ラヴ・ゴシップ踏み抜いて(前)







「お引取り願えますか」

低く面倒そうな、それでいてよく通る彼の声を今でもはっきりと覚えている。

「ガレーラの看板を、ナメてもらっちゃ困るんですよ」

りんりんと良く通るその声に応えて、迎え撃つ社員の雄叫び。踊りかかる海賊たち。
次々に繰り出される魔法のような縄捌きと真剣な面持ちに、私は一目で恋に落ちた。






 在りし日の美しい記憶を手繰る手を止めて、私はしぶしぶ眼を開く。
こうしていても仕事は終わらない。強い心を持って現実と向き合わなくては。
私は己をそう鼓舞しながらゆっくりと視線を下へ下ろしてゆき、そこに転がる幸せそうな寝顔を眺め下ろした。
どんな夢を見ているのか。だらしなく緩んだ口元からは「愛してるぜェヤガラちゃん……」
などという良く分からない言語が漏れている。
私は数秒だけ目を伏せると、手元のファイルの角を勢い良くその頭に叩き下ろした。
ダァン! という音が響き、勢い良く仰け反った副社長が驚愕の目線を私に向けている。
参考までに、私のファイルは暴漢対策に全て鉄板入りのものを用いている。

「おはようございます、副社長」
「いや……いやいやいやコラお前なに普通に挨拶してんだおはようじゃねえよ!
 死ぬところだったぞ今コレ! 危うく永遠に目覚めねェとこだ!」

これこれ、と副社長が指差してくるファイルの角を机からゆっくりと抜き取り、
表情を変えないままにそれを開いた。

「ドックの巡回を予定より早く終えていただいたようですね?」
「お? お、おお。どこも滞りなかったからな。
 特に今回3番ドックの連中はいい仕事してんなァ」
「大変結構です。ではそろそろスーツにお召し換えを」
「は?? スーツゥ?」

なんで? といかにも胡乱気な目線を向けてくる副社長に、返す目線がついつい険しくなる。

「今日は社長と一緒に水水新聞社の取材をお受けいただくと
 機に触れ折に触れお伝えしてきたと思いますが……?」
「やっべ……! あーあー、あーアレな!
 アレ今日だったな! 覚えてた覚えてた!」
「スーツ、お持ちですね?」
「ゔ!! …………ももももちろんだ。
 ッアー! いっけねえおれちょっと家に忘れモンを……」

 深く溜息をついて、続く言葉を聞かないままに廊下へと踵を返す。
ドアの外に置いていたスーツケースをガラガラと引っ張り込んで開くと、
先日職場に打ち捨てられていたスーツ一揃いが中からお目見えした。

「あれ!? おれのスーツ」
「職場に脱ぎ散らかして帰られた分です」
「そいつはラッキ……いや、その」

ごめんな。ともごもご口の中で呟き、繕うように笑みを浮かべた副社長にスーツを押し付ける。
失礼しますの声と共にぴしゃりとドアを締めた。

「……詐欺だわ」

誰にともなく呟いた声は敷き詰められたカーペットに沈んでいった。




「副社長はもう少し、どうにかならないんですか」
「ンマー、ご立腹だな。何かあったか」
「何かどころではありません。いつまでも借金は無くならない。
 普段の態度はあの通り。できないのなら仕方ありませんが
 しゃきっとしようと思えばできるんですから、普段からそうお躾なさるべきです」
「躾ってお前……」
「第一! 大の大人、しかもガレーラの副社長ともあろうお方が
 ヤガラレースに現を抜かして毎月のように大金(おおがね)摩っているとは何事ですか!」
「厳しいな」
「社長がお優しすぎます!」
「ンマー、少し落ち着け。パウリーがああなのは何も今の立場になってからのことじゃねェし。
 やるときゃやるんだからそれでいいさ。なぁパウリー」

社長の声にばっと後ろを振り向けば、そこには閉ざされたままのドアがあるだけだ。
過剰反応を悔やみながらゆっくりと前を向くと、ニヤニヤと悪戯っ子のように笑う社長が私を見ている。

「その調子で見てやってくれ。あいつには母あ天下ぐらいがちょうどいい」
「副社長をしっかり躾けろ、という社長命令ですね」
「ンマー、そういうことだ」
「社長命令であれば致し方ありません」
「素直じゃねェなぁ。スーツ一揃いきっちり自宅でアイロンまでかけてきといて」
「アイスバーグ社長」
「入ります! お待たせしました、アイスバーグさん!」

 威勢のいい副社長の声に会話を打ち切って、私たちは会食の会場へと向かった。
アイスバーグさんの言うことは間違っていない。
副社長はちゃんと仕事はこなすし、だらしないといったって私生活の範囲だ。
職業関係の付き合いしかない私が私生活まで首を突っ込むのは間違っている。
けれどもう少しどうにかなったっていいと思うのは私の高望みなのだろうか?

