一.七
昨日は早々に仕事を終えて、定時前に、どころか巡回に行った仲間が戻ってくる前に上がることができた。
が、その為に昨晩までに知らされるはずだった上司――犬飼現八の罷免を、一緒に出勤してきた同僚の口から聞かされることになった。
それで詰所に着いてみると、先に集まった面々がちょうどその事を話題に、始業前の雑談に花を咲かせているではないか。
「何もたかが無断欠勤てだけで罷免するこたないよな」
「けれど、自分の責務をほっぽり出してるわけだし。そういった意味じゃ当然ちゃ当然なのか?」
「聞いたか!?上が、隊長の事『例の噂の渦中の人物』つってたらしいじゃねえか」
「例の噂ってーと、笙月院の坊主が鬼を捕まえたってあれか?」
すると、それを聞いた一人が生唾を飲む。
「まさか、その鬼の正体が……なんてこと」
「いやまさか」
「でもよ、もしそうだったとしたら」
話には加わらずにじっと耳を立てていたが、そうした隊員達の噂話もいい加減聞いていられなくなってきた。
「……バカバカしい。隊長は隊長でしょう」
「そ、そうだよな!ハハ……」
感情を表に出さないように声を抑えたつもりだった。
けれど、それを怒っていると取ったのか、笑って誤魔化された。
気まずい雰囲気に皆が冷や汗をかき始めている。
「あれ、乾サンどこ行くんすか」
「ちょっと上と話してきます」
このままでいる訳にもいかないと、朱鳥は部屋を出た。
「上って!?あ……、……行ってらっしゃい」
「――いつもだけど、思い切ったことしてくれるよな」
一人が、その背中を見送りながら呟くと、同意の声が上がった。
中には、思い出し笑いをする者もいる。
「ああ、突然隊長のことウジ虫呼ばわりしたこともあったな」
「いやでも、そういう所が良いっすよね〜」
「お前なんか、尻にひかれるだけだ」
「分かってますよぅ」
からかわれて、拗ねた素振りをするとあちこちから笑い声が上がった。
「……あんなんでも、正義感は人一倍なんだもんな」
「そこもいいっすよね!」
「お前はもう黙れ」
再び笑いが起こり、空気も和やかになりつつあった。
が、笑い声が収まると皆心配する様に、不在中の上司の席を見やる。
「あいつの言う通り、隊長は隊長だ。俺らの隊長を信じてやらないと」
「……わかってら」
「乾サンが行って駄目なら、俺らも何かできることしましょうよ」
「できることって……例えば?」
「欧米には『すとらいき』ってえのがあって、労働者が上に意見を通したい時に、一斉に仕事を休むそうですよ」
よくぞ訊いてくれた!とばかりに胸を反らして舌を回す。
が、感心の声は無く、代わりに叱咤が飛んできた。
「バカ言え。俺らぁ、憲兵だぞ!俺達が仕事休んで、誰が市民を守るんだ」
「あっ、そうか」
「……お前、そんな事言って。実は、仕事サボりたいだけじゃないのか?」
一人がしたり顔でからかった。
「何を言うんですか!そんなわけ無いじゃないですか!俺だって、この仕事が好きなんです!」
まるでこの先の展開を予測してほくそ笑んでいるようだったが、当の本人はそうとは気付かずに、口車に乗ってしまう。
「そうか……。いや、すまなかったな。……じゃ、この書類頼むな」
「え?」
そういうことか、と気付いた同僚達が、次々と笑みを浮かべた。
「これもよろしく」
「ええっ?」
「ありがとうな」
「ええっー!?」
「どうしたの、やけに賑やかじゃないですか」
騒がしくなった部屋へ、朱鳥が肩を落として戻ってきた。
「い、乾サン……」
向けられた助けを求める目、沢山の書類の束を抱える姿を怪訝に思いながら、始業に向けて支度を始める。
「おう、おかえり!どうだった?」
「全然ダメ。隊長の名前出した途端につっぱねられました」
「そうか……。あ、それとな。今日の内務は全部こいつが引き受けてくれるってよ」
「うえっ!!?」
親指を向けると、不意打ちを食らったようなすっとんきょうな声が上がる。
笑いを堪えている他の仲間の様子から、朱鳥は粗方の状況を察し、にんまりと笑った。
「そうなの?それはありがたいです!昨日の午後はずっと事務やってたから、しばらくはこりごりだと思ってた所だったんですよね。じゃ、よろしく」
書類を彼の机に移し、敬礼まですると、彼はがっくりとうなだれた。
「よーしっ、巡回いくぞー!」
「え、ちょっと待って〜!わわ、悪乗りは良くないですよーっ」
すがるような視線を背中に、何人かの同僚と詰所を出た。
ここ数日、どうもピリピリしていたが、久々に和やかな気になれた。
彼には労いと、小さな感謝の意を込めて、何か冷たいものでも買って帰ろうか。