「なぁ、」





○月◇日

今日のワンコは、挙動不審。







「なーに」


黒鋼から呼びかけられるのは珍しいことだったから、少し機嫌をよくして後ろを振り向いた。

そこにはドアの入り口に突っ立ったまま、一応一線を引いてはいるもののこちら側に来たい様子の彼が、そのもどかしそうな雰囲気とは裏腹にいつも通りの無愛想な顔をあたしに向けている。


「…立ってないで、来れば?」


髪を縛っているために鏡台の前から離れることはできないが、顎でベッドを指してそこに座ればいいと言う。

そうすれば、あたかも別に入りたかったわけではないとでも言うように「そうか」なんて言いながら、のしのしと巨体を揺らしてベッドにどしりと腰かけた。

入りたいって顔に書いてたくせして、よく言うと内心笑いながら、再び鏡と向き直って髪を寄せ集め、天辺で結び、ぐるぐるとお団子にしていく。

そのあたしの様子をじっとただ見つめているのか、嫌に静かだったのが前兆だったようで。


「ちょっと、せっかく…」


気づけば背後に忍び寄っていた黒鋼の手によって手荒にほどかれる髪紐。

綺麗に巻かれたお団子がはらはらとばらけて、元の真っ直ぐな髪に戻ってしまった。


「…ねぇ、」

「あ?」


ここまで来て、ようやく気づいた。


「かまってほしいの?」

「!」


図星、とな。

普段ならあたしがいくらちょっかいかけて"かまってアピール"を繰り出しても「静かにしろ」とかなんとか言って振り払うあの黒鋼が。


「今日の天気予報は雨?」

「馬鹿にしてんのか」

「いえいえ」


「嬉しいんでござりますよ」、と、ちょっとは馬鹿にしたような声音で言ってやる。


「なに?どこかに遊びに行く?」

「……いや」


立っていたのを、椅子に座るあたしの目線に合わせるようにしてしゃがみ込む黒鋼。

躊躇ったようなわずかな時が流れたあと、彼は不意にあたしの顔に顔を極限まで近づけ、キスをしてきた。


「!!」


長いようで、短い無酸素の3秒間。

ゆっくりと彼の顔が離れていったのが妙にスローモーションで、ただあっけらかんとするだけのあたし。

我を取り戻し、今のが夢ではなく現実だと理解して口許を慌てて押さえるのはそれから30秒もしたあとだった。


「な、なななななななななにっ!?」


今度はあたしが挙動不審に陥る。

目の前で、彼もまた恥ずかしげにぼりぼりと頭を掻いている。


「ど、どういう風の吹き回しっ!?」


いや、違うの。

もっと違う言葉で同じような意味の言葉があるんだろうけど、気が動転してこれしか思い浮かばなかっただけなの。

その刹那に。


「った」


反転する世界。

背中に走るかすかな痛み。

天井を背景にした、黒鋼の顔。


「…え?」


なに、この状況。


「いいか」


いやいやいやいやいやいやいやいや。

"いいか"って、何。

いや、分かってるけど、違うでしょ、駄目でしょう。

何でいきなりそんな感じになってるわけ。

何でそんなに息が荒いわけ。


「ち、ちょ…」

「頼む」


"頼む"じゃない!!

何を"頼む"の!?あたしに!

いや!無理!ノーセンキュー!!!!!


「……」


待てよ。

そこで働くのが、女のささやかないたずら心、復讐心。

ここで一気に今までの借りを返させてもらおうではないか。

ここで言う借りとは、今まで散々に玉砕したあたしの黒鋼への"かまってアピール"の、いわば仇討ちである。


「…いいよ」


言えば、待ってましたと言わんばかりの勢いであたしを抱き締める黒鋼。

腕にかき抱くその所作すら、今は荒々しい。


「っ」


再び口づけあう、あたしと黒鋼。

さっきよりも長く、深く。

そのうちに彼の唇が首筋まで滑っていく。

そして彼の空いていた手がするりと服の下を這おうとしたその瞬間に。


「待て」

「……は?」

「だから、"待て"」


夢中になっていただけに、いきなりのあたしの制止で唖然とする黒鋼。

その隙にするすると彼の下から抜け出して、仕上げによしよし、と状況を掴みきれていない彼のツンツン頭を撫でた。


「お・あ・ず・け♪」

「あ゛ぁ!!?」

「きゃー、こわーい」


上っ面だけの声。

部屋のドアノブに手をかけ、


「あたしの日頃の"かまってアピール"を無視するとこういうことになるのよ」


と、颯爽と捨てぜりふを吐いてドアを閉め、るんるん、足早に去る。


「ふざけんじゃねーーー!!!!!!!」


お怒りの声が、宿中に響く。

こんなことをするからさらに"かまってアピール"を受け入れてもらえない、"かまってアピール"を受け入れないから相手にしてくれないという可愛らしい悪循環が、いつになったら終わりを告げるのか、続いていく。



(了)

 


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