闇夜にて、候ふ「お前……」
びっくり仰天、そこまでではないけれど、驚いたあなたの顔。
「あは、は…」
代わりにあたしはこれでも精一杯の笑顔で返してあげる。
あなたの罪悪感が、少しでもなくなるように。
これほど運命を憎んだことは、一度だってあっただろうか。
初めて出会ったのは一ヶ月前のことだ。
あたしが日課のごとく決まって行く川がある。
国境に沿うように流れるその川にいつものように足を運んで、主だった仕事が集中する夜まではさらさらと美しい川のせせらぎを耳にしながら昼寝をするのが、あたしのささやかな贅沢であり安らぎだったから。
「…?」
だけれど、今日、木々の間から抜け出し川岸に辿り着くと向こう岸に見える見知らぬ人影。
仰向けになって、腕を頭の後ろで組んでは堂々と眠っている。
鳥達がその周りをチィチィと跳ね回っていたが、深い眠りなのかそもそも気にしていないのか、目覚める様子はなさそうだった。
ただ一目で分かったのは"同業者"ということだ。
眠っていても気配としてかもし出される猛々しさ。
決して油断はしていない鋭さ。
敵国のすぐ傍、国境だというのに昼寝などできる神経の図太さ。
忍だ。
それも稀に見る強さを持っている。
「舐められたもんだわ」
ぽつりと独り言を呟くと同時に眠っていた気配が目を覚ます。
川の岸と岸、離れていてもしっかり見えるお互いの距離。
さっきまで眠っていた男の開かれた目は紅く、雄々しい獣のような風貌をしている。
「起こしちゃった?ごめんなさい」
声を張り上げ謝罪をすると、普通の格好をしているあたしを一般人と見たか、緊張させた気配を緩ませて大あくびをし、「ああ」とだけ返答をする。
その様子がいかにもどこか気の抜けた獅子のように見えて、ふ、と笑う。
「…」
「あ、ごめん。笑っちゃって」
「誰だ、お前。日本国の者じゃねぇな」
それでもちゃっかりとあたしが怪しい者ではないかを確かめようとする。
きっと彼は白鷺城の忍者なのだろう。
「ここより向こうにある国の、ただの商人の娘よ」
本当の素性を晒すのは控えるようにしている。
相手が敵国の忍と分かっているならばなおさらだ。
だが聞いておいて、「そうか」とだけしか反応をしない男に、嘘をついている分際で「あんたは誰なの」と聞き返す。
それが最低限の礼儀だと教えられた。
「俺ぁ黒鋼」
名前から先、すなわち所在を言わないということはあっちも隠したいわけか。
まぁ、忍の性だとでもいうか。
「黒鋼。格好いい名前ね」
名前負けはしていない、気がする。
「昼寝をしに?」
「まあな」
「奇遇ね。ま、あたしは毎日ここへ来てるんだけど」
そう言いながらいつものポジションに腰を下ろし、大の字になって寝そべる。
毎日のことだから、あたしが寝そべる下の草は倒れ、きちんと人形になっていたりするから驚きだ。
「店番はいいのかよ」
「ん?」
「商人の娘なんだろ。店は」
「ん。ああ、いいのいいの。別に構わない」
小さなことは気にしないような顔しといて、目ざといな。
「そっちこそ昼間なんだし、仕事は?男でしょ」
「…いいんだよ。今日は休みだ」
嘘と嘘の応酬ってのもなかなかに面白い。
何と言うか、愉快だ。
「ねぇ、黒鋼」
「…」
「寝るの早」
そうしてあたしも寝ることにする。
そのあとは、太陽が沈む頃に二人して起き、何も言わずに正反対の方向へ歩き出す。
互いの本拠地である、彼は彼の、あたしはあたしの城に。
それから毎日、昼は顔を合わせるようになる。
あたしはあたしの名を明かし、それでも忍という秘密は守ったまま、時には川を越えて二人隣同士で昼寝することも多くなった。
ただ、やっぱり夜になる前に二人は別れる。
別れる前に一言二言交わすようにこそなったが、やはりそれ以降は一線を越えることはしないで背を向ける。
夜は互いの世界へ帰っていく。
この川はいわば、敵同士の国の忍でありながら心を通わすようになったあたしと黒鋼とを繋ぐ唯一のもの。
ただ、あくまでも国境は国境なのだ。
「じゃあね。また、明日」
「おう」
昨日もそう言って別れた。
そしてまた、
"白鷺城を夜襲せよ"
と命を受けたのも昨日だった。
そして夜に顔を合わせた初めての今日、あたし達は武器を持ち、対峙する。
[*prev] [next#]
[しおりを挟む]