「よるの10時になったらいつものところにおいで」


奴の言葉が頭の中で繰り返し、繰り返し何度も響いた。
あんな奴、もう二度と顔も見たくない。一発ぶん殴ってやらねえと腹の虫が治まらねえ。
あんな奴大嫌いだ。

本当はこんなこと、これっぽちも思ってない。これらは全て偽りの感情だ。
自己欺瞞の塊を原動力として、今日もあの忌々しい路地裏へと歩を進める自分が情けない。

既に手遅れだということは俺自身が一番理解している。
もう、あいつじゃなきゃイけない体にされてしまった。あいつにとって都合のいい身体に作り替えられてしまった。俺は奴の道具なのだ。そこにある愛はいつだって偽物に過ぎない。今すぐ粉々に砕けて塵になって遥か遠くに飛んでいってしまいそうなほどに脆く、滑稽な愛情。こんなにもちっぽけな愛が今の俺の全てだった。どうしようもないくらいに俺は奴を愛し、憎んでいる。

今すぐあいつに出会う前の俺に忠告をしてやりたい。
できることなら、下らない好奇心に負けてしまったあの時の俺に制裁を加えてやりたかった。
裁くのはあいつだ。いけないことをしてしまった俺に、開けてはならない箱を開いてしまった俺に実に分かりやすい形で屈辱を与えてくれるのは奴だけだ。

身も蓋もない言い方をすれば、あいつは薬なのだ。
大麻やら覚醒剤なんかよりもずっとずっと危険で甘ったるい薬。禁断症状が出るほどに、俺は奴に依存している。

今日の俺もまた、奴の言いなりになっている。自然と奴のいる場所へと体が動く。
これから大嫌いなあいつに会ってだいすきなきもちいいことをされると思うと興奮して気が狂いそうだった。息を荒くして目的地へと向かう。
あともう少し。
今この瞬間も奴は何処かで俺のことを虎視眈々と観察し、俺の必死で哀れな姿を見て嘲笑っている気さえする。
背筋がぞくぞくするような感覚を覚えながら道行く人々の流れに逆らい、歩く速度を速めた。空気が不味い夜だった。




***




見慣れた光景が目前に開けた。
雨が降っている訳でもないのに異様にじめじめとしているその路地には、以前会った時と全く変わらない服装と表情で男が壁にもたれかかってうつ向いていた。
高く通った鼻筋に、大きな瞳を持つ男だ。何度聞いても年齢だけは明かしてくれないのだが、見た目からして30代前半程であろう。実に女受けしそうな顔立ちで、同性愛者であること自体がとても勿体無いと思う。
夜のしじまにこつ、こつと響く俺の足音までもが彼に期待している。
顔をあげた彼は俺の姿を認識し、俺を試すように、にこりと芝居がかった笑みを浮かべた。
その瞬間、散々俺の欲望を塞き止めてきた心のダムが大きな音をたてて見事に決壊する。
引き寄せられるかのように足が動いた。不気味に微笑む彼に思いきり抱き付いて流れるようにキスをする。ほんの少し煙草の味がする彼の唇はびっくりするくらい冷たくて。
大袈裟に響く卑猥な水音は閑静な裏路地には余りにも馴染まないイレギュラー因子だった。
息ができなくなるまで深く、深く口付けを交わすとポケットに1万円札が5枚滑り込んでくる。
首を降って限界を伝えると、ちぱ、と音がして唇が離れ、間に繋がる銀の糸が儚げに途切れた。

息が整うのを待ってからポケットの中のブツをしげしげと眺めた。

「……5万円……こんな大金…いらねえぜ」

「……いいんだよ、取っておきな?いつか使うときが来るからさ」

くしゃくしゃになった5枚の御札。
彼はいつも俺に金を渡してくる。小遣いのつもりだろうか、餓鬼扱いされてるみてえであまりいい気はしねえし、毎度毎度こんな大金を渡されては申し訳なくてこいつに頭が上がらない。
2万円だけでもと思って男に返してやろうと試みたが、彼は断固として金を受け取らなかった。小さな声で謝ると、そういう子供らしくない所が可愛いと言われた。知ったこっちゃあねえ。




***




あのあと何回かキスをしたが、そんなものじゃ足りなかった。
彼は俺を連れてタクシーを呼び、怪訝そうな表情をした運転手を無視していつものホテルへと向かった。

ホテルの中へ入ると彼は財布からしわしわになったクーポン券を取り出して、いかにも面倒臭そうな顔をして受け付けにつっ立っている40過ぎのハバアと何かを話してはにこにこと笑っていた。
今日は5階の508号室らしい。
俺たちは木から落ちた林檎が地球の重力に従って真下に落下するように、ずっと昔から決まっていたことであるかのように、互いの手と手をぎゅうっと絡めてエレベーターに乗った。はっきり言っておくが俺たちは恋人同士でも何でもない。ただ一方的に俺が性欲の捌け口にされているだけ、のはずなのに。あまりにも当たり前に手と手が繋がったことに違和感を覚えなかったと言えば嘘になる。

ゆっくりと昇っていく階数表示をなんとなく見つめながら、右手に感じる冷たい体温がやけに心に引っ掛かって気持ち悪かった。
彼が急に口を開く。

「ねえ、承太郎くん。君、俺のことなんて呼んでたっけ?」

「…………てめえ」

名前。
そう言えば俺はこいつの名前すら知らなかったのだ。
しかし何故だろう、小学生の餓鬼みたいに胸にでかでかと名札がはっついていた訳でもねえのに、こいつは俺の名前を最初から知っていた。余計に気持ち悪い。

「ふふっ、やっぱりねぇ、俺の名前知らないよね。うーんでもなぁ……エッチしてるときにてめえてめえって呼ばれるのは流石に萌えないし…」

阿呆かこいつは。まず、俺に「萌え」を求めるところからして大きく間違っている。

「そうだなぁ…じゃあさ、『お兄ちゃん』って呼んでみてよ」

「絶対にやだぜ」

「えー!そこをなんとか頼むよ承太郎くん……あと俺のことシスコンだとか思わないでね…?」

俺がムッとした表情をすると、男はそれだけであはは、と楽しそうに笑う。

「うそだようそうそ。俺、島田って言うんだ。下の名前は流石に内緒だけど…改めて宜しくね?」

島田が握った手をぶんぶんと揺らして俺の目を覗きこんでくる。無視してやると「冷たいなぁ」何て言ってけらけらと一人で笑う彼は餓鬼みてえに無邪気だった。
丁度島田の笑いが収まった頃、テンプレートな到着音が鳴ってエレベーターが五階に着いた。

鍵を開き508号室に入った途端、体が浮いて視界がぐるんと傾いた。腰に鈍い痛みを感じてから初めて島田に突き飛ばされたことを理解する。彼が後ろ手に扉の鍵を閉めた音が不気味に部屋にこだました。あまりにも突然の出来事で混乱して頭が追い付かないうちに島田は俺に覆い被さってくる。
口の右端だけを吊り上げてニヒルに笑う彼は先程までのなごやかで無邪気な彼とはまるで別人で、彼の射抜くような瞳は一瞬で俺を支配し、畏怖させた。

固く閉じた俺の唇を割り裂いて無理矢理に舌がねじ込まれる。路地でしたときとは比べ物にならないほど乱雑で、猟奇的なキスだった。
突き飛ばしてやろうと思ったが、ゆるゆると勃ち上がった性器を柔く揉み込まれて、体に力が入らない。
んっ、ん、と溢れでる甘く上擦った声を聞くたびに絶望的な気分で頭がいっぱいになった。
勃起してるということは、こんな風に無理矢理口内を犯されている状況に少なからず興奮を覚えているということだろう。俺もかなりの変態らしい。
体はどこもかしこも敏感になり、彼の肌がほんの少し触れただけでもきもちいい、と思ってしまう。歯列をなぞられたり、上顎をねっとりと舐められたり、好き勝手口の中を荒らされすっかり息もできなくなって目が潤み始めた頃、ようやく彼の薄い唇が離れていった。手の甲でぐいっと口元を拭う酷く雄っぽい姿に胸が高鳴る。

今日はどんな酷いことをされるのだろうか。どんな風に可愛がって貰えるのだろうか。愛しい愛しい大嫌いな彼は温度の消えた黒い目で俺を見下ろしていた。見つめられるだけでぞくぞくと粟立った肌がぴちゃ、と舐められ、彼は俺の服を乱暴に剥ぎ取っていく。すっかり身ぐるみを剥がされてしまった俺とは相対して、彼は未だに上着すら脱いでいない。

