novel | ナノ

躑躅に寄せて 壱

――ねぇ、知ってる?

 邪気のない澄みきった双眼が、こちらを見あげている。手には朱いツツジの花。その根元をくわえ、若はこう続けた。

「この花、吸うと甘いんだよ。ほら」

 告げて、もう一つ花をむしり俺に差し出す。口をつけると、なるほど、確かにほのかに甘い味がする。

「花の蜜ですね」

 もう少し気の利いた反応でも寄越せばもっと彼女を楽しませることが出来たのかもしれないが、生憎それほど器用に生まれついてはいない。それでも稽古の合間にこうしてツツジの生け垣のそばで休まるだけで楽しいのか、若は自分の花をあらたに摘みとってにこりと笑う。

「ね、おいしいでしょ?」

 無邪気に花の蜜を吸う姿がとても愛らしく、普段はひとから無愛想といわれるこの顔も、思わずほころんだ。柳生家とあらば、甘味などそれこそ贅を極めた一級品を普段から口にしているに違いないのに、この少女はあくまで素朴な子どもらしい感性で身近な幸せを見出だしている。それは何でもないことのようでいて、実はとても尊いのだと。……だからこそ俺はこの御方のおそばで唯一、気を休めることが出来るのかもしれない。

「ええ、甘いですね。それに良い香りです」

 一面のツツジはこれでもかというほど甘さと青さを含んだ春の香りを辺りに放っている。口に含むまでもなく、側に寄るだけでそれは容易に嗅ぎとれた。清らかでありながら漲るような生命力を感じる。
 だがその香りに囲まれればこの存在が希薄になってしまうような、まるで今このひとときが幻想なのではないかという錯覚をおぼえ、少し恐ろしい気もした。
 一方そんな春の威圧に何も感じていない若は、蜜を吸っては花を捨て蜜を吸っては捨てている。ぽとり、ぽとりとまだ鮮やかな朱の花弁が地に散乱する。なぜだかその景色が一層、俺をぞっとさせた。

「若、ひょっとしてこれを今日のおやつにするおつもりですか?」

 胸に湧いた畏怖を押し隠して、少し意地悪するつもりで尋ねてみる。そのくせ自分もまた一つ花を摘み採ってその根元をくわえた。
 甘い。が、すぐに味は唾液に薄まり植物独特の青臭さだけが口に残る。

「え?」

 正直過ぎるほど面食らった表情が返ってくる。やはりこの年頃の子どもにとって、おやつは生活における最重要項目であるらしい。花の蜜のささやかな甘さとは天秤に掛けられよう筈もない。

「ち、ちがうよ。これは、その……」

 予想に違わず、というより思った以上に慌てだして、若は何やらまごつき始めた。ツツジの蜜ばかり吸っているために今日はおやつを抜きにされるのではとすっかり怯えているようだ。両手に一つずつ携えていたツツジが彼女の不安を映すかのように、所在なさげに揺れた。
 少し意地悪が過ぎたかと顔に出さず苦笑して、俺は努めて彼女を安心させるようかがんで目線を合わせる。

「ご安心下さい、屋敷の者にこのことは秘密にしておきます」
「……ほんと? おこられない?」
「ええ、大丈夫です。しかしこれ以上ツツジの木を荒らされますと俺も言い訳が立ちませんので、今日のところはこの位で我慢なさって下さい」
「うん」

 まだ少し不安そうに、それでも控え目にはにかんで、若は素直に頷く。そして手に持っていたツツジの片方をこちらに差し出してきた。

「じゃあこっちが、いつきの分」

 あまりに屈託なく笑う、その姿に言い様のない切なさと暖かみを感じつつ、俺は喜びを精一杯表現しようと心から微笑みかける。

「ありがとうございます」

 小さなその手から渡された朱い花を、その甘さを噛み締めるように大事に大事に味わった。
 蜜の味はほどなくして消えたが甘い余韻は不思議といつまでもとどまり、胸中で柔らかな渦を巻いた。


***
 この想いはいつ生まれたものなのか。――そう自らに問えば、それは初めてお会いした時からと、まるで安い恋愛小説のような答えが出てくる。
 しかしどんなに陳腐であろうともそれは紛うことなき事実で、そして現実は小説のように美しくも清廉でもない。長年秘め続けてきたこの想いは最早恋という言葉だけでは収まりきらない位に複雑な色を帯び、奇妙に絡まる感情は濁った光を放っていた。
 憧憬、庇護欲、敬意、妄執、嫉妬、劣情……。ただの従者でいられたなら、こんなにも醜く苦しまずに済んだのだろうか。

 だが何故俺が貴女の側に仕えるのかを考えれば、それこそこの胸に渦巻く想いからで、ただの従者などとそんなものは虚しい欺瞞にほかならない。君主でありながら気をゆるせる幼馴染みでもある彼女は“護りたい存在”として、俺のなかに集約されている。
 今はまだ忠実な僕(しもべ)を取り繕うことが出来よう。主が進むと決めた道ならばどこまでもお供し、脅威となるものがあれば剣をもって屠ればいい。貴女のために生き、死ぬことが出来たなら、それは俺にとって無上の幸せ。
 けれども緩やかに流れる日常のなかで、それだけに止どまらない繋がりをどうしようもなく求めてしまっていた。特に貴女が以前のように屈託のない笑顔をこちらに見せたとき、またそれが自分以外の誰かにも向けられていると知ったとき。この身を焼き尽くすかと思える熱風が音もなく、激しく巻き上がる。
 それはいつかこの何気ない日々すら、蹂躙してしまうのだろう。だがそれでも貴女の側を願う俺は、愚かな反逆者に違いない。誰にも劣らない忠誠を自負しながら、いつだって主を裏切っている。従者という仮面の下に全てを黙することで。

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