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BROTHERS×HOLIC:前編



 心地いい眠りを遠ざける、耳をつんざくようなアラーム音とは無縁の朝。コンコン、と少し抑え気味なノックの音で、ゆっくりと現実世界に意識を戻した。

「千秋ちゃん、朝飯できたけど起きられる?」
「んぅ〜…、むぅ〜りぃ〜」
「じゃあ、自分の好きなタイミングで起きて食べて。俺、今日は一限からだから先行くよ………千秋ちゃん」
「んぅ〜」
「千秋ちゃん」
「ん…」

 部屋の入口から中に入ってきた弟、貴春がベッドに腰を下ろした。その重みでベッドがギシっと軋む。

「俺、本当にもう出ちゃうからね。ちゃんと後で自分で起きなきゃダメだよ」
「…わぁってるってぇ」

 そう言いながらも、またタオルケットに頭から突っ込んだ俺に貴春がふっと笑った。タオルケットの上から、俺の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。

「行ってきます」

 俺の返事を待たずに、貴春はベッドから腰を上げた。待つだけ無駄だと知っているからだ。そのまま振り返ることなく部屋を出て行ったかと思うと、少しの間をおいて玄関の開閉音が聞こえた。
 朝食を作るだけ作って、自分は食べずに出ていく。アイツはいつも、作りながら味見で少しだけ摘まんで終わりなのだ。

「まぁ…、俺の為の朝食づくりだしなぁ」

 貴春は朝食をとらない。それなのにあのガタイ。身長175ある俺よりも更に長身で、180を優に超える貴春の体は、その身長に見合った厚めの筋肉を纏っている。だからって如何にもガチムチ!って感じじゃなくて、でもその肉体美は服の上からもわかって。簡単に言えばエロい体をしている。
 おまけに一番大事な顔面偏差値は異常値で、本当に血を分けた俺の弟なのか? と疑いたくなるような美貌を携え、老若男女問わず、TPOも弁えず人を誑し込んでいる。
 そんな容姿端麗な貴春だけど、実はめちゃめちゃ頭が悪い……とかって汚点でもあれば可愛げもあるのだが、見た目の期待を全く裏切らない頭脳の持ち主。だがどうしてか、アイツは高校も大学も俺と同じ学校を選んでしまい、両親を大泣きさせた。

『なんでって、同じ方が楽しいだろ?』

 そんな一言で、俺の後を追って同じ大学に入ったもんだから、自ずと一緒に住むことになったのだが。

「ンぁ〜…、貴春のせいで目ぇ覚めちまった」

 何度かベッドでゴロゴロした後、結局二度寝できず、Tシャツからはみ出た腹をボリボリと掻きながら起き上がる。柔らかい、さらりとした髪質の貴春とは全く正反対の、真黒で短い髪が逆立ちしたみたいに立ち上がっている。
 腹の次はその髪をわしゃわしゃと掻き混ぜ、先ほど貴春に撫でられたのを思い出した。
 全身のダルさを引き連れて部屋から出ると、リビングのテーブルにはラップに包まれ、チンするだけの朝食が用意されている。
 もう一度、ボサボサの髪を掻き交ぜる。

「アイツ、ほんと俺に甘いよなぁ〜」

 一つ年下の貴春が同じ大学に入り、もう一年が経った。そんな生活で再度確認できたことは、弟でありながら貴春は、兄である俺をいやに甘やかすということ。
 昔から妙に懐いてはいたが、正直可愛がってやった覚えは一ミリも無い。どちらかというと、いつも素行の悪い俺のせいで迷惑をかけていたというか、俺が家のことを何もやらなさすぎる故に、いつもアイツが手伝わされていたというか。
 それでもアイツは俺にキレたこともなければ、それどころか『一緒にいた方が楽しいだろ?』といって後をついてくるのだ。

 部屋の中を見回せば、ごみ一つ落ちていない綺麗な部屋。一緒に暮らしていても流石に寝室は別にしているが、貴春は俺の部屋までいつも綺麗に片づけてくれる。
 大学から帰ってこれば夕飯も作ってくれるし、時々は弁当も持たせてくれたりする。風呂だって洗濯だって、アイロンがけだって全部貴春がやってくれる。
 俺が泊まりで出かけるときは、その旅行の準備も全部やって送り出してくれる。まぁ、出かけるその期間、連絡を豆に取らされるのが玉に瑕って感じだけど。
 正直クソ面倒くせぇけど、それさえ守れば貴春が全部やってくれるから、そこは譲ることにしている。
 あと、最大に俺が我慢しているのが、

