約束

[heroine side]

落ちていく。落ちていく。既に光は失った。
ジュードの声と共に私の名を呼ぶ懐かしい声が聞こえた。……気がした。
落ちていく。落ちていく。いや、本当は落ちてはいないのかもしれない。分からない。浮遊感はある。落下するスピードが遅いのか、私たちが空中で浮かんでいるのか。それすらも分からない。それほどまでにここは暗い。右手の感触はまだある。助けたいと思う気持ちもまだある。でも、どうやって。わからない。

「ねえミラ。これからどうしよっか」

「どうするもなにも……、」

右手を引っ張ってミラの顔がうかがえる位置へとつく。困惑に包まれた表情のミラは下唇を噛んで顔を俯かせる。暗い空間。時に私の身体の中からなにかが弾き出されそうになる感覚が襲った。バチバチと。嫌な音をたてて。

正史世界から追い出された私たちが今いる此処は時空の狭間なのだろう。つまり正史世界と分史世界を繋ぐ空間。ルドガーが通っていく道。私たち二人だけでも行けるだろうか。

「ミラ」

分史世界へ行こう。そういう前に唇に人差し指をあてられた。人差し指がかたかたと小刻みに震えている。涙ぐんだ顔をあげてミラは小さく、だけどはっきりとこう言った。

「……あなたは正史世界に戻って」

…どうして。……どうして。一緒に分史世界へ行こうよ。そしたらミラはもう消えることに怯えなくてよくなる。分史世界にいるであろう彼らとさえ関わらなければもし世界が壊されたとしても自分が気づいてしまう前には消えているのだ。恐いもの無しなんだ。なのに……、どうしてミラは私から離れようとするんだろうか。

「ミラは私が嫌い?嫌いだからそういうこと言うの?」

「………嫌いってわけじゃない。ただ、あなたはまだ帰る場所がある。本物のいないあなたはまだ正史世界に居ることができる」

「私は……友達を失うのはもう嫌。本物とか偽物とか関係ない。ミラと一緒に居たい。だって私たちまだ全然話してないよ、話題尽きるまで話してないよ。………そんなのって、さびしいよ」

暗い空間に静けさが訪れた。もう話すことはないと言うようなミラは絡めた手をほどこうとして。それを拒むように頑なに力をこめた。痛いという彼女の声はとても冷たかった。バチバチと身体の奥から音が聞こえた。

「子供の我が儘に付き合っていられるほど私は優しくないわ。……はやく帰って。じゃないと…」

「ああ、手遅れになるだろう」

聞こえてはならない声が聞こえた。正史世界のミラ。隣に居るミラはルルの時のようには消えやしなかった。それはここが時空の狭間だからだろう。これで、ミラには帰る場所が無くなってしまった。バチバチと音が鳴り響く。気づけば自分の身体からなにかが漏れだしていた。

「ここは時空の狭間。人間が生身で来ては行けない場所。このまま長居していたら君までも狭間に飲み込まれてしまう」

「っ…、でも、ミラが……!」

「いいのよ。……これでいいの」

ぎこちない笑みを浮かべたミラに何も言えなくなった。どうしてそこまでして私を正史世界へと戻そうとするのだろうか。身体が泡のように融けてきた。

「ファルス、最後のお願いがあるの」

なに?とは言わなかった。ただミラの顔を脳裏に焼きつけるようにただ目を向け続ける。目と目を会わせる。私の空いていた左手に正史世界のミラの手が重ねられた。逆に汗ばんだ右手にも力がはいる。

「エルに、スープ…作ってあげて。レシピは……ルドガーの家の食器棚の裏に隠してあるわ」

パンッと右手が振り払われ、そのまま下へ下へまっすぐと落ちていく。それを合図に左手が引っ張られた。上へ上へと昇っていく。ミラを呼ぶ私はただ為す術もなく本当のミラに流されていくのみ。

(……嫌な女、)

ミラのミラに対する感情が聞こえた気がした。
彼女の姿はとうに見えなくなってしまったが私は上を見ることはなかった。認めたくなかった。また、大切な人を失ってしまったことを。
一滴、また一滴とこぼれ落ちた。何がとは言わない。胸に何かのしかかった、思い出すのはあの時の自分の言葉。「大切な人を守るためには何かを捨てなきゃいけないときもあるよね、そんなときでも側にいてほしいっていうのは子供の我が儘だよ。…世の中いつだって選択肢が散らばれているんだ……そういうときは本人の意見を尊重してほしい」と綺麗事を並べたあの時の言葉。

…世界を守るためにミラを捨てた。何かの本に書いてあった言葉をふと思い出す。目の前の人間一人も救えないで世界なんて救えるはずがないっていうやつ。あの言葉の通りなら私はきっと正史世界にいても皆の助けにならないのだろう。でも、私は帰らなければならない。ミラの主張は聞き届けた。


「約束……守るからね、ミラ…」



浮上する魂
(私は手を引く彼女の背中を見た)

2015.1/22



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