帝都ザーフィアス、その下町。
市民街とも貴族街とも違う、だが気の良い人間が集まる場所である。
宿兼酒場の二階、自らの部屋の窓辺で、長い黒髪の青年はぼんやりと外を眺めていた。
すぐ側には相棒……もとい相犬、ラピードがくつろいでいる。
暖かい日差しの中、どたどたと階段を駆け上がる音に彼は視線をそちらへ向けた。
明らかに焦って部屋に駆け込んでくるのは、見知った顔の少年だ。

「ユーリ!たいへんだよ!」
「でかい声出してどうしたんだ、テッド」

少年とは裏腹に、落ち着いた物腰で問う。
それに焦れたのか、テッドは彼の部屋の窓から大きく身を乗り出すと、外を指差して言った。

「あれ、ほら!水道魔導器(アクエ・ブラスティア)がまた壊れちゃったよ!
 さっき修理してもらったばっかりなのに」
「なんだよ、厄介ごとなら騎士団に任せとけって。そのためにいんだから」
「下町のために動いちゃくれないよ、騎士団なんか!」

呆れたようなユーリの言葉に、テッドはむくれて返す。
それに苦笑しながら窓辺を離れ、彼は昔なじみの名前を出した。

「世話好きのフレンがいんだろ?」
「もうフレンには頼みに行ったよ!でも会わせてもらえなかったの!」
「はあ?オレ、フレンの代わりか?」
「いいから早く来て!人手が足りないんだ!」
「テッド!テッド!下りてきなさい!あんたも手伝うのよ!」
「ちょ、ちょっと待ってよぉ……」

気が進まないのか、動こうとしないユーリ。
案の定、階下からテッドの母親の怒鳴り声が響く。

「もう、ユーリのバカ!」

言い捨てて走っていくテッドを見送って、彼は再度窓辺に近づいた。
首だけを伸ばし、外を見てため息をつく。
下町は水で溢れ帰り、たくさんの人が右往左往していた。

「騒ぎがあったらすっ飛んでくるやつなのに……」

昔なじみの顔がよぎる。テッドの言ったことが本当だとすれば、彼に何かあったのかもしれない。
だが、それよりも眼下の状況をどうにかする方が先だろう。

「あの調子じゃ、魚しか住めない街になっちまうな」

つぶやくと同時に、ラピードが先に部屋から出た。
それを横目で見ながら、ひらりと窓辺から体を踊らせる。
苦もなく着地すると、ちょうど下の酒場からテッドが出てきた所だった。

「ユーリ!」

口角を上げた笑みだけ返し、ラピードと共に歩き出す。
広場に続く階段を上がると、中心部にある噴水が見事に壊れ、とめどなく水を吐き出していた。
その周囲では、老若男女問わず誰もが溢れた水をかき出している。

「ユーリ!やっと顔をだしおったか!」
「ようハンクスじいさん。水遊びもほどほどにしとけっての、もう若くないんだからさ」
「その水遊びを今からお前もやるんじゃよ」
「げ」

悪態をつきながらも、すぐ側で水をかいている男と同じように、ユーリも手を動かし始めた。
それとなく観察してみると、下町の顔役と言えるだろう老人がもっとも必死になっているのが解る。

「まったく、世知辛いもんだ。貴族の魔導師様だっていい加減な修理しかしてくんねぇ」
「それでじいさん、やたら張り切ってんのか」
「責任感じてんだよ。修理代集めてたのもじいさんだからな。婆さんの形見まで手放してよ」
「けど、魔導師がテキトーな修理しかしなかったのはじいさんの責任じゃねぇだろ」

広場に溜まっていく水をかき出しながら、隣の男と話していると、腹の奥からふつふつとした物がわき上がってくるのが解った。
息を吐き、水道魔導器に近づく。溢れ出す水のせいで見え辛くはなっているものの、本来そこになくてはならないものが消えているのが見えた。
奥に居るハンクスに声をかける。

「じいさん、魔核(コア)見なかったか?魔導器の真ん中で光るやつ」
「ん?さあのう?……ないのか?」
「ああ。魔核がなけりゃ、魔導器は動かないってのにな。
 最後に魔導器触ったの、修理にきた貴族様だよな?」
「ああ、モルディオさんじゃよ」
「貴族街に住んでんのか?」
「ああ、そうじゃよ。ほれさっさと手伝わんか」
「……悪い、じいさん。用事思い出したから行くわ」

