龍クエスト
(Lv.3)
母さんが珍しく酔っ払って帰って来た。
と言うより、真顔の父さんにコアラみたいに抱き付きブチュブチュしながら、運ばれてきた。
お盆前に行われる町内会主催の祭り、その打ち合わせとかでここのところしょっちゅう出掛けては、獅子舞や太鼓などの練習に追われている商工会青年部の人達に、差し入れの炊き出しを作ったりしている様だ。

この日は、青年部の一員である町内会長のお孫さんが結婚するとかで、夕方から宴会があった。
俺は元気にハイハイする妹の遊び相手をしたり、一緒にお昼寝したり、朝からずっと妹を独り占め。忙しい本社からのテレビ会議で昼過ぎまでパソコンに齧りついていた父さんは、結婚祝いを買いにいくと言った母さんについていったまま、帰ってこないと思ったらそのままハンドルキーパーとして宴会にまで付き添った様だった。
くたびれた表情の父さんは、基本的に身内以外に警戒している性格だから気疲れなのか、それとも母さんが原因なのか。そこは判らない。ともあれどんなに遅くなっても七時には帰ってくる母さんが、こんなに遅くなるのは珍しかった。父さんの疲れた表情も頷ける。

町内会の宴会の後にも仲の良いご近所さん宅でお盆の祝盃に預かってきたのだろう。母さんは人見知りしないからすぐに誰とでも仲良くなる人だ。
でも酒癖は、息子の俺でさえ顔を覆いたくなる悪さだった。


「へへへ。ねー、ずちぇ、一緒にお風呂行こ〜?」

ご覧の通り。
何て言えば良いのか…妖艶?父さんを誘う母さんは、いつもが童顔で子供がいる様にはとても見えない人だから、こんな風に変貌すると父さんですら一瞬動きが止まる程だ。この世に敵なんかなさそうな父さんは、恐らく世界で唯一、母さんの機嫌だけを伺っている。母さんの機嫌が悪い時は一切口を開かない程度には。

「まぁだー?せんぱぁい、早く〜、もぉ待てないよ〜」
「…ロン」
「はい父さん。まな、抱っこしようね」

それからの俺の行動は早い。
寝てる妹をおんぶ紐で背中に固定して、無言で親指を立てる父さんから小遣いの一万円を貰い、外に出た。
ああなった母さんは父さん以上に変態だ。とても可哀想な事に、泥酔しててもしっかりばっちり覚えてる。翌朝になると何回発狂してきたか。死にそうな顔の母さんから『お酒は身を滅ぼすから飲まない方が良い』と、俺は何度も教えられてきた。

きっと明日の夕飯は多分、母さんお得意のチャーシュー入り餃子だ。俺の好物。美味しいから嬉しいけど、困った。今回はいつもより酔ってた気がするから、二時間くらいは帰れないだろう。

「まな、兄ちゃんとお散歩しよう」
「あーぶー」
「暗いね。怖くないように、お歌、歌おうか」
「あー」

まるい、まーるい満月。
自作の『お月見マーチ』を歌いながら暗い通りを抜け、繁華街に向かう。

時間は既に11時を回っていて、住宅街であるこの近所の店は大半閉まっていた。人影も殆どないし、夏休みで出掛けている家庭が多いから、家の明かりも少なかった。引き換えに、町内会の集まりはまだ続いている様で、公民館だけは賑やかだ。

此処から繁華街へは徒歩20分くらい。国道は沿線に沿うように夏ムードのイルミネーションで明るいし、繁華街の入り口にはコンビニもある、散歩にはもってこいの場所。

枝はどうか知らないけど俺は、特に夜一人で歩いていると誰もが道を開けてくれる。
子供の頃から夜のお使いがあると、父さんは俺に行ってこいと言った。母さんは駄目だと言うけど、父さん曰く、俺の顔は繁華街周辺では効果抜群らしい。
繁華街でバーを営んでる侑斗兄さんも苦笑いしてたから、そうなんだ。性格はともかく、俺は父さんに瓜二つ、らしい。自分ではそうは感じないけれど。
あんまり似てる似てると騒がれて、父さんは数年前から髪を金色にしている。昔は黒かった覚えがあるけれど、母さんは父さんの金髪を笑顔で「懐かしい」と言った。父さんが子供の頃に亡くなった祖母は金髪だったと、祖父から聞いた事がある。でも俺と枝は母さん譲りの、日に透けると赤茶色に見える黒髪。

侑斗さんは俺達の義兄で、父さんより歳上の自称、妾の子。
天涯孤独で後見人が居なかったから養子に入ったって言っていた。その時、母さんがくすぐったい笑顔で言った台詞を覚えてる。「先輩の優しさって、じわじわ来るから堪んない」って。
俺もそう思う。父さんが枝を容赦なく叩くのは、自分に似てるからだ。

