novel | ナノ

あやかしこいし 壱

 何故、あんな軽はずみなことをしてしまったのか……。
 九兵衛はそう、何度も自問する。おかげで知らなくて良いことを知ってしまい、それが今脳にこびりついて離れない。鬱々とした気分に思わず溜め息が漏れる。
(あんなもの、やはり観るべきではなかった……)
胸中、沈んだ声で呟く。


 彼女の云う“あんなもの”とは先程テレビで放送していた『夏の心霊大特集〜納涼百物語〜』この季節につきものの特別番組の類いである。南戸と西野が観ているところに九兵衛が差し掛かり、興味を引かれたのがそもそもの発端だ。
 最初は「くだらん」と鼻で笑っていたのも束の間、数分そこに止どまる内に制作者の意図にあっさりと嵌められて気がつけば自分もその番組に夢中になっていた。いつの間にか彼らに並び、見入る。
 気味が悪いのに先が気になって目が離せない。結末を見届けたら見届けたで恐怖が焼き付き取り返しのつかない事態に陥っている。全くもって質が悪いと歯噛みしながらも結局最後まで観てしまった。

 そのせいで今、寝室へと続く廊下を一人で歩きながら悔やんでいるのである。認めたくなかったが九兵衛は完全に“見えない何か”を恐れていた。いつもなら多少薄暗くても進んでいけるこの長い廊下ですら、今は恐怖心を取り払う為点けられるだけの電灯を灯している。しかしそれでも背中が冷えるような感覚は拭えずにいた。
 なるべく余計なものが視界に入らないよう足下ばかり見ながら進む。追われるような感覚に自然と歩みも逸った。――そんな歩き方をしていたからであろう、曲がり角から差す陰に気付かずそのまま思いっきり激突してしまった。
「―――っ!!」
 九兵衛が当たったのは平たく柔らかな感触。痛みは然程無かったものの、状況が状況なだけに声にならない叫びを上げる。心臓が胸を破るではないのかという位打ち鳴りしばらく言葉が出ない。その内に頭上から聞き慣れた声が降っておりてきた。
「若? どうなさいました」
 それではっと我に返る。見上げるとやはり思い描いた通りの顔が幾許の当惑を見せながら見下ろしていた。暴れ出していた心臓を押さえ、一息。ようやく声が出せた。
「す、すまん北大路、前をよく見ていなかったのでな」
 慌てて謝ると同時に恥ずかしさで顔が熱くなる。なんともばつが悪い。赤らむ頬に気付かれる前に下を向いた。
 北大路は湯浴みが済んだのか九兵衛と同じく寝間着姿だった。これから自室へ向かうといったところか。
「もう休むのか?」
 落ち着きを取り戻すべく曖昧な笑みを浮かべながら思いついたことを尋ねてみる。いつもと違う九兵衛の様子を知ってか知らずか、北大路は常と変わらぬ表情で静かに答えた。
「ええ、ただいま邸内の見回りを済ませて戻ってきたところです」
 ああ、と九兵衛は合点がいく。柳生邸が簡単には外からの侵入を許さない造りとはいえ、どんな方法で不意をつかれるか分からない時代だ。恨まれる覚えはないが将軍家の元指南役として名門柳生の名を馳せる九兵衛達を妬み付け入ろうとする輩は決して少なくない。
 その為夜には彼ら四天王をはじめとした従者が邸内を順次見回りに行くのだ。今夜は彼が当番であったらしい。
 広い敷地には九兵衛ら柳生家の人間が住まう母屋と住み込みの従者らが控える離れがあり、それらは回廊で繋がっている。二人がかち合ったのはそういった渡り廊下の一角であった。
「若こそ、もうお休みになられているかと思ってましたが」
 痛いところをつかれてぐっと息を飲み込んだ。確かにいつもならとっくに寝床に入っている時間ではある。だがまさかお化けが怖くて眠れないとは、……柳生家次期当主の名において絶対に言えない。
 そのとき――九兵衛にとっては非常に間の悪いことに、近くの雨戸が突然ガタンと音を立てた。
「わっ……!」
「!」
 北大路が油断のない目つきで音のした方を見る。注意深く雨戸に近付き手を掛けた。
 と同時にナァオと間延びした鳴き声が外から聞こえた。これはと思い開けてみれば、やはり輿矩が飼っているペルシャ猫が呑気に顔なぞ洗っている。廊下の明かりに顔をあげるとツンと澄ました表情で屋内に入り込んできた。
 やれやれと気ままなその後ろ姿が廊下の奥に消えるのを見送る。そのときになって初めて、北大路はある事態に気がついて固まった。
 それは自分の左腕。九兵衛が目をつむり、そこにしっかりとしがみついている。こればかりは流石の彼も動揺せずにはいられなかった。
「わ、若……?」
 戸惑うような気遣うような彼の声に九兵衛は応えられない。動転し北大路にしがみついてしまったことに自分で気付いて、物音を聞きつけたときとは比べ物にならない程どっと血の気が引くのを感じていた。己の失態を目の当たりにされて顔を上げる気力すら湧かない。
 黙りこむ九兵衛を察してか北大路はそれ以上追及しようとはしなかった。そのかわり腕をきつく握る彼女の手に、自分のそれを重ねる。落ち着かせるようにそっと。
 言葉の無いいたわりは何よりも優しい。そこから伝わる温かさによって、九兵衛の心は不思議なくらい軽くなった。自分の素の部分が露呈しても、彼は決して嗤ったり呆れたりしない。
 改めて今ここにいるのが北大路で良かったと思う。
「暗くてお足元が危のうございます。差し出がましいとは存じますが、お部屋までこの北大路をお供させてはいただけませんか」
「……うん」
 わざと下手な嘘で隠した気遣いに応じ、差し出された手をとると九兵衛は明るい廻廊を彼と進んだ。もう怯える必要はなかった。

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