言って、背を向けた。何かを察したのか、ラピードもすぐ横に寄り添っている。

「まさかお前、モルディオさんのところにに行くつもりじゃあるまいな」
「貴族様の街に?俺が?あんな息詰まって気分悪くなるとこ、用事あっても行かねぇって」

そう言うも、ハンクスには解ってしまう。
ユーリという人物が、事の顛末を予想したときにどういった行動をとるかなど、下町の人間の誰もが知っていた。

「武醒魔導器(ボーディ・ブラスティア)で技が使えるからって無茶だけはするんじゃないぞ!」
「どうでしょうね、あいつ、下町のことだとすぐ無茶しますから」
「おかげで騎士団にも目をつけられおって…」

さっさと坂を上り出した彼の背に忠告を投げかけるも、聞こえているのかいないのか。
ため息をついたハンクスに、近くで水をかき出していた青年が笑いながら言った。

「まあいつものことですから、上手くやってきますよ」



坂を早足で上がり、市民街へ向かう。
結界に守られた帝都ザーフィアスの街には、多くの人たちが暮らしていた。
平和な、活気に満ちた街並みをユーリは横切って行く。
時折買い物で顔を出す幸福の市場(ギルド・ド・マルシェ)の支店を左手に見ながら、彼は街の中心に当たるザーフィアス城の方を目指し、さらに階段を駆け上がった。
市民街から長い階段を上がりきると、城へ続く門が目に入る。目的の貴族街は、その向こう側だ。
貴族街を仕切る少しばかりの段差がある位置には、両脇に騎士の姿が見えた。

「おい聞いたか?下町の魔導器の件」
「はい、故障したのを直そうと修理費を集めたとかで」
「ああ、連中宝物まで売って金を工面したらしいぞ」
「宝物ですか?」
「どうせガラクタだよガラクタ、1ガルドにもなりゃしない」
「1ガルドにすら?!どんな宝物なんですかね」
「だからガラクタだよガラクタ!ひゃひゃひゃひゃ…」

お世辞にも気持ちのいいとは言えない会話が聞こえてきて、思わず近くの草むらに身を潜める。

「あんなに言いたい放題じゃ、ハンクスじいさんも形無しだな。まあ確かにガラクタだけどさ」

独り言をつぶやきながら、手頃な小石を拾い上げると、それを騎士の片方に向かって投げつけた。
それはわりと直線的に飛んで、見事に騎士の額に当たる。

「おふ」
「な、な……誰だ!」

間抜けな声を上げて倒れた同僚を見て、もう一人の騎士が声を上げた。
そちらにも、今度は少し大きめな石を放り投げてやる。
同様に膝から崩れ落ちたのを見て、ユーリは呆れた声で言い捨てた。

「ガラクタの価値もわからねぇならお前らはガラクタ以下だよ」

それから貴族街の街並を眺め、整然と並ぶ豪奢な家々に嫌気が指す。

「ラピード、追えるか?」

問われて頷いた相棒は、貴族街の奥へと走っていった。それを見送って、ふと視線を上に向ける。
街灯に使われている魔導器の魔核が消えているのに気づき、ユーリは眉をひそめた。

「…ここも魔核やられてやがる。こりゃずいぶんと手癖の悪いのがいやがるな」

つぶやいてみるも、周囲で立ち話をしているらしい貴族たちに慌てた様子など微塵も無い。
その事実にまた嫌気が刺す。

「にしても、さすが貴族様の街。魔核のひとつやふたつじゃ誰ひとり騒がねぇときたか。
下町は魔核ひとつでお祭り騒ぎってのに…余ってるなら下町によこせってんだよ」

ユーリが独り言を声にした時、ラピードが戻ってくるのが見えた。
みっけ、と小さく言って相棒と共に彼の走ってきた方へと向かう。
貴族街に立ち並ぶその場所は、例に漏れず広くて大きい造りの豪奢な一軒家だった。ついでに言えば、庭には専用だろう馬車が泊まっている。
とりあえず正攻法として、正面の扉を叩いた。返事はない。

「なんか、人の気配がしねぇなあ……他に入り口はねえのかな」

もとより遠慮するつもりなどない。ユーリは家の周囲を見渡した。
見れば、ひとつ窓が薄く空いている。何のためらいもなく、彼はそこから家の中へ入り込んだ。
中は薄暗い。吹き抜けになっている広い一階部分を見回して、

「この家のどこかに、モルディオが潜んでやがるはずなんだが」

言いながら、その辺りにある扉に手をかけるも開かない。
一階を諦め、ユーリは階段を上がった。二階には、部屋がふたつ。
手前の扉を開けようとしてみるも、こちらも開かない。
これだけ厳重にしときゃ、窓ひとつ開いてても大丈夫ってことか。そう思いながら、彼は奥の扉に手を伸ばした。こちらもやはり開かない。

「どうすっかな…」

つぶやいたその時だ。小さな音に振り返ると、階下をこそこそと移動していく人影が見えた。
頭にフードをすっぽり被ったその人物の手には、水色に淡く光る丸い物体。
まさにユーリが探していた、魔核である。