俺が弱虫な事も。枝が負けず嫌いで打たれ強い事も。
多分見抜いてて、だからきっと、ああ言う態度なんだ。俺には手を上げない、でも話し掛けて来る事もない。父さんに話し掛けるのはいつも俺だ。口下手でも吃っても、時間が懸かっても、嫌な顔をされないから。父さんは俺の話なんか、聞いてないから。

「まな、寝ちゃった…?」
「ふみゅ…すーすー」
「起きたらお腹空いてるかな」

コンビニが見えてきた。
いつの間にか寝てる気配の妹のお尻辺りをぽんぽん叩いてあやしながら、何か飲み物と暇潰しの読み物を買って、粉ミルクを入れてきた哺乳瓶にお湯を貰おう。暫く時間を潰していれば、零時開店の侑斗兄さんの店が光を灯す筈だ。多分、枝もそこにいるから。彼女が来た事も伝えておかないと。

枝が良く読んでいる週刊漫画と、赤ちゃんのおやつ。結構色んなものを売ってるこのコンビニは、繁華街で働いているホステスのお姉さんや、海外の人も良く見掛けるお店で、本当に色んなものが売っている。

「新商品の試食なんですけど、食べていきませんか?」
「あ…有難う、ござい、ます」
「それお湯入れマスよ、冷やすしますか?」
「まだ起きないと思うから…熱いままで」

レジの女性バイトさんは中国の人みたいで、少し片言だったけど、きびきび働いていた。まなの哺乳瓶に手慣れた感じでお湯を入れてくれた所を見ると、お子さんが居るのかも知れない。

試食の豚まんは冷めてたけど美味しかった。
謝々、と簡単にお礼してレジ袋を受け取ると、にこって笑った人からも謝々と声を掛けられて。再見、て。誰かにまた会おうと言われるのは久し振りで、泣きたくなった。


「…ひぃ君、どうしてるかな」

コンビニで作ったまだ熱いミルクを哺乳瓶ごと振りながら、買った荷物を片手にコンビニを出た時だった。目の前を、人間が吹き飛んで行ったのだ。
がしゃんがしゃんと、コンビニの前に停められていた自転車が倒れる嫌な音。背中で震えた妹のお尻を優しく叩きながら、店内に戻ろうとした時に。


「おっ、悪ぃな…、あ、赤んぼ居たのっ?!す、すいません、当たんなかった?!」
「え、あ、」
「マジで申し訳ない…!然しパパさん若ェなァ、俺とあんま変わらないっぽいのに…ん?くんくん?お肉とラー油とたけのこの匂いがします」
「ちょ、」
「餃子…いや違ェ、こりゃ豚まんだ!豚まんの匂いだ!いっぺん食った事ある!うまいよなー、あれ。作るの面倒だからさァ、親父がお袋の時にしか頼めねーの、でもそん時は母ちゃんが父ちゃんでさァ、500個くらい食っちまうから戦争だょ、戦争。20個獲れたらイイ方でねィ」

サングラスを掛けた俺より背が高い男前が、吹き飛んだ誰かを片足で踏みつけながら覗き込んできた。ぺらぺら淀みなく喋りながら艶やかに倒していく、明らかに一般人ではない動きだった。見惚れるくらいの。


「だから俺ァ、どっちかっつーと、鮭かおかかのお握りが好きなんだ。明太子と塩お握りは取り合いになるからさァ。何処の家も大家族だと大変なんだょ、うちはビッグダディは居ないけど。俺よりデケェのは親父だけなんだけど。つーか親父の背中もデケェけど母ちゃんの存在感のデカさの前じゃ無力な件、パパさんも奥さんには勝てないだろ?」
「あ、の」
「女ってマジ怖ェよな…最近つくづくそう思うぜ、俺は。マジ腐女子怖ェ、あれは人間じゃねェ、魔物だょ。女は男を喰うんだ、パクリってな」


顔が、近い。
言っている事の殆どが判らないのは、やはり俺が馬鹿だから、だろうか。


心配げなさっきのバイトのお姉さんが口パクで警察呼ぼうか、と言ってるのが見えたけど、吹き飛ばされたり踏まれたりしていた不良達は俺を見るなり真っ青になって逃げていってしまったから、断っておいた。

「赤んぼマジ可愛い。天使。ちょ、ほっぺ触ってもイイ?イイなァ、俺も弟が欲しいの…苛められるばっかの底辺から抜け出したいの…」
「ぶー!」
「ほぇ」
「あ!待っ、」

ああ。
寝てる妹に迂闊に触ると噛まれる、と、教えるのは遅すぎたみたいだ。


「きゃー!く、喰われ…女性でしたかァアアア!!!」


と言う、見た目に似合わないサングラスの長身の悲鳴が響いた。



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