02.22. -01-
その晩も古那屋は盛況で、さすがは旧市街屈指の宿屋といったところか。
他の客達とは離れた座敷にいるのに、賑やかな声が聞こえてくる。
ひとしきり飲んで、朱鳥は酔いざましに縁側に出ていた。
星空の中に満月が浮かび、夜の空気が火照った頬に心地良い。
「朱鳥?」
気を緩めていた事もあったが、突然名前で呼び掛けられてびくっとしてしまった。
どうしてか最近のこの人は、二人の時を見計らっては下の名前で呼んでくるようになっていた。
「何ですか、隊長」
「ちょっとこっちに来い」
荘助と信乃は既に帰っており、小文吾は女将に呼び出され、一緒に飲んでいた毛野も寝床に戻ってしまった。
今は、現八と二人きりだ。
言われるままに部屋に戻り、現八の側に腰を下ろす。
すると現八はこてんっと横になり、あろうことか正座した朱鳥の膝の上に頭を乗せてきた。
「うん、これでいい」
「……堂々とセクハラですか」
昼間に捕り物があって疲れたせいか、もはやどつく気にもなれずに朱鳥はされるがままになっていた。
「酒の席だろう、ケチケチするな」
「思いっきり素面のくせして何言ってんですか」
酒のせいであまり力が入らないが「このっ」とこめかみにデコピンをくらわせた。
すると、思った以上の痛そうな反応が見られた。
当たり所が悪かったらしい。
見ると爪の痕が残っている。
「朱鳥。」
「……はい」
「爪を切れ」
「はい」
さすがにまずかったと反省しつつ、痕をつけてしまった箇所にむにむにと触れる。
「楽しいか、それ?」
「ふふっ……さあ?」
いたずらっぽく笑ってみると、こちらを見上げた彼と目があった。
――ああ、もっとこの人の困った顔が見てみたい。
どうすればもっとこんな顔が見れるだろうか。
――どうしたらもっと私を見てくれるだろうか。
「どうした?」
「いいえ」
「……そうか」
現八は朱鳥の手を払うと、その手を掴んで自分のまぶたの上に置いた。
「冷たいな」
「あー、末端冷え性?ってやつでしょうか」
「……外に出るときはもっと暖かくしろ」
「考えておきまーす」
果たして上着を重ねたところで手足の末端がどうなるとは思えないが、どうしてか言い返す気にはなれなかった。