星になった涙 | ナノ

-T




(→"Cry with Pain")

ああ、まただ。この熱の篭った眼差し。
どんな遠くからでも分かる、強い強い目線。
気づいてます。本当は振り向きたいんです。
でも、だからこそ、振り向けないんです。





「イタっ!」

慌てて手を引っ込めるが、人差し指の先端には血が玉を結んでいた。食料保存用箱の奥に秋の珍味を入れていたことをセシルは忘れていたのだった。厳重に包んでいたはずが、何の拍子にか外に出てしまっていたらしい。棘がびっしりと生えた果物は処理が大変なのだがとても美味で、ぜひクルーたちに食べてもらいたいと思ったセシルは、先に上陸した島で購入していたのだ。棘は黄色から赤色へと徐々に変化しているので、そろそろ食べ頃だろう。指を咥えたまま調理の予定を立てていると、勢いよく扉が開いて白熊が現れた。

「セシル! お水チョウダイ!」
「ベポ、トレーニングだったのね。お疲れさま」
「今日もキャスに勝ったよ。これでねえ、ひいふうみい……多分20連勝!」

毛に覆われた太い指で一生懸命Vサインする姿が可愛くて、セシルは微笑み、並々と水をついだ水差しごとベポに渡した。

んっんっんっ

ものの10秒ほどでそれを空にすると、「ごちそうさま〜」とセシルにきちんと返しに来るあたりが偉い。両手で受け取って洗い場に置くと、セシルは再び血の滲んできた指を口に含んだ。

「あれ、どしたの?」
「ん? 棘で少し刺しただけ。大丈夫よ、これぐらい」
「えっ? 駄目だよ、ちゃんと処置しなきゃ。ヴァイルスが入るよ、ヴァイルスが」

ヴァイルス、イコール、ウィルス。つまり、ばい菌の類。やけに発音が流暢なのは、この船のトップが医者で、割と普段からクルーたちの間でも医療用語が飛び交っているからか。つい噴き出しそうになるのを堪え、セシルはベポに微笑んだ。

「よくあることだもの。それに、ほらもう血も止まっ」
「あっ、キャプテーン! ちょうどいい、来て来て来て〜」
「ベポ、"来て"は1回だけにしろ。うるさくてかなわねェ」
「アイアイ! 来て!」
「一度言やァ分かる。何だ」
「セシルが怪我したんだって! 診てあげて」

開いたままだった扉の前を通りすがった人物を、ベポは呼び止めた。セシルの顔色が変わったことは気にしていない(というより気づいていない)ベポは、「じゃあ、おれ次ペンギンとトレーニングの約束あるから!」と爽やかに去っていった。去ってしまった。残ったのは2人と、少々重い、気まずい沈黙のみ。

「どこだ?」
「えっ? いえ、あの、果物の棘で指を刺しただけで……」

みなまで聞かず歩き出したキャプテンは、硬直してその場に突っ立っているセシルを振り返ると一言言った。「来い」と。キャプテン命令は海賊船におけるほぼ唯一の絶対。セシルは彼についていくしかなかった。





「ちょっと来い」

セシルの指を診ていたキャプテンは、彼女の手を掴んで器具などを洗うための水道へ引っ張っていった。そして手近にあった精製水の瓶を手に取り、セシルの指に、ざばあと景気良くかける。

「本当に、大丈夫ですから……」

やっとのことでセシルが出した声は震えていた。棘が刺さったぐらいで貴重な医療用の水を使うことに恐縮したせいもあるが、何より腕を掴まれていることが居たたまれなかったからだ。

「大丈夫かそうじゃねェかは俺が決める。座れ」

眉間に皺を寄せつつ腕を離し、椅子を顎で指し示したキャプテンの言葉にセシルは少々戸惑ったものの、彼から多少の距離を取れることにホッとしつつ素直に従った。彼はてきぱきとした動作で、彼女の指を拭き、消毒し、絆創膏を貼る。どうしても顔を上げられないセシルは、一連の治療を穴が開くほど見つめていた。彼は、いつも丁寧だ。

「あの珍味の棘なら毒もねェが、今後は気を付けろ」
「はい」

短い会話が終わると、セシルは勢い良く椅子を立った。

「ありがとうございました。私、仕事がありますので、これで失礼……」
「セシル」

凡人が素早さでキャプテンに敵うはずもなく、セシルの腕は彼の手に捕らえられる。大きく身を震わせたセシルは、だが振り向けない。背を向けていても感じる彼の視線が痛かった。

「キャプテン、私、仕事が」
「後でいい」

沈黙が医務室を満たした。呼吸の音ってこんなに大きかったっけとセシルが思い始めたころ、彼女の腕を掴んでいたキャプテンが初めに口を開いた。

「俺を見ろ」
「離して、ください」

しかし力は弱まらない。それどころか彼は両手首を掴み、彼女を引き寄せた。決して視線を合わせようとしないセシルを見下ろす眼差しは、優しいが激しい。

「なんで避ける」
「避けてなんか……」
「あの笑顔は嘘か?」

弾かれたように彼を見上げたセシルの瞳からは、涙が零れていた。その涙に彼が怯んだ隙に、彼女は無理に腕を振り解き自分で自分を抱き締める。

「お、おこたえできません」
「セシル」
「"無理"なんです! ごめんなさいっ!」

叫ぶなり医務室を飛び出していったセシルを、彼は追ってはいかなかった。帽子を目深に被り、ため息とともに椅子に腰掛けた彼の表情は、影で覆われて見えない。





夜。棘など刺さっていないのに始終痛む胸がセシルの眠りを遠ざけている。そんなときに彼女が思い出すのは決まって少し前の出来事だった。

―――お前が好きだ

真摯な眼差しに心が震えた。言葉も態度も、どこまでも彼らしく真っ直ぐで堂々としていて、セシルは圧倒されながらも心からの笑顔を見せた。だが彼が頬に触れた瞬間、彼女の脳裏にフラッシュバックしたのは過去の記憶たち。様々な"主人たち"に苛まれ、虐げられ、年端もいかぬうちから玩具となって犯されていた長い日々が鋭い棘となって、彼の手を勢いよく叩き落としたのだった。突然の態度の豹変にやや呆然としていた彼を置いて逃げ出してから既に2週間が経過したが、心に咲いた茨は枯れることなく、なお一層茂り、彼女の心を覆い隠していった。

応えたい。だけれども応えられようはずもない。彼はセシルには眩しすぎて、近くにいると、自分が持つ闇が濃いことを嫌でも認識してしまうのだ。ならば離れればいい。あまり器用とは言えないセシルがそんな結論に達したのは当然だったのかもしれない。

明日には島に着く。拒否の言葉も紡いだ。それにキャプテンは追ってはこなかった。子供じみた振る舞いにきっと呆れたのだろう。もう少し時間が経てば忙しい日々の中に想いは紛れてくれるはずで、だから安堵していいはずなのに何なのだろう、この苦しさは。

止まれ、この恋心。これ以上、思いの枝葉をあの人に伸ばさないで。

身を守るために尖らせたはずの茨が心まで食い込むようで、セシルはどうにか耐えようと自らを抱きしめたが、それで痛みが和らぐはずもない。夏なのに妙に冷える夜は着実に更けていった。

Stardust is my tears T(×Law)

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