「脱がせてよ」

肯定すると、派手な色をしたカーペットに無造作に寝転んで両手を広げた島田。

「あ、ついでにフェラもお願いね?しばらくシてないから溜まっちゃっててさあ」

最悪のオプション付きだった。
俺はこいつにイラマチオされるのが大嫌いだ。いつも手加減なしで喉の奥まで犯されるため、本当に辛くて吐きそうになる。だが、島田は顔色を悪くしてえづく俺の姿を見て同情するような善人ではない。
彼はただ、泣いて叫んで狂ったように懇願する俺の姿を見ていたいだけなのだ。いわば生粋のサディストというやつである。こんなやつのもんを今からしゃぶらなけりゃあならねえのかと思うと改めて憂鬱な気分になる。
鋭く尖らせた眼光に怨念をのせながら彼の服を一つ一つ取り去っていくと、この世に存在する悪を何一つ知らないような純白でカモフラージュされた、中にドス黒いもんがぎっしりと詰まっているであろう胴体が露になる。
眩しい白に思わず手が止まってしまい、はやくと急かされた。下半身に纏う衣服を全部取り払ってやるとやおら立ち上がった彼。
頭に乗っかったままだった俺の学帽が面倒臭そうに放り投げられ、彼の小さな手ががしっと俺の頭髪を掴みそのまま口内に彼のものが突っ込まれる。

「ああ〜……いい。やっぱ承太郎くんの口マンコ最高」

「っ…んんっ!……ぅ」

大の大人とはとても思えねえ下品な台詞をほざきながらぐりぐりと喉奥に性器が擦り付けられ、一瞬にして激しい嘔吐感が俺を襲う。

「んっ、んぅんっ!…んん…ぅん!」

「いいね…その表情……とてもっ…素敵だよ」

精神異常でトチ狂った性癖を持つ男のちんこをくわえている最低で最悪なこの状況。はやく逃げ出したいはずなのに、浅はかに勃起した自身の性器は与えられる苦痛に悦びを隠せない様子でふるふると震えている。
俺もこいつと同じようなもんだった。
彼の息遣いに、掛けられる甘い言葉に、その一挙一動に身体が害されて行く。

「そんなに勃起しちゃってっ…承太郎くんはとんでもない淫乱だね…」

「ふっ………ぅう、んんっ…」

生理的に流れ出た大粒の涙で顔を濡らしながら情けなく首を振ることしかできない俺は、ただただ無力だった。
彼は低く唸って俺の口内に射精した。
超絶倫な彼は全く衰えることのない性器を口から抜き、代わりに俺の口元をぎゅう、と手で押さえた。

「ほら、承太郎くんのだいすきなザーメンだよ、しっかり味わってから飲んでね?」

いつまでも奥歯にこびりついて残ってしまいそうなこの味は何度味わっても酷いもんだった。一度も好きだなんて言ってねえのに。
息を止めて飲み下した所を見届けた彼はさも愉快そうに笑って「よくできました」と言う。ぽんと頭に乗っけられた手の温もりだけで俺は全てを許すことができた。

「んー…あ、今思ったんだけどさ、なんで隣にふっかふかのベッドがあんのに俺たち床でしてるんだろーね?」

「今ごろかよ」

彼はぷっと吹き出してまたもや大袈裟に笑い出した。こういう子供っぽい所は素直に可愛いと思うが、「性癖が残念」というポイントがあまりに主張し過ぎている。こういう男とは絶対に友達になりたくない。

勿体ない勿体ない、といいながら俺をベッドの上に移動させた彼はいきなりぎゅうと俺に抱きついてきた。
何かよくないことの前兆である。

「今日はね、面白いもの持ってきたんだ。やっぱりいつも同じだとマンネリしちゃうじゃない?承太郎くんに喜んで貰えるように俺一生懸命選んだんだよ」

そんな気味の悪いことを言ってから彼がごそごそと紙袋から取り出したのは、

「ほら!すごいでしょ?バイブと手錠。高かったんだよねーこれ」

「っ!……てめえ…ぜってえそんなのやらねえからな」

「だぁめ」

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