It is strange that you should not know it.



好き、という感情よりは、憧れに近かった。

時たまふらっと事務所に出入りするなまえを追う目線は

自分だけではなく、往来を行き来する皆がそうなのだろう。


それでも、凛としたヒールの音がコツコツと響く音

今にもサラサラと聞こえてきそうな、清潔な髪

スラッとした肢体、いつもキチッと決まったスーツ

通り過ぎたときにふわっと香る芳醇なシャンプーの香り

「今、居る?」と尋ねる、高くて透き通った声

お目当てが自分の親父だとわかっていても、騒めき立つ心は動悸をやめなかった。



「親父なら、書斎に居てはります。」


いつもこの一言しか交わさない。

ありがと、と微笑むなまえの視線の先に、南は居ない。

真島組に訪れるなまえの目的はいつも真島吾朗だった。

飲み物を運ぶといつも机には書類が広げられ、真島と向かい合って何か話し込んでいるので

何かしら仕事で訪れているのだろうとは思う。


ただ、運転手が何度か親父を送った先――― 自宅ではない場所。

気まぐれな真島はいつもどこかしら女の家を彷徨い歩いているものだが

ここ半年程、同じ場所へ通っていると聞いた。


広いようで狭い神室町。

運転手が零したその場所から、朝早くなまえがどこかへ向かうのを見た。

立ち尽くす南に、そこへ車を寄越すよう真島から電話が来たのは

ぽぉっとなまえに見とれていた、まさに数分の出来事だった。





「ほな、あとやっといて。」


書斎の扉が開く音が聞こえて、続いて真島が現れる。

立ち上がり、お疲れ様ですと声をかける。

そういえばそろそろ東城会役員会の時間だった。

珍しく事務所で書類仕事をしていた南も同様に立ち上がり、真島を見送る。


今日も何事もなく過ごしてくれるだろうか―――

いや、親父のことだから上に一泡吹かせてくるだろうか―――


期待とも心配ともつかない感情が胸の中で縺れる。

こちらを見返りもせず、その細い躯体がエントランスへ消えて行った。


ふと、まだなまえが出てきていないことに気づく。

組長の女とはいえ、重大機密が隠されている書斎に外部の人間がひとりとは忌々しき事態だ。

真島に出した飲み物を片付けに行きがてら監視をしようと、南は席を立った。

初めての二人きりというシチュエーションだという小さな期待は

仕事の為と胸の中でかみ殺して。


「失礼しやす。」


真島の不在はわかっているのだが、とりあえずノックして扉を開ける。

そこには、組長の椅子に座っているなまえの姿があった。


「あぁ、ごめんなさい。」


仮にも社長の椅子だ。外部の人間が勝手に座っていいはずがない。

わかっているのか、なまえも少し申し訳なさそうに声をかける。

普段と違って眼鏡をかけたなまえは、何やらパソコンを叩いていた。



「真島さんが、パソコン全然わかんないって言うものだから。」


全然使えないくせに新しいもの好きな真島が最新型のパソコンを導入したのはつい最近だ。

大きなマホガニーのデスクに設置されたそれを真島が使用しているところを

南は一度足りとて見たことがなかった。


東城会内部の内輪資料くらい見れるように設定しとくから・・・と

パチパチ何かを打ち込みながらなまえが言う。


「へぇー・・・ 言うてくれはったら、俺らがやりますよって。」


カチャカチャと茶器を片付けながら南は声をかける。

パソコンに集中しているなまえは、ふふっと口元だけで笑っている。

これはチャンス、とばかりに南はなまえを凝視した。

親父の女だとわかっていても、いい女であることは否定のしようもなく。

眼鏡の下で細々と動く長い睫を凝視することも

桜色でツヤツヤと光る唇の動きを眺めることも

右脳のなかでしかありえなかった事実である。


「教えたら、できるの?」


意地悪そうな笑いを口元にたっぷりと含んで笑うなまえ。

そりゃあ中卒だし喧嘩(とカラオケ)以外に何の取り柄もない南だが

若い分、デジタル機器の扱いには慣れ・・・るのが早いはずである。


「・・・教えてくれはったら、親父の役に立てるかなって・・・」


嘘だ。

教えて貰えるなら、それだけなまえと一緒に居られる。

話す時間が増える。

もっとこの美しい女を眺めていられる。

親父じゃなく、俺もこの事務所を訪れる目的に含めて貰える。


我ながら女々しいことを、と思いながらも直立不動でなまえを凝視する。

パソコンからふと顔を上げたなまえが、一瞬理解できないように目を丸める。


「・・・真島さんって、愛されてるのね。」


その日から、毎日1時間

なまえによるパソコン講習が始まった。




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