奥ゆかしき男「大好きだよ。ばか」
さっきまでの、面倒臭そうに頭を掻いていた腕がピタリと止まり、どこか躊躇うように斜め下を向いていた目線が真正面に釘付けにされて見開かれた。
「……今、何つった?」
普段は落ち着き払った低い声が、上ずって雅の耳に届く。
「また、白まんじゅうか?」
「違うよ」
「!」
「分かってるくせに、気づかない振りなんてしないで…」
雅は大きく一歩を踏み出して、黒鋼をぎゅうと抱き締めた。
「お、おい!」
「好きなんだよぅ、黒鋼……」
ぼろぼろと、大きな雫が頬を伝う。
どうしていいか分からなくて腕を上に挙げていたままだった黒鋼も、自らの衣服に雅の涙が染み込んでくるのを感じ彼女が泣いていることに気がつくと、ゆっくりと手のひらを、胸ほどにも届かない小さな雅の狭い肩に置いて優しく引き剥がした。
「ぅ…う……ッう」
「泣くんじゃねぇ、泣くんじゃねぇよ」
「ど、うして…」
どうして拒むの、と言おうとしたのであろうが、いわゆる涙声、切なる言葉は喉は通っても大気を上手くは震わせられなかった。
「…あのな」
しかし、口の動きを見切っていた黒鋼には伝わったようだ。
「拒んでねぇ。して、泣くな。俺の話をよく聞け」
黒鋼は雅が泣き止むための時間をしばらくとったが彼女が泣き止む気配はなかった。
「何でそんな泣くんだよ」
ため息をつきながら、雅の顔を覗き込めば、頬にパンチを食らう。
「てめ、何すんだ!」
「何でも何もくそもあるか、ばか!!」
右頬を右の手のひらで覆いながら、ガーッと雅にしかめっ面をする黒鋼。
そのしかめっ面よりもくしゃくしゃに滲んだ泣き顔が押し倒すような勢いで再び黒鋼の胸に飛び込んでいった。
ふらつくこともなく、難なくそれを受け止めるのは他でもない黒鋼だ。
「何回言えば、理解できる?」
「あ?何が」
「私が泣いてる理由」
「ンなこと言われてもよぉ…」
俺ぁ苦手なんだよ、そういうの。
だがしかし黒鋼の呟きは雅には届かず、黒鋼には雅の呟きが届いた。
「ファイだったら、きっと一回言っただけで分かってくれるのになぁ」
そこで、黒鋼は自らの胸の内に潜む、ムッとした感情を初めて表舞台にあげた。
「だったらそいつにすりゃあいいじゃねぇか…っ」
黒鋼の声が詰まり、顔が痛みに歪む。
雅の拳が黒鋼の鳩尾に食い込んでいる。
「黒鋼じゃなきゃ駄目」
「……」
「黒鋼が好きなの。ファイや小狼じゃ駄目。…ねぇ、困る?」
顔を上げた雅を、まともに見ることができない。
「何なら、どんなところが好きかも言えるよ」
「いや、別に言わなくても」
「声が好き」
背が高いのが好き。
がたいがいいところも好き。
いじられた時の反応が好き。
強いところが好き。
面倒臭がるけどちゃんと助けてくれるところが好き。
優しいから好き。
髪が好き眼が好き鼻が好き口が好き首が好き鎖骨が好き肩が好き………
「あーーーー!!もういい、やめろ!」
雅を受け止めていた手で耳を塞ぎ、荒くなった息を整え、落ち着こうと雅から離れて壁際へ行き、そこに座った。
「分かった。言いたいことは分かった」
「好き」
「……分かったっつってんだろ」
「本気だよ。本当だからね」
黒鋼の傍らに寄り、座った雅の顔はとっくに晴れて幸せに満ち満ちていた。
対照的に黒鋼の顔が少し情けなく翳ったのは、なぜか。
「てめぇのせいで、何言おうとしてたか忘れただろうが」
「思い出したら教えてね」
「………一生言ってやらねぇ」
(了)
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