終止符
世の中が不景気だろうが今シーズン最大の寒波が来てようが、この時期になると世間は少しだけ浮き足立っている。
右を向いても左を向いてもキラキラとしたイルミネーションが華やかに彩るその訳は、今日から明日にかけてを楽しむためのものだろう。
実際宍戸が右を向けば、数日前から浮き足立っている後輩の鳳がいるのだから、今日がクリスマスイブなのは間違いない。
「な、なに見てるんですか?俺の顔になんかついてます?」
「いや…、お前…嬉しそうだなって思って」
「そりゃそうですよ!大好きな宍戸さんとイブを一緒に過ごせるんですから」
「あー、はいはい。タダ券もらったから映画見に行くだけだけどな」
「でも俺を選んでくれたでしょ?嬉しいです」
「…他の奴らが都合悪かっただけだ」
「それでも最後には俺を選んでくれたんですもんね」
「ポジティブだなー、相変わらず…」
「大好きな宍戸さんのお陰です!」
「はいはい…」
宍戸はひとつの曇りもなく真っ直ぐに自分へと気持ちをぶつけてくる鳳を長いことそのまま隣に置いている。
最初に告白してきたのは忘れもしない中学の時、宍戸がテニス部を引退した日だった。
少し日が短くなってきた薄暗い時間、帰り道でめずらしく無口な鳳に宍戸がどうしたんだと声を掛けたのがきっかけで、堰を切ったように鳳の口から宍戸への想いが溢れだした。
それと同時に鳳の瞳から大粒の涙もこぼれ落ちた。
鳳の口から何度も聞かされる好きですという言葉に実感を持てなくて、でも気持ち悪くも嫌いにもならない自分がいたから、宍戸は正直に答えたのだ。
「と、突然そんなこと言われても…よくわかんねえ。ただこれでギクシャクして明日から長太郎と話せないとかそういうのは…嫌だと、思う」
宍戸の目の前で泣いている鳳は、嗚咽を必死に抑えながら、これからも宍戸さんのこと好きでいていいですか?と聞いてきた。
だから宍戸もその必死さに負けて首を縦に二回振った。
それからだ、鳳が二人きりのときによく告白するようになったのは。
好きです、と。
それは大学三年になった今でも変わらず鳳からの想いは宍戸に伝えられている。
今のように会話に織り交ぜながら、ときに真剣に、宍戸は鳳に告白され続けている。
「昔はまだ控えめで言い方にも可愛げがあったよな」
「えっ?なんか言いました?」
「なんでもねーよ。ほら映画館着いたぜ」
「わー…、カップルばかりですね」
「…だな」
「あの…、上映始まって暗くなったら恋人みたいに手繋いでもいいですか?」
「…はあ?バカじゃねえの?なんで後輩と手ぇ繋がなきゃなんねーんだよ。つけあがるな!」
「ですよねー。言ってみただけです」
そう言われた後の鳳の顔は傷ついた気持ちを隠すようにわざと良い笑顔を作る。
宍戸はさすがに何年も一緒にいるからかその笑顔に気付いているのだが、それを見て見ぬ振りをしていた。
ただ年々その顔を見るたびに後悔が宍戸の心に積み重なってゆく。
しかし宍戸はそれすら自分でフタをしていた。
「クリスマスに見る映画じゃなかったな。付き合わせちまってごめんな」
「そんなことないですよ!途中、主人公がヒドいめにあいすぎてアレでしたけど、最後は幸せになれましたしね」
喋りながら映画館を出ると、急激な温度差に身震いをしながらジャケットの襟に首を窄めて宍戸は観たばかりの映画を思い出しながら辛い顔をした。
鳳も口元までマフラーをぐるぐる巻きにして寒さを凌ぎながら籠もった声で明るく答えた。
「お前、途中で泣いてたろ?」
「な、泣いてないっすよ!」
「目頭擦ってたじゃねえか」
「見てたんですか…。カッコ悪いなあ」
