I'll never forget you.



久しぶり、と呟いてなまえは菊の花を活けた。

何年振りかしら。

ここへ来るのは。


灰色の墓石は綺麗に磨き上げられている。

組の人が毎日清掃しているのだろう。


柏木は数年前、何者かに撃たれて死んだ。

しばらく経って事件が解決し、犯人は死んだと聞かされた時も

さほど驚きはしなかった。

ただ柏木が居ない事実だけが、滾々と心の中を蝕んでいた。


一介のしがない人材サービス営業マンだったなまえがここまでの地位にのし上がれたのは

すべて一重に柏木のお陰だ。

有料職業紹介のような事業を営む、小さな企業に新卒で入社したなまえは

ほんの数年前まで先輩や上司のセクハラに耐えながら

毎日ヒールの底を減らしながら、東京中を駆けずりまわっていた。



堅生会。

その名前を聞いたのも、ついこの前のような気がする。

指定された喫茶店に着いたのは、約束の5分前。

アイスコーヒーを頼んで、資料を揃えた。

プッシュ型営業を良しとするなまえが勤める会社に問い合わせがくることは

決してよくあることではなかった。

これはモノにしなければと躍起になってヒアリングを行っていた上司に

ある日ぽんと『お前行って来い』という形で送り込まれ、今に至る。


電車の中で資料を見返していて、なるほどと思ってしまった。

ようするに超ブラック案件の匂いがプンプンするのだ。

まず普段の生活で関わることはない、あちらの世界。

そしてそれを堅気の企業に入れようというのだから、簡単な話ではない。

成功報酬は大きいが、それには労力がかかりすぎるし

下手をすれば何をされるかわかったものではない。


言葉にならない溜息をついて、アイスコーヒーを見つめる。

すっかり汗をかいたそれはまるでなまえの代わりに冷や汗をかいてくれているかのようだった。


「・・・あの、お電話でお話した人材紹介会社の方ですか。」


降ってきた声にはっと我に返る。

顔を上げれば、そこにはクライアントと思しき男が立っていた。

てっきりパンチパーマかスキンヘッドが来るかと思っていたなまえは一瞬硬直する。


年相応に老けた髪と顔立ちをし、スーツをキッチリ着込んだ

年配の男性がそこにいたからだ。

それでも、その顔の傷とスーツの高級感は

なまえを怯えさせるのには大変役立っていたのだけれど。


「申し訳ない。お呼び立てしておきながら。」


時計は約束の時間を1分程度過ぎている。

律儀な男だ、という印象を受けた。

やってきた店員に同じものを、とオーダーすると

社会人としてのマナーというか、ルールというか。

どんな相手であれ名刺交換から始まる。


見たことのない威圧感のある名刺と、なまえの安物の名刺が交換される。

東城会若頭・・・

偉いのか偉くないのか、傍目には判断が付きかねる肩書の隣に

なまえが生涯忘れえぬ名前が黒々と刻印されていた。


柏木 修


電話番号も住所も書かれていないが、立派な代紋が刻印されたその名刺を

なまえは今も大切に持っている。




穏やかで凛とした柏木の態度には好感が持てた。

営業マンをやっていると、意味なく蔑まれることもある。

正当な商売のはずなのに、詐欺だと難癖をつけられたり

必死に商材を説明するなまえをニタニタと笑いながら侮蔑する客もいる

そんな中で柏木の態度は寧ろ

良心的だし丁寧で優しいと感じた。


堅生会で行えるのはあくまで日頃の態度改善や、最低限の学力をつける学習補佐等であり

社会人としての研修事項や面接対策等をなまえ側が担当すること

月平均3〜4名程企業と仲介をして欲しいということ

成功報酬の額は通常の1.5倍支払うということ

以上のようなことを双方確認し、話はとんとん拍子に合意となった。

どうせ上司も手を出さないであろうこの案件は、先行き不透明ではあった。

いくつかのスキームは立てていたものの、実際極道社会と関わりのないなまえには

その人材レベルがどの程度のものか、予想もつかなかった。


「骨の折れる仕事だとは思いますが、何卒宜しく頼みます。」


すっかり氷の解けたアイスコーヒーで口を湿らせると、柏木が頭を下げた。

スーツの内側にタバコのパッケージがちらりと覗く。

商談の場でタバコを吸わない柏木の態度にも、好感を持った。

思えばこの時すでに、なまえは柏木に落ちていたのかもしれない。





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