甘く召しませ
※糖分過剰摂取注意
臨也視点(静雄視点ver.)
そろそろ終電が無くなるという時間になって、ふいにオフィスのインターフォンが鳴った。
近々で仕上げなければならない仕事に追われ、ほんの少しの時間も惜しかった俺は、モニターに向かって小さく舌打ちをした。二度目のコール音に急かされるように、しぶしぶと玄関先に向かった。
少し考えれば、こんな時間に自分の元を訪ねてくるような人物は、一人しか居ないわけだが。もう三日も徹夜を続けて鈍った思考は、ドアを開けて来訪者の顔を目にするその瞬間まで、不覚にも当該の人物に思い至らなかった。
だって仕方がないじゃないか。俺の方から押し掛ける事は日常茶飯事でも、彼の方からこの部屋を訪ねてくれるなんて滅多に無い事なのだから。過去に数回招いた事はあるものの、それだって半ば強引に引っ張り込んだと言った方が正しいし。そもそも、ここ数日は忙しさからろくに連絡すら取れていないといった状況で、こちらから誘いをかけてすらいないのだ。
最後にメールを交わしたのは恐らく3日前。「溜まった仕事を片づけたいから、しばらくそっちに行けないかも」と伝えるだけの簡単なものだった。そのメールにも「分かった」と何の飾り気もない返信があっただけ。分かりきった反応だったにも関わらず、俺は少しへこんだ。
会いたいと思っているのは自分だけなのかな、と悶々としつつ、早く仕事を片づけて彼に会いに行こうと前向きに作業を進めることにしたのだが。
「……え、どうしたの?」
そのシズちゃんが、今目の前に立っている。驚きのあまり、我ながら「それは如何なものか」と言いたくなるような第一声で対応してしまったが、彼は怒るでもなく「よう」と普段通りのそっけない挨拶を返してくれた。
酔っぱらって終電でも逃したのだろうか。だが、一時期にせよバーテンダーなんて職についていたにも関わらず、少しでも酒を飲めば真っ赤になって前後不覚に陥る彼にしては至極涼しい顔をしている。
片手にはコンビニの物とおぼしきビニール袋を携え、まるで買い物帰りに立ち寄りましたとでも言わんばかりの出で立ちだった。彼の自宅から新宿のオフィスまでは電車で数駅の距離があるのだ。さすがのシズちゃんでも「散歩帰りだ」と言い訳するにはいささか苦しい距離ではあるだろう。
という事は、やはり俺に会うためだけに、こんな時間にわざわざ足を運んでくれた、という事なのだろうか。
おお、一気に目が覚めた。
「ちょっと邪魔するぜ」
ぽかんと口を開けっぴろげたままの俺の横をすり抜け、シズちゃんは律儀にも脱いだ靴を綺麗に揃えてから部屋の中へと入っていった。


* * *


来訪の目的はさておき、シズちゃんの顔を見られた事は純粋に嬉しかった。
しかし、悲しい事に溜まりに溜まった仕事は待ってはくれない。明日の昼までになんとか形だけでも作り上げてしまわないと、いよいよヤバいというところまできてしまっているのだ。取引相手があの粟楠会なので、遅れると何かと厄介な事になりかねない。
素直にその事実を告げると、シズちゃんは「お前は仕事してろ」とだけ言って、そのまま部屋の奥に位置するキッチンへと向かっていった。
「久しぶり、会いたかった」なんて甘い言葉は端から期待していなかったが、あまりの素っ気なさに落胆しつつしつつパソコンに向かい直して十数分。
(……何やってんだろ)
早くも俺の集中力は目の前の仕事から、恋人の元へと方向を変え始めていた。
シズちゃんが向かった先からは、時折ただならぬ音がする。何かを叩く……というより、叩き壊すような音と小さな舌打ち。何度かそれを繰り返した後は、ゴリゴリと金属を擦るような音と共に、なにやら異様な匂いまでもが立ちこめ始めた。
「だ、大丈夫ー……?」
控えめに声をかけるも、返答はない。
てっきりお茶でも飲みたいのかと思って始めこそ気にも留めなかったが、飲み物を用意するだけにしては流石に時間が掛かりすぎだろう。
しかも、この匂い。明らかに何かを焦げ付かせたような嫌な匂いが、オフィス内に充満しはじめている。
何だ、何してんだ。ていうか何しに来たんだ一体。
頭の中は疑問符だらけで、キーを打つ手は一向に進まなくなってしまった。仕方なく重い腰を上げ、パタパタとスリッパを引きずってキッチンへと向う。
「シズちゃーん?」
ひょこりと顔を覗かせて、あまり広くはないキッチンに突っ立っているバーテン服の背中に声をかけた。
俺の声に小さく飛び上がると、ぎこちない動作でこちらを振り返るシズちゃん。まるでイタズラを見つかった子供のような反応に、思わず首を傾げた。


「……何してんの?ていうか、何この匂い」
「な、何でもねえ」
部屋中に立ち込めるコゲ臭さの元らしき物の前で、彼は珍しくあたふたと視線をさまよわせている。何の気なしに、背後を覗き込もうと半身を折り曲げたが、シズちゃんはさっと横に移動してそれを阻止した。
「…………」
「…………」
うん、隠されると見たくなるのが人間の性というものだよね。
シズちゃんは俺よりも長い手足を駆使して必死にディフェンスを決め込むが、こんな狭苦しい場所でいつまでも隠し通せるわけもなく。
「あ……」
「…………」
背伸びをして、肩越しに隠されていた物を目にした俺は思わず間の抜けた声を上げた。
「……ホット、ケーキ?」
小さめのフライパンの上に乗かっていたのは、おそらくホットケーキ――になるはずだったものだ。底にこびりついてしまった生地を無理矢理剥がしてひっくり返したのか。綺麗なキツネ色をしたホットケーキの表面は見るも無惨にボロボロだった。
ホットプレートで焼くのと同じ要領でやると、大抵こういった失敗にたどり着くんだよねぇ。彼は普段あまり料理をしないはずだし(ジャンクフード大好きだし)、そういった知識が無くても別段不思議ではない。
そんな事よりも気になるのは、なぜシズちゃんが不慣れなホットケーキをわざわざ俺のところへやって来て作っているのか、という点だ。しかもこんな真夜中に。
「……どうしたの?これ」
俺の言葉を受けて見る間に萎れていくシズちゃんの姿を見て、言い方を間違えたかな、と少しだけ後悔した。
「……わ、悪ぃ」
困惑に満ちた俺の視線をどう捉えたのか、シズちゃんは消え入りそうな声で呟いた。
「お前、仕事にのめり込むと飯……食わねえ、だろ」
「…………」
「でも、マックとかコンビニの飯買ってきてもどうせ食わねえだろうし、」
「…………」
「これだったら失敗しないかと、思ったんだけどよ……」
蚊の鳴くような小さな声は、仕舞にはそのままフェードアウトしてしまった。俯いた顔はサングラスで半分程度隠れているが、それでもほんのりと赤みが差していることが分かる。
情けないことに、俺はあまりの衝撃にフォローの言葉のひとつも出なかった。だってあのシズちゃんが俺のために、だなんて。一体誰が想像できるだろうか。放って置けば三食ファーストフード、なんて彼にとっては当たり前で。「朝はロッテだったから昼はマックでバランス取った」などと訳の分からない理論を翳す彼の不摂生を正すため、料理をするのは今まではもっぱら俺の役目だった。
おかげでシズちゃんと付き合い出してからというもの、俺の料理のレパートリーは波江がドン引きするまでにめきめきと増えていったが、逆に俺がシズちゃんの手料理を振る舞われるという機会は全くといって良いほど皆無で。
「作って」とねだった所で、「面倒くせえ」と跳ね除けられるか、「食いたいならてめえが作れ」と言われて終わりだったのに。
そんなシズちゃんが、俺のために(どういうチョイスなのかは謎だが)ホットケーキを焼いてくれた。
…………徹夜の神様が見せた一夜の幻だったりして。

「……台所、汚して悪かったな」
すぐ片づける、と言ってフライパンを流しに突っ込まれかけて、俺はようやく長い長い思考の旅から現実に我引き戻された。
「……ちょっ、待って!!」
ギリギリの所でシズちゃんの腕を掴んでフライパンを奪い取る事に成功。まだ熱を帯びているそれを指先でつまんですかさず口に運ぶ。
「あ、」と戸惑いを含んだ声がしたが、構わずに一欠片口に含んで思わず固まった。表面は堅くてボロボロ、裏面は焦げて真っ黒、しかも真ん中は生というまさかのトリプルコンボ。お世辞にも美味しい、と言えたものではなかった。
「やめろ。腹こわすぞ」
あーあ。しょんぼりしちゃって。
小さく肩を落としたシズちゃんに、手の中のフライパンを奪い返されるより早く、行儀もマナーもなく素手で鷲掴んだホットケーキを数口に分けてばくばく、と口に詰め込んだ。
「お、おい」
頬いっぱいに収まったそれを、唖然としているシズちゃんの目の前で噛みしめるようにして租借する。ボソボソしてるのに噛めば噛むほどネチョネチョと粘着力が増してきて(恐らく中が生だからか)意を決して飲み込む瞬間には変な汗が出たけれど、シズちゃんが俺の為に作ってくれたものを吐き出すなんて出来ずに、涙目になりながらも強引に飲み込みきった。
「……ごちそう、さま!」
俺今ちゃんと笑えてるかな。いや、たぶんひきつった笑顔になってしまっているのだろう。シズちゃんは「水、水」とおろおろしながら、シンクに置いてあった牛乳パックをそのまま俺に突きつけた。
「……馬鹿かお前」
生ぬるい牛乳を喉に流し込んで一息つくと、シズちゃんが呆れたように呟く。
「うるさいなぁ。捨てるなんて勿体ないでしょ」
「…………」
「美味しかったよ、……とは言ってあげられないけど」
俺は「口から先に生まれてきた」なんて言われるような男だ。彼をその気にさせる言葉なんていくらでも思いつく。けれど、そんなはりぼてみたいな賞賛は必要ないと思った。
「嬉しかった。ありがとう」
目線を落としている彼の顔からサングラスを外して、そっと両頬を包み込んでやる。普段、シズちゃんを見上げてキスをするのは俺にとっては屈辱でしかないけれど。こうして俯いた顔を下から覗き込めるのはある意味利点かもしれないなあ、なんてのんびりと考えた。
「また作って、ね?」
「……考えとく」
料理なんて不慣れな彼が、俺のために一生懸命努力してくれた事が何より嬉しい。
服も手もホットケーキの粉まみれのシズちゃんと、旨く割れなかった卵の殻が無惨にも散乱してるなんて酷い有様のキッチンで、俺たちはメープルシロップよりも甘い甘い口づけを交わした。



「今度は一緒に作ろうね」
「・・・・おう」






いまだかつてないシズデレ(当社比)
シズちゃんは料理上手でも萌えるけど
個人的には下手な料理を一生懸命作ってる方が可愛くて好き。
静雄視点も後日upします。


(2011.8.14)




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