 会談の席で談笑する副社長は何ら恥じるところのない言動で記者たちに相対していた。
できればゴーグルも外して来て欲しかったところだけれど、アイスバーグ社長も
肩にティラノサウルスを伴っている以上、逆にあのぐらいのほうがいいかもしれない。
今回は水水新聞社の発行する月刊誌用のインタビュー記事らしく、
ガレーラのツートップにW7の今後を聞く、という主旨のもと新聞社社主との会食を兼ねて行われている。
賑わうような気安い店ではないが、ちょうど夕食時とあって店内の客入りは良く、あたりには美味しそうな香りが充満していた。
和やかに進んでいたインタビューの合間、ふいにこちらを見遣った副社長と目が合った。
彼は撮影班の皆さんと壁際に佇む私をじろじろと見つめ(セクハラで訴えてやろうか)、
こっちへこいと手招きした。
新聞社社主はアイスバーグ社長と話し込んでおり、取材班もそちらに集中している。
そっとテーブルに近づき、どうしました、と低く訊ねた私に、彼はひそり、と囁いた。

「おまえ、メシは?」
「……? 帰ってからいただきますが、それがなにか」
「え、なにかってここで食ってねえの! おれはてっきりあっちで食ってんのかと……」
「余計なお気遣いは無用です。用事はそれだけですか?」
「いやでもおまえ、ここのメシめっちゃうまいぜ?」
「当たり前です」

思わず吐き出した一言に溜息が滲んだ。W7が誇る水水新聞社の社主が市長を招く店がまずかったら大問題だ。
そんなあたりまえのことをあっけらかんと言ってのける彼に、ずしりとした脱力感が圧し掛かってくる。
負けてはいられない。気を取り直そうと一瞬眉間にやった指を取り去り、一言述べて副社長の前を辞そうとした瞬間。

「いやホント。ほら。少し食ってみろよ」
「い」

いえ、と続けようとした私の口に、無造作に肉が押し付けられた。
ぎゅむ、と歯に突き刺さる柔らかな触感と舌先に少し触れたソースが香ばしい。
いや、それどころじゃない。まったくこの、人は!
途端、バシャッ、という音と強い光が私を襲った。
はっとしてそちらを見遣れば、1人の記者がぽかんとした顔でこちらにカメラを向けている。
ついうっかり、反射的にシャッターを切ってしまったような体だった。
何事かとこちらを向いたカメラマン達が、途端、色めき立ってシャッターをきりまくる。

「スクープだぞ!」
「おいカメラこっち!」
「お2人はどんな関係なんですか!?」
「こらっ、よさんかお前達! 市長に失礼だぞ!」
「あっ……!」
「「すっ、すみませんアイスバーグさん!」」
「ンマー、パウリーお前もう少し気をつけろ。
しかしオッサン二人の枯れた話よりそっちが面白そうだな」
会合に飽きてきたらしい社長の、鶴の一声。
肩先で明らか状況を理解していないティラノサウルスがのんびり「ちゅー」と鳴いた。
「じゃっ、取材続行の方向で!」
「さすがアイスバーグさん、話がわかる!」
「お2人は交際中ということでいいですか!?」

あの人は!
やっとのことで口に押し込まれたものを飲み下して、副社長の手元から引っ手繰ったナプキンで口元を拭う。

「ちょっ……! と、みなさ、けほっ 違います!」
「な、なんだなんだ……!」
「あなたは……あなたという人は……!」
「おれのせいか!?」
「他の誰のせいだと思うんですか!」

 ぐっと暑苦しさを増した取材陣の迫り方に目を白黒させながら、
副社長は助けを求めるような目で私を見た。
その場から逃げ出す、という選択肢が一瞬頭を過ぎったが、
それこそ記者の好きようにあれこれ書き立てられてしまう。
私はともかく、社長秘書に手をつけたなどと書き散らされては副社長の立場が悪くなる。
違います、と再度発声しようとして、圧倒、されてしまう。

「……おい?」

焚かれるフラッシュの白い光と、迫る記者達の目線が自分に向いている圧迫感で、ひゅ、と喉が鳴った。
苛立って歯を噛み締める。私が、守らないといけないのに。ぎゅっと強く握った手のひらの痛みで闘志を燃やす。
私の様子に気付いたアイスバーグ社長が口を開きかけたのが目の端に映る。

「おい、やめろ」













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