novel | ナノ

躑躅に寄せて 弐

 麗らかな陽気の昼下がり。暖かな陽射しに包まれた縁側に、若は居た。
 彼女の姿を見つけた瞬間やや驚かされた。というのも、誰もいない縁側の床に一人きりで静かに横たわっていたからだ。何事かと訝しんで近付いて見れば、こちらの焦りなど知るよしもない若は随分と気持ち良さそうに瞳をとじている。すやすやと規則的な呼吸から、寝いっているのは明らかだった。早合点に苦笑しながら、俺はほっと息をつく。
 縁側の往来で寝転んでの昼寝など、屋敷の者が知れば眉をひそめそうではあったが、今日の陽気なら無理もない。離れにあたるこの場所のひと気の無さが一層心地よい微睡みを生んだことだろう。それに門弟を差し置いて誰よりも早く起床し朝稽古を日課としている精勤な彼女を、一体誰が咎められよう。うたた寝くらいは好きにさせてあげたい。
 そのままそっとしてこの場を立ち去ろうかとも考えた。しかし俺ではない誰かが彼女を見とがめ、その眠りを突然打ち切られる若の心境を推し量るとどうにも放っておけなかった。そんな自分に対し、俺も大概過保護の気質があるようだと呆れる。普段は主である若を立てる為努めて抑えているものの、誰の目にもとどかぬこうした状況におかれては自制がきかないらしい。
 余計なこととは承知のうえで、心の中での葛藤に降参した俺は眠る若のほど近くに座す。気配が眠りの妨げにならぬよう適度に距離をおいて。しかし音といえば風と主のごく小さな寝息しかないその空間はまさしく“二人”だけのものだった。今ここに生まれた、世界中で俺しか知らない特別な空気に胸が高鳴る。細やかながらもそれは間違いなく至福の時であった。 本当のところ、主の眠りを守る番など戯言混じりのたて前だ。俺はただ、若の時間を少しでも良いから俺だけのものにしたいと欲したに過ぎない。例えそれが言い訳に飾り立てられた自己満足の代物でも、俺にしか知らない時間を共に過ごすということに大きな意味がある。仮初のひとときとは言え、そのときだけは彼女を独占できているような錯覚を得られるから。
 外の庭に向けていた首を若の方へと巡らせる。御自分の腕を枕にして、胎児のように丸まっている無防備なその姿に、彼女が自分よりはるかに腕の立つ剣士であることを一瞬忘れさせられた。それはなんとも言えず甘ったるい感覚だ。呼吸に合わせて上下する背中と、何故だか普段にも増して女らしい円みを帯びている気がする細腰をじっと眺める。
 その肉の感触を、俺はまだ知らない。
 男に触れられることに慣れていない小作りな肢体は、乱暴に触れればあっけなく壊れてしまうような気すらした。にもかかわらずその柔らかさに残酷とも言える程指を沈め爪を立てる甘美を思い描けば、知らず溜め息が洩れる。たとえば今忠誠をなげうって豹変した俺に目覚めさせられ、貴女は驚きと困惑から涙を見せるかもしれない。だがきっとその姿すら皮肉なほど扇情的に違いないのだ。

 手を伸ばしさえすれば容易にその夢想は現実のものとなるだろう。しかし俺は音もなく唾液を嚥下することで、湧き上がる衝動をぐっと抑えつける。俺達の間に交わされた忠誠など所詮建て前に過ぎないのだが、その建て前こそが俺と彼女を繋ぐ唯一の鎖だ。少なくとも鎖に縋り縛られている内は、俺は主の意思に反して動くことはない。

 それでも、この想いを永遠に塞き止めることなど不可能だと分かりきっている。俺は使命でもなく義務でもなく、ただ己の心に寄るままに貴女の側に居るのだということを、貴女に知って欲しい。そしてまだ知らぬ美しさ、隠された醜さ、秘められた痴態に至るまで、貴女の全てを知りそれを俺だけのものにしたい。
 若がもぞりと動きを見せた。どうやらお目覚めになられるようだ。自ずから覚醒される前に、俺は彼女に囁き掛ける。

「若、若、起きて下さい。……ここで眠られますと御身体に障ります」

 若は俯せになって僅かに覗かせた顔を一度しかめて見せ「う……ん」と喉で鳴くような声を洩らした。そのあどけない様子に今しがた押さえ付けた情欲が再び暴れだすのを感じる。ふつふつと、重苦しい密度が胸の中にひしめく。
 いっそ、このまま口を寄せた耳たぶに噛みついてしまおうか。あまりに無防備なその腰に腕を回し、自由を奪ってしまえば良い。泣いて暴れる貴女を押さえ付け、身体の至る所に俺の跡を刻みつける。肌の滑らかさをこの舌で確かめ、貴女にはまだ知らない快楽を教えよう。
 より近くへ唇を寄せようと身を乗り出したそのとき、若の瞼がゆっくりと開かれていくのを視界の端で捉えた。俺は極めて自然な動作で若から身を離す。