『千秋ちゃん』

 女みたいな名前が大嫌いで、親友にだって下の名前では呼ばせていない。でも、何度言っても貴春はやめなかった。実は一回、名前のことで貴春をボコボコに殴ったこともある…が、

『千秋ちゃんは、千秋ちゃんだから』

 そう言って、鼻血を出したってアイツは名前をよぶどころか、ちゃん≠キら外そうとしなかった。結局、俺が諦める羽目になった。

 起きたばかりでまだ食う気になれず、貴春の作った朝食を前にボケっと座っているとスマホがガタガタと揺れる。

『おお〜! 珍しいっ、嘉島が起きてた!』
「あ〜? なんだよこんな早くからぁ」
『いいから今すぐ飛んで来いよ!』
「はぁ? 俺今日昼からなんだけど」
『お前の弟! 貴春くんがめっちゃくちゃ面白事やってっから!』

 ガタッ、俺は飛び跳ねるようにして立ち上がった。

「どこでやってる!?」
『カフェテリアの前の芝生! 早く!』
「すぐ行くから! 貴春にもっとやれって言っとけ!」

 電話の向こうでゲラゲラら笑っている友人の声を容赦なくシャットアウトすると、俺は顔を洗うのも忘れて、パジャマを脱ぎ捨て適当な服を纏うと家から飛び出した。
 ……別に俺はパジャマ派って訳じゃねぇぞ。貴春がパジャマの方がよく眠れるって用意するから、仕方なく着てるだけだからな。


 大学について言われた場所に向かえば、青空の下に人だかりができていた。笑い声と、泣き声が混ざって何が起きているのかよく分からない。だけど、その中心に居る人物だけは分かる。

「オラ、どけどけぇ〜!」

 不満な声を上げる人垣を無理やり分けてみれば、やはり中心には弟、貴春が涼しい顔をして立っていた。だがその足元は、まったく涼しい雰囲気ではない。人が、しがみついている。

「お願いぃぃ〜お願いだからぁぁッ!」

 友人がかけてきた電話の面白い事≠ノは予測がついていたが、貴春の足にしがみつき大声で泣き叫んでいる相手は予想に反したものだった。

「え、……男?」
「嘉島、やっときたか!」
「三村、アレなんだよ。男?」
「一年のカナちゃんだろ、有名じゃん」
「なんだよ、やっぱ女か」
「いや、男の子。嘉島弟に猛烈アタックしてるって有名だったけど、知らねぇ?」
「知らねぇ。え、今回コイツ? ってことは」
「嘉島弟、守備範囲広いね〜。お願いだからもう一度抱いてってことらしいよ」

 マジか。いや、確かに昔から男にもモテたけど。実際に同性と体の関係を結んでいたとは初めて知った。だからって、別にそこまでビビりもしなけりゃ、割とどうでもいいんだけど。
 俺がケツポケットから出した煙草に火をつけたところで、貴春が俺に気が付いた。

「千秋ちゃん、もう来たの」
「お前が面白い事してるって聞いたから、飛んできた」
「ふ…悪趣味な」

 笑った貴春の顔に、野次馬たちがホゥっと蕩けた息を吐く。
 貴春の足元にもう一度目を向けると、男……と表現するにはいささか違和感のある、やたらデカい目の小柄そうな奴が期待を溢れさせた瞳で貴春を見上げていた。

「別れんの?」
「そもそも付き合ってなんかない」
「ははっ、ただの穴かよ! そんな泣きわめくくらい貴春のちんこが欲しいってか! そいつの頭でも踏みつけてやったら? そしたら『貴春さんがそんな人だったなんて! もうそのちんこも要りません!』っつって目ぇ覚めンじゃ…」
「いぎゃっ!」

 言い切るが早いか、貴春はマジでそいつの頭を踏みつけた。男は痛い痛いと泣き叫んでいる。俺はそれを見てゲラゲラ笑いながら、二本目に火をつけた。いつの間にか周りの笑い声は止まって、静まり返っていた。今が一番面白れぇ時なのに、アホなのか?
 弟からの大嫌いな名前呼びをあえて我慢しているのは、貴春が俺の要望にこうして応えてくれるからだ。美麗な弟の足元にしがみつき泣いた人間を数知れずみてきたけど、その度に俺はその相手に酷い仕打ちを所望した。その一度たりとも、俺の期待を裏切ったことがない。貴春は全部実行してくれた。

「はぁ〜! 面白れぇ! 最高!」

 さっきまで笑っていたことを棚上げした奴らから鋭い視線を浴びるが、気にしない。他人の不幸ほど面白いものはない。その楽しみをいつも貴春が作ってくれるのだから、名前+ちゃん付けだって許すしかねぇだろう?

「そういえば貴春、今日バイト代入る日だろ」
「はいはい、用意してるよ」

 男から足を外した貴春が、カバンから財布を取り出し俺に諭吉を5人差し出した。

「サンキュ〜!」

 短くなりつつある二本目の煙草を思いっきり吸い込んで、清純ぶった空を犯すように思い切り紫煙を吐き出す。
 因みに、キャンパス内は昨年から全面禁煙だ。




 あれから数日後、そいつは突然やってきた。

「あなたですよね、貴春先輩のお兄さんって」
「はぁ?」

 振り向いた先には、いつぞや貴春に頭を踏みにじられていた男が立っていた。人を覚えるのが苦手な俺が、特徴的な大きな目が印象的で珍しく覚えていた。

「ああ、あん時の」

 笑いを含めて言えば、そいつの眉が跳ね上がる。

「どうしていつも、貴春先輩にあんな酷いことをさせるんですか!? あなた、本当に兄弟ですか!?」
「何言ってんだ、お前」
「貴春先輩は優しい人です! あなたさえいなければ、本当はあんなことしない人なんです!」
「頭わいてんの?」
「全部、あなたのせいです! 全部全部、あなたさえ…いなければ……ッ」
「あ〜なに、分かった。お前アレか、俺に嫉妬してんのか」
「なッ!?」

 たまぁ〜にだが、兄である俺に妙な嫉妬を向けてくる奴がいた。今までは全部女だったが、男でも同じように嫉妬するんだなと妙に感心してしまう。そうして、ムクムクとわいてくる嗜虐心と優越感。
 多分俺は、こいつが今欲しいと思っているものを全部、持っている。

「そうだなぁ、俺は毎日貴春と同じ家で暮らして、手料理作ってもらって、一緒に風呂に入って全身綺麗に洗ってもらって、至れり尽くせりだもんなぁ〜。ただの穴としか思われてないお前らからしたら、そりゃあ〜羨ましい立場だよな、兄弟ってやつは」

 目のデカい男が、顔を真っ赤にした。ふっ、ざまぁ…と思って鼻で笑おうとしたら。

「……ぃ、く…に」
「あ?」
「抱いて…もらえないくせにッ」
「……はぁ?」
「あなたは! 貴春先輩に一生抱いて貰えないじゃないか! 兄弟だからっ、一生貴春先輩のあの熱を知らずに死ぬんだ! ただの一度きりだって、熱を共有できた僕らの方が余程幸せだ!」
「お前…兄弟と何比較してんの?」
「かわいそうなやつ。あなたを抱きたいなんて思う人、世界中さがしたってきっと見つからない。あの貴春先輩だって、きっと兄弟じゃなければあなたなんか眼中にも無い!」

 そのままプイと顔を背け、背を向ける男に呆気にとられ言葉が出ない。は? 兄弟でなんでセックスしたかどうかを比較をされなきゃなんねぇんだよ。俺が貴春に抱かれたことがなかったら、不幸だっていうのか? つか何で俺が男に需要ないといけねぇんだよ! 需要あるかもしんねぇし!?
 はぁ〜!?

「ウッゼぇええ! ムカつくぅぅぅうう!」

 じゃあなんだよ、俺も貴春と一発ヤれば、お前らはもう俺に太刀打ち出来ねぇってことか? そういうことだよな? なぁ!!

「やってやろうじゃねぇかよ、クソが」

 貴春は、俺の言うことなら何でもやってくれるはずだ。ちょっと一発ヤろうぜって誘えば、大して高くない貞操観念の持ち主だ、相手が兄であろうが適当に相手してくれるだろう。

「見てろよ男女のクソカマが……今度は俺がテメェの泣きっ面を踏んでやるからなぁ」

 絶対的な勝利を確信して、俺はどうやってアイツを嬲ってやろうか考えていた。これからの自分の行動が、どんな眠れる獅子を起こすとも、知らず。



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