鳳は照れ隠しに明後日の方向に視線をさまよわせる。
そんな鳳を後目に宍戸は映画の余韻を噛みしめるように呟いた。
「…恋人にあんなヒドい仕打ちされたら、俺だって泣くな」
「…宍戸さん」
「暴力振るわれたり裏切られたり。俺もちょっと泣きそうになったしな」
「………」
「いや、でも泣いてねえぞ。泣きそうになっただけで…」
「………」
「…長太郎?」
この雰囲気は身に覚えがある。
初めて長太郎から告白をされたとき、その雰囲気とそっくりだ。
イルミネーションからも人混みからも少し離れたこの場所で、ゆっくりと隣を覗いてみれば、そこには昔の泣きそうになりながら好きだと告げた後輩はいなくて、真剣な眼差しの鳳が宍戸を見ていた。
「俺ね、ずっとこれだけはって心に決めていることがあるんです」
「…は?いきなりなに言って…」
「自分が生涯掛けて好きになった人を泣かせるようなことだけは決してしないって、そう思ってるんです」
「お前…」
「この映画を見てとっさに思ったことじゃないですよ?昔、宍戸さんがあの無謀な特訓の最中、俺が帰ったあとにコートでひとり泣いてたときあったじゃないですか」
「…そんなこと、あったか?わ、忘れたな」
その日、特訓中の宍戸の様子が少しおかしいのを鳳はずっと気になっていて、いつものように先に帰ったけれど宍戸のことがどうしても気になってコートへ引き返してみれば、宍戸は暗がりのベンチに浅く座り背中を丸め肩を震わせていた。
あの後ろ姿は今でも胸を締め付けると鳳は言った。
成果が出ない特訓が本当に有効なのだろうかと、壁に打ち当たっていたころだと宍戸は思い出す。
「あの時、宍戸さんを泣かせたくないって、どうにかしなくちゃって思ったんです。だから次の日から宍戸さんの身体に傷が増えることにも目を瞑って、俺、必死にサーブを打ち込んだんですよ。…俺にはそれしか出来ませんでしたから」
「長太郎…」
俺はそんな長太郎の真っ直ぐな想いから逃げようとしたことがあった。
高校のとき、自分に女が出来れば鳳も目が覚めるんじゃないかと思い、告白してきた女と何度か遊んだりした。
別に鳳に隠すことではないと正直に言えば、鳳は今にも泣きそうな表情を宍戸に見せまいと必死に隠して、そうですか、とだけ言ったのだ。
宍戸はあの泣きそうな鳳の表情を今でも鮮明に思い出すことが出来る。
女と遊ぶ度に鳳が今頃泣いているんじゃないかとか、脳裏に泣き顔の鳳が浮かんでは離れず気になってどうしようもなくなって、結局女とはうまく行かなかった。
だから今でもこうやって鳳が隣にいる。
今思えば、俺も長太郎と同じ考えだったんだと、宍戸は苦笑いした。
「そうだよな。俺だって自分のせいで泣かせたくなんかねーよ、長太郎のこと…」
「…えっ?」
「なんでもねえよ」
「気になるじゃないですかー!もう一回言ってください!」
「今夜は俺に付き合ってくれるんだろ?だったら酒買って宅飲みすんぞ」
「それは…付き合いますけど、気になるなあ…」
「ここまで腐れ縁になっちまったら、酔わなきゃ言えねえことだってあんだよ!ほら、行くぞ!」
宍戸はボケッとしている鳳を置いて足早に駅に向かう。
酔った勢いで本音を言ったらアイツ泣いちまうかもしれねえな、でもそれは嬉し泣きだろうから存分に泣いてもらおう。
その後は長太郎の笑顔が絶対見られる、それが自分へのクリスマスプレゼントだと、後ろから近づく足音に耳を澄ませながら宍戸も自然と笑顔になった。
終
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