「若、お目覚めになられましたか」
「――う、ん……。北、大路?」
「うたた寝でしたら此所は御身体に障ります。どうぞ自室にてお休み下さい」

 そんな風に白々しく従者を気取って嗜める。もし誰かがこの一部始終を見ていたなら嘲け笑ったことだろう。事実俺自身、己に対する嘲笑を噛み殺すのに苦心した。若は何も気付いておられない。それが救いで、同時に更なる自嘲を煽る。

「寝てた……のか、僕は」

 まどろみからようやく意識が解放されたらしく、若は少しバツが悪そうに此方を見上げ尋ねた。俺は答えのかわりに彼女にしか向けない穏やかな笑みを作って見せる。それは何も知らない彼女を、どこまでも安心させる。

「ええ、随分気持ち良さそうに……。御蒲団、御用意致しますか?」

 わざとからかうように告げれば、若はやや面食らった様子で、

「い、いや、要らん。さすがに今から眠るというのもな……」

 今は夕刻に差し掛かったかという時分だ。昼寝には遅いし、かといって本格的に床に就くには早すぎる。若がどういった返事をするかなど分かっていて俺は訊いた。

「左様ですか。でしたら、お茶でも御淹れ致しましょう。すっきりお目覚めになられることかと思います」
「あ、ありがとう。ちょうど喉が渇いていたんだ」
「ではすぐに御用意致します。お部屋にお持ちしますので」
「うん、頼む」

 跪いたまま一礼して、若が自室に戻られるのを見送る。その背はすっかり“柳生家次期当主”である。
 立ち上がると一人取り残された縁側の外で風が吹き、庭のツツジをさわさわと揺らした。盛りを過ぎた花はめいめい色を失い始め、強く吹かれれば弱々しく地に落ちていく。
 くすんだ花々の頭に皮肉めいたものを感じて一瞥すれば、先ほどまで堪えていた自嘲がこぼれた。
 とんだ、道化だ。
 眠りにつく前、朽ち落ちたその花を果たして彼女も見ただろうか。それを見て何を思ったのだろう。その問いは、愛に溺れたこの俺を受け入れてくれるだろうかというものとほぼ同義だった。訊けば或いは知ることが出来るかもしれない。醜く朽ちゆく様に、憐れと愛でて下さりはしないか。
 ――しかし、それを期待するにはあまりにおこがましく、独りよがりな願望だ。俺に手を差し延べるということは彼女もまた地に墜ちる危険も孕んでいるのだから。
 若の安らかな寝顔を思い出す。何も知らず、ただ春の陽気の暖かさに包まれて眠る貴女。その姿の、なんと愛くるしい。
 だがその愛らしさは無慈悲なまでにこの理性を揺さぶる。無垢な貴女を護りたいと同時にどうしようもない程壊してしまいたくなる衝動を、俺は徐々に抑えることが出来なくなっている。凡ては愛しく想うが故に。
 おもむろに縁側から庭へと降り、俺はツツジの咲く生け垣のそばに寄った。近付いてみれば甘い香りがぷんと鼻をつく。しおれて落ちた花弁を踏みにじり、まだ木にいくらか残っているみずみずしい花を二、三摘み採った。これを今からお持ちする御茶に添えよう、と。
 らしくもない趣向に若は驚くかもしれない。だがこの程度の反逆ならばどうか許して欲しい。今はまだ、貴女に触れたりはしない。貴女の信頼を裏切らない忠実な従者のまま御側にいるから。
 摘み採ったツツジの一つを咥え、その根元の蜜を吸う。幼き日に二人で味わったときのまま、ほのかに甘いそれは花の香りとともに恐ろしいまでの春を俺に感じさせた。

 心がざわつく。脳裏にあの方の幻影が揺れる。それは遠い記憶の中にあるあどけない双眼。今し方見送った、たおやかな背。朽ちた花を拾い愛でる白い手。目の前にうち投げられた華奢な肢体。
 清らかに醜悪に絡み合って襲いかかる白昼夢を吐き捨てるように、既に味のしなくなったツツジをぷっと口から飛ばす。地に音もなく落ちた花弁はそれだけが鮮やかで、俺はやはりその景色に言い様のない畏れを感じるのだった。



――了――

躑躅の花言葉「自制心」「節制」「初恋(白)」「燃える想い(ヤマツツジ)」

prev / next

[ back ]


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -