ラ・モー





今夜はやけに冷える。

先ほどからどれだけ暖かいコーヒーを飲んでも温まらない指先を

伸ばした袖の中でこすり合わせながらカップを包み込む。

こんな夜は、思い出してしまう。

彼は熱いものが苦手だった、と思いながらコーヒーの表面に息を吹きかけた。



西谷と出会ったのは、春先のまだ雨の冷たい時分だった。

それでも今程刺すような冷たさはなく、生命が一生懸命芽吹こうとしているような

青々しい、柔らかい雨が降るような日だった。

新入社員が元気に毎朝挨拶をしてくれるのを、どれ位持つのかなと漠然と考えながら

職場と家との往復の日々に嫌気がさすこともなくなって久しかった。

仕事帰りにたまに飲みに行ったりはするけれど、ルーティーンを崩してしまう事の方が

却ってストレスが溜まることを知ってからは直帰する日の方が圧倒的に多かった。



「救急車、呼びますか。」



片手にスーパーの袋を、片手に折畳傘を持ったなまえが声をかけてしまったのは

その行動で何かが変わることを期待していたのかも知れないと、後になって思う。



「いや、ええわ。おおきに。」



ゴミ捨て場の脇で、ぐちゃぐちゃになったスーツの男が座りこんでいた。

力のない笑顔で口先だけの感謝を述べた男の髪は恐らくキチンとセットされていたのだろうが

見る影もなく乱れている。

汚れた指先で鼻血を拭うと、顔は更に汚れた。



「怪我、されてますけど。」



バッグの中に常備してある絆創膏を、とりあえず差し出したけれど

すっかりボコボコな満身創痍の状態では、焼け石に水だとわかっていた。

男もそれがわかっていながら、何かの汚れと更に血がついた指先で絆創膏を受け取り

おおきに、と笑った。



見るからに筋者だとわかった。

羽振りの良さそうな風体をしているが、一般人のオーラが全く出ていない。

これまでそちらの人々と接したことのないなまえからしても、一目でわかる。

風呂から出て来た男は幾分かマシに見えた。



「助かったわ。ほな。」



濡れたバスタオルをつき返して、元カレが置いていったスウェットを着たまま

男は玄関に向かっていった。

あの汚れたスーツは、彼が風呂に入っている間にクリーニングに出してしまった。



「ご飯、できてますけど。」



安物のグレーのスウェットに、高級そうなボロボロの革靴で玄関に居る様は

とても滑稽に見えた。

声を掛けると、彼は不思議そうに振り返った。



「ええわ。悪いし。」

「でも作っちゃったし、どうせ余っても捨てるから。」



そうか、と呟いただけで感謝はなかったけれど

男はダイニングで味噌汁と魚と、昨日の残りの煮物を平らげた。

白飯のお代わりを問うと、少し遠慮気味に欲しいと告げた。

そしてふと思い出したように、彼は名を名乗った。










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