幸福が貴方の背中に見えた
ピリリリ、ピリリリ、と妙に高い音程で鳴る、呼び出し。エヴァンは軽くため息をついて、パステルブルーではない方の携帯電話、つまり仕事用のものを取り出して耳にあてた。
「なによ」
『いや、別に。明日の準備はできたかなぁと思って』
「…ぜんぜん出来てないわよ」
苦々しく言って、エヴァンが後ろを振り返る。そこはウォークインクローゼットなのだが、あちこちに服が散乱していて、さながらヒステリーでも起こした後のよう。
明日は、待ちに待った―――とはカオルの談である―――イザークとすごす休暇の日なのだ。
世間一般に言うデートというものに誘われたエヴァンは、着ていく服を選別していたのだった。
潜入していた時代のものを捨てずにおいて良かった、とエヴァンは思う。当然ながら普段は軍服ばかり、着飾ることに対して欲求を抱いたことがないのだ。仕事でもなければ先ず買いもしないような服が、クローゼットにはごろごろしていた。
着飾ろうと思えばいくらでも着飾れる。だが選択肢が多すぎて、どこまでやればいいのか分からなくなってしまっていた。
「何を着ていけばいいのかさっぱりだわ」
『そんなことだろうと思ったよ。普通のワンピースとかでいいんじゃない? 初めて会ったときもそれだったろ』
「…それは、そうだけど。そんなものでいいのかしら?」
『普通のデートなんだから、普通の服でいいんだよ。たぶん。それとも仮装みたいなドレスでも着ていく?』
「それは流石に嫌ね…」
『何かあれば向こうが買ってくれるさ。白のワンピースは? たぶん一度も着てないだろ』
そういえば、奥の奥にそんなものもあったか。
エヴァンは携帯を耳に当てたままクローゼットへ入り、目当ての服を取り出す。たしかにタグも付きっぱなしで、一度も着ていないものだ。サテン地のパールホワイトは、かの人の髪の色を連想させた。
「…よく憶えてたわね、こんなもの」
『買ったときに一緒にいたからね。…あのときはアリシアたちも一緒だったからよく憶えてる』
「…そう」
アリシア。すでに死んだ同僚の名前に、エヴァンもこの服を買ったときのことをぼんやりと思い出す。たしか淡いオレンジ色のほうを、アリシアが買ったのだった。
袖がかわいらしく絞ってあって、胸元や裾にも繊細なレースがあしらわれたこのワンピースは、アリシアのほうがよほど似合っていただろうとエヴァンは思う。
この服、忘れていたのとは少し違う。思い出さないようにしていたのだ。
『たぶん、今なら着てても違和感ないよ、きっと』
「今なら、ね」
プラントも秋めいてきた頃あい。これだけではさすがに寒いだろうから、上からキャメルのコートでも着ていこう。
エヴァンはそう決めて、ワンピースをハンガーごと取り出しておき、コートや同系色のバッグも出した。ごそごそする音を聴いて、カオルが言う。
『あ、靴はブーツでいいんじゃない。あと、バッグはピンク色で』
「えぇ…?」
『まさかモノが入らないから嫌だとか言わないよね』
「そのまさかよ。銃が入らないじゃない!」
エヴァンとしては至極まっとうなことを言ったつもりだったのだが、電話口からは盛大なため息が聞こえてきた。
『そんなもん必要なの? 初デートだっていうのにさ。ロマン無いよ』
「ロマンも何も、安全じゃなければ意味がないでしょう」
『大丈夫だって。街中じゃ銃がいるような物騒なことは起こらないよ、多分』
多分、でどうこうなるものか。エヴァンはこめかみがひくつくのを感じたが、カオルが言うことももっともだ。少なくとも初デートに銃を帯びていく女など、聞いたことがない。
何もないのも、妙に不安ではあったが。
「…何も起こらないことを祈っててちょうだい」
『切に願っとくよ』
電話を切って、エヴァンはカオルに言われたピンク色の小さいバッグも引っ張り出した。
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