「よし、お宝発見」

ユーリの言葉に、まずラピードが二階の廊下から飛び降りた。
素早い動きでフードの人物と玄関の扉の間に自身を滑り込ませる。
続いてユーリも廊下から飛ぶ。

「お前、モルディオだな?」

明らかに動揺が走った。
フードの人物はユーリとラピードを交互に見やり、意を決したように懐から何かを取り出すと、それを床に叩き付ける。
瞬時に煙が巻き上がり、一人と一匹の視界を覆い尽くした。
煙が消えた後には、モルディオとおぼしき人物の姿はすでにない。ただ、ラピードがその口に袋を銜えている。

「よし、よくやったラピード」

言って袋の中を確かめるも、目的の物は見つからない。

「魔核がねぇぞ……取り返して一発ぶん殴ってやろうぜ」
「ワン!」

苛つきを口にしたユーリに、ラピードが同意を返した。
それに頷いて、玄関の鍵を勝手に開ける。どうせこの家の持ち主は戻ってこないだろう。
扉を押し開くと、見慣れた顔の騎士が並んでいた。
まず、細い髭のある背の高い方が口を開く。

「騒ぎと聞いてきてみれば、貴様なのであるかユーリ!」

横の小さくやや丸い方も、呆れたように首を振りながら続けた。

「ついに食えなくなって貴族の家にドロボウとは…貴様も落ちたものなのだ」
「なんだ、デコとボコか」
「デコと言うなであーる!」
「ボコじゃないのだ!」

見知った顔にむしろ安心してつぶやくと、それを聞きとがめた二人から反論の声が上がる。
その間にも、フードの後ろ姿が貴族街の道を歩いていくのを視界の端に捉えていたユーリは、急ぎ足でそれを追おうとした。
が、デコボコの二人が眼前を遮る。

「逃げようとしてもそうはいかないのだ!」

そう言うその後ろで、馬車が走っていった。あの馬車は確か、先ほど庭先に停まっていたものだ。
はあ、とあからさまにため息をついて、ユーリは言った。

「逃げてるように見えるか?ああ、だから出世を見逃すのか」
「な、なんという暴言か!」
「取り消すのであーる!」

言うなり、デコは剣、ボコは槍を構える。
この方が手っ取り早くていいか、と答えてユーリもまた、ずっと左手にぶら下げていた剣を抜いた。

「蒼破刃!」

腕の魔導器が光る。声と共に青い衝撃波が地面を走ると、それに弾かれて二人はその場にひっくり返った。
だがそこは腐っても騎士。即座に立ち上がり武器を構えた。
それに口角をつり上げて笑うユーリに水を差すように、ばたばたと複数人の騎士たちがなだれ込んでくる。
二人とは違った色の甲冑を身につけている騎士たちは、三人を取り囲むように広がった。
その奥から、悠々とした足取りで、微妙な青色の長髪をした男が現れる。

「さすがシュヴァーン隊、こんな下民ひとり捕まえられないとは無能だね」

微妙な色の長髪は綺麗に後ろへ撫で付けられている。露になった額はやけに青白く、不健康ささえ感じられた。
それを助長しているのは、薄く塗られた青い瞼と唇にある。
どう聞いても嫌味の一言に、デコは背筋を伸ばして答えた。

「こ、これはキュモール隊長!とても見苦しいところを、であーる」
「キミたちのような生まれの卑しいヘナチョコ隊、騎士団にはいらないんだよ」
「ぐっ…シュ、シュヴァーン隊長にはご内密で、お、お願いいたします」

紫色の隊長服と、喋り方すら控えめに見ても悪趣味な男に、ユーリは何度目かのため息をつく。

「逃げたのが魔導器泥棒なら、逃がしたのは税金泥棒かよ」

がしゃりと剣を投げ捨てると、ラピードが袋を口に走っていくのが見えた。
飼い犬にも見放されるとは、とかなんとか言われるが、そんな言葉は意に介さない。

「毎度毎度急がしそうだね、ユーリ・ローウェル君。僕も忙しい身だけど、少しばかり遊んであげるよ」
「ったく、おまえらがそんなだからフレンが苦労すんだよ」
「あんな成り上がりの小隊長には苦労がお似合いだよ」

キュモールが軽く手をあげると、取り囲んでいた騎士たちが距離をつめてくる。
何をされるか予想はついたが抵抗はしない。さすがに多勢に無勢だ。まさか殺されるようなことはないだろうという楽観的な部分もある。

 「終わったら、いつものように独房にぶちこんでおいてくれよ。
十日も入れれば反省するだろうからね」

案の定好き勝手に小突き回され、キュモールの声がやけに遠く聞こえた。


prew
story

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -