが丁度3日前。
あいつの胡散臭い仕事は、俺とは違って不定期的にとんでもない山場がやってくる。仕事なら仕方がないし、そもそも普段から呼んでもいないのに勝手にやってくる奴を歓迎していたつもりもないので、俺は深く考えもせずに「分かった」とだけ返信をしておいた。お喋りな客人の居ない部屋は静かで、俺は久しぶりにゆったりとした一人の時間を満喫していた――筈だったのに。仕事を終えて、帰り道に買い込んだコンビニの弁当を頬張りながら、あいつはちゃんと飯食ってんのかな、なんて余計な事を考えてしまったのが良くなかった。
仕事にのめり込むと、臨也は滅多に飯を食わなくなる。食事をする時間すら惜しい、というのが奴の弁だが、ただでさえ細い体を想うと、いつか倒れるのではないかと見ている方は気が気でない。それとなくメールでも送ってみようか、と使いなれた携帯をぱかりと開くが、根を詰めて気づかないのではないかと思い至ってすぐにテーブルに投げ出してしまった。
「…………」
もやもやと考えているのは性に合わねえ。俺は財布と携帯だけを持って、部屋を出た。


「ちょっと邪魔するぜ」
たかだか数日会わなかっただけなのに、臨也の顔を見てほっとしている自分が気恥ずかしくて、素っ気なく言い放つと、返答も待たずに部屋へと上がり込んだ。
オフィスに到着する前に、駅のそばのコンビニに立ち寄って食材を調達してきた。初めはパッキングされた握り飯やパンを手に取りかけたのだが、「あいつはこういうの食わねぇだろうな」と延ばしかけた手を引っ込め、何となく目に付いたホットケーキミックスを適当にカゴに放り込み、小さめの牛乳パックと卵もまとめてレジに運んだ。
ダルそうにレジを打つ店員と向かい合いながら、料理すんのなんていつ振りだろうとふと考える。普段自分ひとりで食事をする時はファーストフードやコンビニの弁当で済ませてしまうし、臨也が一緒にいる時は大抵奴が台所に立っている気がする。
(……作れる、よな?)
ホットケーキなんて粉に適当に卵と牛乳入れて混ぜて焼くだけだろ。
後にその考えは甘かったと思い知らされる事になるのだが、この時の俺は深く考えもせずに暢気に欠伸をかみ殺したりしていた。


