頬に触れた彼の手は、熱があるわけでもないのに、炎の先のようにあつく感じた。
イザークの手は大きくて、エヴァンの頬を心地よく包む。
「エヴァン」
イザークが、もう一度呼んだ。
エヴァンを見つめる彼は、切なげで、優しく―――先刻の怒った顔からは想像しがたいほど穏やかだった。でも、青い双眸の奥には揺るがない炎が見える。
エヴァンは思わずイザークに見入る。そっと近付いてくるイザークは、あまりにも魅力的な「男」だった。
「イザーク…」
エヴァンは、思わず一歩下がる。
もし、自分が普通の女だったら、彼に歩み寄っていただろうか? 考えもしなかった「もしも」が、脳裏を駆け巡った。
「逃げるな、エヴァン」
「…イザークっ」
「…俺から逃げるな」
切なさが増した、薄青い双眸に、エヴァンは何も言えなかった。背後にテラスの縁が当たって、もう逃げ場もないことを悟る。
息が詰まるほど高鳴っている心臓。だがエヴァンの頭の片隅では、警鐘がうるさく鳴り響いている。
彼を受け入れてはいけないと。
「エヴァン―――」
もはや吐息が出会うほどの距離。イザークの手がエヴァンのうなじにまわされた刹那、
「……っ」
「イザーク、それはだめです…」
エヴァンは、イザークの唇に指を当てて遮っていた。
距離は未だ変わらず。エヴァンの指さえなければ、二人は口づけていた。
「俺が嫌か?」
「いいえ…貴方はもう、私を捕えてしまってる」
ならばなぜ。イザークは目線だけで問う。
エヴァンは、微苦笑を浮かべて呟く。
「イザーク、貴方は私がなにをしてきたか知らないのです」
「アンノーンのこと…か?」
「母上にどこまで伺ったかはわかりません…でも、私は普通の女ではないんですよ」
エヴァンはやんわりとイザークの肩を押し戻す。
「…たしかに俺はお前のすべてを知ってるわけじゃない。だがそんなものはこれから知ればいい話だろう?」
「でも…知らないほうがいいこともあります」
目を背けて俯いたエヴァンの髪を、イザークは優しく撫でる。
「話せ、エヴァン。俺が知らないことをすべて」
「…知らないほうが、きっと幸せですよ?」
イザークは不敵な笑みを浮かべて、エヴァンの顎をつかんで上向かせた。
「知って幸せかどうか決めるのは俺だ。お前は話せばいい―――何もかも受け止めてやる」
瞠目したエヴァンに満足そうに笑ったイザークは、ちゅっと音を立ててその額に口づけた。赤くなったエヴァンが慌てたように額を隠したが、もう遅い。
「俺ともう一度踊ってくれるか、エヴァンジェリン」
「…はい」
再び口づけられた手。エヴァンは微笑んで、イザークのエスコートに身を委ねた。
流れだした曲は、軽快なワルツになっていた。
***
(やれやれ…)
なんだかんだあったようだが、もう一度ダンスに繰り出した二人を見て、カオルは息を吐き出した。
上手くいってくれなければ、こちらの苦労は水の泡。それだけは勘弁願いたい。
抜群に容姿が美しい二人が踊る姿は、見るだけでも思わず頬が緩む。ような気がする。きっと今、自分はぎこちなく笑っているのだろう。
(普通の恋愛っていうのは、これで正しいものかな)
よくわからないが、二人とも微笑んでいるならまあ悪くはないだろう。
陽気なリズムにのって踊る二人には、年相応な喜びと、輝きが見えた気がした。
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