同日、マティウス。
イザークは、久しぶりの休暇を謳歌すべく図書館にいた。―――正直、心中それどころではなかったのだが、本の返却期限が迫っていたことと、自室に閉じこもっていても落ち着けなかったからだ。
マティウスの図書館には、イザークの趣味である民族学の資料が豊富だ。戦争が激化する前は、よくここに入り浸って読書に没頭したものだった。
(……くそっ)
だが、興味深いはずの資料も今日はすべて上滑りする。しかもその原因は明らかで、イザークは本日何十度目になるかわからないため息をついた。
(エヴァン…)
会いたい。
声が聴きたい。
ともすれば浮かび上がる彼女の姿を打ち消そうと、何度頭を振っただろうか。
ダンスのあいだ放さなかった手には、未だエヴァンの温もりを思い出すことができる…あのまま離さずにおければどんなにか良かったろう。
『また会いたい…会ってくれるか、エヴァン』
『…ええ。イザーク』
別れるときには胸がふさぐようで、ようやく言えたのはこれだけ。せめて、連絡先くらい聞いておくべきだった。体が焼けるほど恋い焦がれても、連絡が取れなければ何もならないではないか。
(恋い焦がれる、か)
エヴァンジェリンに逢うまで、考えもしなかった。
女に興味が無いわけではないし、いつかはジュールの名を継ぐ後継ぎを作らなければならない責務もある。そのときには、母のような美しく強く、気高い伴侶を迎えたいと思ってはいた。
だがまさか、この自分が地に足がつかなくなるほど一人の女に夢中になるとは。
世界が変わったような思いだった。
「エヴァン……」
呟く名前さえも胸の内を熱くさせる。燃え上がるそれに焼き殺されそうだ。
それもいいか、と思ってしまう自分に、イザークは自嘲するしかなかった。
兎に角、全く精神安定にならない以上、図書館にもう用はなくなった。イザークが手にしていた本を書架へ戻そうと立ち上がったとき、いつの間にか目の前にいた男と目があった。
「…………」
互いの間に流れる気まずい沈黙。イザークは一目見て、その男が自分と相容れないタイプだろうと断じた。
明るい藍色の髪、切れ長のエメラルドグリーンの瞳。整った顔は線が細かったがどことなく精悍で………一言で言えば、アスランに似ていた。
それだけでもイザークにしてみればかなり気に食わない。アスランと違うのは、エメラルドの目があいつのように柔な光を宿してないことだ。
もっと鋭い。そして冷たい。
緊張を破ったのは男のほうからだった。
「その本、いいか?」
「なに?」
「本だよ。あんたが持ってるやつ」
男は、イザークが返そうとしていた民族学の論文集を指す。
イザークは猛烈に険悪な目で男を睨んでいたはずだったが、男は身じろぎもしない。
イザークが睥睨したまま論文集を突き出すと、男も黙って受け取った。お互いに、これ以上関わらないことが最善とでもいうかのように。
そのままイザークは男の横を通り抜けて、図書館を出た。
アスランが冷酷になったらああいう顔になりそうだ。なれるわけがないだろうがな―――イザークはそんなことを思う。
エレカのほうへ歩き出したとき、プライベートで使っている携帯電話が鳴った。示されているのは母の番号。
イザークはエレカに乗り、通話ボタンを押した。
***
図書館内。
イザークが立ち去った後、民族学の棚に先刻の青年が論文集を戻していた。
たまたま気になって見ていたら目があっただけのこと。本は単なる言い訳に過ぎない。
(イザーク=ジュール、ねぇ…)
一目で恋に堕ちていると分かったのは、自分の観察力が他者より上だからという野暮な理由だけではないだろう。
彼が愛しげに呟いたのが、見知った女の愛称でなければ気にすることもなかった。
否、見知っているというには、ある意味では知りすぎた女。
「エヴァン……か」
いつの間に二人が接近したのか知らないが、予想外ではあった。あの女にまともな恋愛など有り得ないと思っていた。
イザーク=ジュールよりも、俺のほうがあいつを知っているはずだった。
嫌な気分…上から見下されているような、置き去りにされたような。
それをなんというかを、青年は知っていた。
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