* * *


『だ、大丈夫ー……?』


遠くから不安げな臨也の声が聞こえて、俺は思わず作業の手を止めて小さく溜息を吐いた。あまり見たくはないが、チラリと手元に視線を落とす。フライパンの中は大惨事だ。
勝手の分からないキッチンで取り合えずフライパンやボウルを引っ張り出して、コンビニの袋の中から買ってきたばかりの食材を広げる頃には、何だか少し楽しくなってきた。小分けにされているホットケーキの粉をボウルに移して、さあ始めるかと卵に手を掛けた瞬間
ぐしゃ。
…………力加減を間違えた。軽く持ち上げたつもりが思い切り捻りつぶしてしまった。勿体ねえ。そういえば、俺は昔からこの力のせいでうまく卵を割れた験しがない。
慎重に慎重にボウルの淵に卵をぶつけて、何とか割りいれるまでに10分以上時間を要した。少し殻が入っちまった気がするが、もうそこは目を瞑る事にして次の工程に移る。
子供の頃、母親が俺や幽に作ってくれた時はホットプレートを使って焼いていた気がした。が、このキッチンにそれらしき物は見当たらなかったので、フライパンで代用する事に決めた。まあ、火が通れば同じだろう。
薄く油を引いたフライパンを火に掛けて温める間に、ホットケーキミックスを混ぜる。少し牛乳が多すぎたのかあまり粘度が無い気がしたので、適当に粉を足した。そうこうしている内に熱しすぎたフライパンからもくもくと煙が立ち始めた。慌てて火を弱めて、出来立ての生地をフライパンに流し込んでいく。
ジュウ、という音と共に何故か勢いよく煙が上がる。思わず火加減を覗き込んだが、つまみは一番弱火に設定されていてこれ以上どうにもならなかった。
(……何か…焦げてねぇか?これ)
まだ焼き始めてそれほど時間が経っているわけでもないのに、やたらと焦げ臭い。焼き色を見ようとフライパンいっぱいに広がった生地の下にフライ返しを差し込むが、底が見事に張り付いてしまっていてうまくいかなかった。
「チッ……」
力任せにガリゴリと削り、フライパンとホットケーキを無理やり引っぺがす。何とか裏返す事はできたが、所々炭のように黒ずんだそれはもはや食べ物とは思えなかった。
「酷ぇ……」
火が強すぎたんだろうか?それとも油が足りなかったのだろうか。
何がいけなかったのかはサッパリだったが、目の前のホットケーキが失敗作に終わったという事だけは、はっきりと分かる。
「シズちゃーん?」
がっくりと肩を落として火を止めたまさにその瞬間、背後から呼びかけられて思わず飛び上がった。俺とした事が、ノミ蟲がこんな近くに来るまで気が付かなかったなんて。
恐る恐る振り返ると、先程までは確かにパソコンに向かい合っていた筈の臨也が眉間に皺を寄せて立っていた。
「……何してんの?ていうか、何この匂い」
「な、何でもねえ」
すん、と鼻を鳴らしコンロを覗き込もうとした臨也の前に慌てて立ち塞がる。
「…………」
「…………」
しばしの沈黙と睨み合いの末、臨也は何度か体制を変えて俺が背後に隠しているフライパンを覗き込もうとした。こんな状態のホットケーキなんか見られたら何を言われるか分かったものではない。しかし悲しいかな、この狭いキッチンスペースでは小回りの利く臨也の方が圧倒的に有利だった。
「あ……」
「…………」
ふいをつかれて、とうとうフライパンを目撃されてしまった。
「ホットケーキ?」と呟く声に、仕方なく小さく頷いて応える。
残念ながら「こんな炭みたいな物見て、よくホットケーキだと分かったな」などと関心する余裕は俺には無く。適当な言い訳を用意するだけの柔軟性も持ち合わせていなかったので、そのまま口を噤んだ。
「……どうしたの?これ」
チラリと自分が作ったそれに視線をやって、改めてげんなりした。
真っ黒なフライパンに同化してしまいそうな程に焦げたホットケーキもそうだが、シンクの周りにはホットケーキミックスの粉が飛び散って、無残に砕けた卵の残骸があちこちに転がっている。
「……わ、悪ぃ」
深夜にいきなり押しかけて、勝手に張り切って空ぶって……。一体何をやっているんだろうと心底情けなくなり、自分が思った以上に沈んだ声が口をついて出た。
「お前、仕事にのめり込むと飯……食わねえ、だろ」
「…………」
「でも、マックとかコンビニの飯買ってきてもどうせ食わねえだろうし、」
「…………」
「これだったら失敗しないかと、思ったんだけどよ……」
喋れば喋るほど言い訳じみてしまう気がして、元々口が達者でない俺の言葉は、最後には尻すぼみに消えていった。
俺の言葉にじっと耳を傾けていた臨也は何も言わない。怒っているとも呆れているともつかない微妙な表情を見てそっと溜息を吐いた。
「……台所、汚して悪かったな」
せめて、俺が来る前まではどこもかしこもピカピカに磨き上げられていたキッチンを綺麗に片付けてから帰ろう。手にしたフライパンの中身を流しの隅に設置された三角コーナーに突っ込もうとした俺の背後から、臨也の腕がにゅっと伸びてきて、俺の手をがっしりと掴んだ。
「……ちょっ、待って!!」
唖然としている間に手の中からフライパンを奪取される。止める間もなく、指先で千切りとったホットケーキの欠片は、臨也の口の中に吸い込まれていった。
食べた瞬間のコイツの顔で、それがどんな味なのかは容易に想像がつく。
「やめろ。腹こわすぞ」
嫌味なこの男のことだ。俺の作ったそれがいかに酷い味なのかを述べる為にわざわざ目の前で食べてみせたのかもしれない。しかし、目の前の臨也は未だ無言を貫き続けている。
そんなに酷い味かよ。悪かったな、分かってるよ。さっさと処分させろよ――。
惨めな気持ちを悟られないように、発するべき言葉をぐるぐると頭の中に浮かべている俺に、臨也はごくり、何かを決意したように喉を上下させる。と、あろうことか残りのホットケーキをむんずと手で掴み、勢い欲噛り付き始めた。
「お、おい」
まるでハムスターみてぇに両方の頬いっぱいに詰め込まれたホットケーキは、口を上下に動かす度にゴリゴリとあり得ない音を立てている。焦げ付いたそれはきっと固くて美味くないはずだ。現に、もくもくと口を動かし続けている臨也は両目に薄っすらと涙を浮かべてすらいた。
シンクに置きっぱなしになっていた牛乳を手渡してやれば、飲み込みきれない固形物を流し込むように一気に煽って、ふう、と細い息を吐く。
……何でコイツこんな必死なんだよ。
「馬鹿かお前」
それでも、全て食らい尽くした奴が嬉しそうに笑うもんだから、俺はどんな顔をしたらいいのか分からなくて、少しぶっきらぼうな口調で言った。
「うるさいなぁ。捨てるなんて勿体ないでしょ」
「…………」
「美味しかったよ、……とは言ってあげられないけど」
手に持ったままだったフライパンを流しに置いて、臨也はそっと俺の頬を撫でた。
「嬉しかった。ありがとう」
こんな風に笑う臨也を、俺は久しぶりに見たような気がする。いつものどこか斜に構えたような笑顔ではなく、子供みたいにキラキラした顔で笑うコイツは、素直に可愛いと思う。あんな酷いものを食べさせちまったというのに、臨也は嬉しいと言って笑ってくれた。
嬉しいような恥ずかしいような、胸の奥に湧き上がるむず痒い感覚にたまらずに目を伏せる。
「また作って、ね?」
「……考えとく」
するりと耳元を擽るような手付きでかけていたサングラスを外され、クリアになった視界に映る臨也の顔は、やっぱり綺麗だと思った。



「……う、何かお腹いたくなってきた…………」
「……だからやめろって言っただろ」






THE男の料理。
きっとシズちゃんは分量はかったりしない。


(2011.8.25)



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