痛みなんか、感じなかったよ。
ただ、怖かった。
目の前が真っ赤になって、視界が眩み、世界が歪む、あの感覚がただ怖かった。
喉の奥に熱い血が込み上げてきた瞬間に、死を悟った自分が怖かった。
すぐに駆け寄ってきてくれたあなたの姿が、声が、完全に遮断されたのが怖かった。
悔いることなんて何もない。
言ってみれば、これが私の寿命だ。
こうして死ぬ、それが私の運命だった。
最期、共にいたのが黒鋼で、本当によかった。
言えたらいいのに。
本当に、色々、言えなかったこととか、いっぱい。
あるんだ。
会いたいな、黒鋼。
「雅…!」
包帯と着替えを持って戻ってきた蘇摩は、唇も肌も青白くなり、すでに息絶えた雅を見るやいなやその場に崩れ落ちた。
「蘇摩、取り乱してはなりません」
顔を手のひらで覆っているところを見ると、涙を流しているのだろう。
知世がいさめるけれど、立ち直ることはできそうになかった。
「言わずとも、分かっていますね?黒鋼」
雅のそれまで着ていた服を脱がせ、血を拭い、傷口を隠すために包帯で肩から胸にかけてを巻く。
暖かみが見ただけでもなくなった雅のさらけ出された肌に黒鋼が恐る恐る触れれば、凍てつくのではないかと思うほど、熱い、痛いと感じるほど冷たくて、奥歯をギリリと食い縛る黒鋼は自責の念に駆られて目を閉じた。
「雅は亡くなりました。そうしていたところで、その事実は変わりませんし、死者を甦らせる禁術を使うつもりもありません」
「……」
雅の体が、滅多に着ることなどなかった着物に包まれていく。
乱れた髪を綺麗に結われて、薄く化粧を施されていく。
「黒鋼、これから話すことをよく聞いてくださいませね」
一息つく知世。
化粧され、着物を着、死んでいるようになど全く見えない雅。
静かな知世の声を聞いて、何か、覚悟が必要なのではないかと感じた。
しかし、何の?
「雅に会いたいですか」
口が開いた。
喉が極限にまで渇いて、水を求めるような感覚にも似ている。
その言葉を、待っていた気がした。
だが、甦生の禁術は使わないのではなかったか。
「もう一度聞きます、会いたいですか」
そんなの、聞かなくたって。
「…会いてぇ」
会って、話がしたい。
あんな終わり方は、あんまりだ。
言いたいことが、山ほどある。
「雅の魂は呼び戻せません。だから、黒鋼、あなたの魂を彼女のもとへ送ります」
胸の前に印を結んで、準備を整える知世。
「あなたの魂は、もしかしたらそのまま帰ってこれないかもしれませんわ」
その時は、その時だ。
「構わねぇ。今すぐ俺を雅のもとに連れていけ」
「……一時間のうちに戻らなければ肉体は容れ物としての役目を果たさなくなりましょう。それまでに帰ってくること。分かりましたね」
知世は、術を黒鋼に放った。
黒鋼の意識が遠退いていく。
暗闇が訪れる。
力は失われ、目は閉じ、彼の体は虚ろなものとなって前のめりに雅の亡骸の上に倒れ込んだ。
「姫様…」
「あまりにも、早すぎますわ」
真っ直ぐ前を見据えたまま、知世は涙を流している。
主としてではない。
語らい、長い年月を共に過ごした旧友としての涙だ。
その涙は知世の頬を伝い、雫となって空中を落ち、ぴたん、と亡き雅の頬へと落ちた。
[*prev] [next#]
[しおりを挟む]