俺は勘の良い方だ。
もちろんルフィの動物的勘には適う気はしないが、繊細さと勘の鋭さには秀でたものがあると自負している。むしろ動物的な感覚で生きているうちの船員たちには持ち合わせない、些細な事に対する感受性の強さというものがあると思う。そんなもの、いつ役に立つのかと言われれば、そんなの俺にもわからない。まあ要するに、凡人の気持ちがわかるってことだ。
超人並の強さとバカさを備えたあいつらには、持ち得ない能力。
例えば、と、俺は思う。
例えば、優雅に釣りに興じている俺のすぐ傍で、甲板の上に大の字になってぐーすかと寝ているこの男。こんな男に思い悩むことなんてあるのだろうかと、誰もが思うに違いない。信じ難いがこんな奴にも悩みがあるのだ。当の本人すら自覚してるか疑わしいが、とにかく俺は決定的瞬間を見てしまったんだ。こいつの、ほんの些細な動揺を。

「おい、なんか釣れたか」

後ろから掛けられたらサンジの声に、俺の思考は中断された。いいや何にも、と答えれば、旬の魚でも釣ってくれよと返される。気候も何もめちゃくちゃな、この偉大なる航路で旬な魚ってなんだよ、と思わず苦笑した。でも今はなんだか秋っぽいから、もしかしたら秋刀魚とかかな。考えてると腹が減ってきたので、サンジに朝飯はもうできたのかと聞いてみた。おう、とサンジが答える。

「だから野郎共起こしに行こうと思ってよ」

そしてナミさんも、と言うサンジの鼻の下が見事に伸びた。朝飯の支度が済んだことを知らせる名目で、女部屋に潜入する算段だろう。こいつの一貫した女好き加減というか変態加減はある意味尊敬に値する。ここまで一貫してるとむしろ清々しい。
今日もいつものごとく、ナミを前にしてはメロリンラブとか恋はいつでもハリケーンとか、わけのわからん求愛を続けるんだろうなぁと思うと思わず溜め息がもれた。別に俺はまったく構わないのだが、サンジがメロリンだのなんだの言いながらナミに近づくことで、すこぶる機嫌を悪くする奴がいるから困るんだ。見てるこっちが冷や冷やする。その度に、俺が人知れず事を荒立てないよう努力していることを、こいつらは知らない。
未だぐーすかと寝ているゾロの方に目をやった。知る由もないか、と俺は思う。何せこいつには自覚すらないのだから。
もう一度溜め息を吐いていると、不意にゾロが目を覚まし、大きな伸びをしてから「もう朝か」と呟いた。
ずっと朝だクソマリモ、とサンジが言い返す。

「だいたい、何で朝っぱらから甲板で寝てやがんだクソマリモ」

夜は男部屋で寝てただろう、とサンジが言う。サンジの当然の疑問を、ゾロは「何でもいいだろダーツ眉毛」と欠伸しながら受け流した。ああまた始まった。この二人の仲はどうも相容れない。
その理由を知るのは、きっと俺だけだ。
俺は釣り竿を上げ、案の定言い合いを始めた二人の間に「まぁまぁ」と割って入った。

「朝飯できたんだろ?サンジ」

なんとか話題を変えようと俺が口を挟めば、ああそうだったとサンジが正気に戻る。自分はナミを呼びに行くからルフィとチョッパーを起こして来いと言って踵を返すサンジに、「ちょっと待て」とゾロが口を開いた。
まさかまた喧嘩モードに入るのかと内心ドキリとしたが、壁にもたれて胡座をかくゾロを見ると、そんなつもりじゃないらしい。ふぁ、と欠伸を掻いてから、眠そうにゾロが言う。
なんだか嫌な予感がする。

「ナミはまだ起こすな」

即座に「なんでだよ」と言い返すサンジに、「さっきまで起きてたから」とゾロが当たり前のように言った。あいつが先に食べといてくれって言ってたんだよ、と眠そうに答えるゾロに、俺もサンジも一度は納得した。なんだ本人が起こすなって言ってたのか。そう納得した直後、強烈な違和感が津波のように押し寄せた。そして俺の頭の中ではサイレンが鳴り響く。危険、危険。急いでサンジの方を向いたがもう遅い。しまった手遅れだ、と俺は半ば諦めた。

「何で…何でナミさんが朝まで起きてたこと知ってんだ、藻!」

それは聞かない方が身のためじゃないかなサンジくん、と思うがもう遅い。「なんでって、そりゃあ…」と口を開くゾロを、俺もサンジも息をのんで見返した。事実を知りたいような、知りたくないような。覚悟を決めて続きの言葉を待った俺とサンジの気持ちとは裏腹に、ゾロは突然口を閉ざして立ち上がった。
言わんのかい!と思わず突っ込んでしまう俺。

「べ、別に何だっていいだろ!」
「よくねぇよ!」

ていうか何で顔赤いんだよクソマリモ!と叫ぶサンジに、うるせぇ赤くねぇと言い返すゾロ。二人に背を向け、俺はルフィとチョッパーを起こしに男部屋へ向かった。やれやれ、と一人溜め息をつけば、心なしか虚しさが残った。

俺は勘の良い方だ。
退くことも戦いだということも、よく知っている。気づかぬ振りが、我が身を救うということも。
今のは聞かなかったことにした方が賢明だ、と俺の頭の中のサイレンが告げていた。そうすりゃいつものように、朗らかに、1日が始まる。


嗚呼、今日も。
あっちの海から穏やかな1日が始まる。
















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