いざよふ

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その師ありてその子あり







 ぶち、ぶち。
 縁側に立って聞こえる音は、裏庭の先で猫のように丸められた背中の手元から聞こえている。着流しの上から羽織に身を包み、草履を引っかけたその男は、ぎらぎらと両の目を光らせながらひたすら目の前に生える雑草を引き抜いていた。その猫背に、ぼす、ぼす、と、根に土をつけたままの雑草が投げつけられている。ぶち。人を舐め腐ったような半眼の男が、引き抜いた雑草の中からより広く根を張り、より土気のあるものをわざわざ選んで投げつけているのだ。
 一見可笑しくもあるこの光景を、桂は縁側で茶を立ち飲みながら見つめていた。塾が終わったその後の、とある夕刻の事だ。桂が湯呑みに残った最後の一滴を口に流し込んだ頃、背中に土をつけた羽織の男が勢いよく立ち上がった。

「てめえ銀時…いい加減にしろ…!」

 両手に雑草を握り締め、怒りに震えるのは高杉だった。対してぶらりと雑草を摘まんでいた銀時も緩慢に顔を上げる。怠そうな目つきで高杉を見上げ、口元をいびつに歪ませる。

「おーおー、晋助くんは気が短くていらっしゃいますね」
「小一時間も草ぶつけときながらよく言うぜ…。直れ。殴る」
「お前すぐそうやって力に訴えるのやめろよなー暴力反対ー」
「こっの…クソ天パが…!」

 ぽぽい、と銀時が放った雑草が宙を舞った。足元に落ちたそれを、いや空間そのものを睨んでいた高杉が、視線を上げて拳を握る。銀時が挑発しながら後ずさるところまで見届け、桂はようやく声をかけた。

「やめんか。お前たち、自業自得だろう。黙って続けねば先生のお許しはないぞ」

 今の今まで呑気に茶を啜っていた他人事の台詞に、銀時と高杉はぎろりと目を剥いた。まるで剣のように鋭い視線を一身に浴びながら、桂は茶を入れに素知らぬふりで場を去る。そのぴんと張った背中におそらく呪詛でも唱えているのだろう、二人はしばし沈黙を保っていたが、やがてどちらからともなく雑草引きの作業に戻った。彼らの惨めな姿を嘲笑うように、玄関口から子供達の楽しそうな笑い声が響いてくる。



 事の発端は、高杉が塾生の一人、弥七に手を上げた事だった。しかしその前にまず、その塾の成り立ちについて触れておこう。

 幼年期、吉田松陽の塾生であった銀時、高杉、桂は、長じた今、彼の塾を盛り立てるためその代わりとして講師を務めていた。それぞれ銀時が剣術、高杉が思想学、桂が算術である。誰かの授業があれば他の誰かが子供達に混じって加わり、茶化したり異議を唱えたりと私語と笑いの絶えない好き放題の授業展開なのだが、松陽には思いの外絶賛であった。純粋に教示する講師と、進行形で子供達の側に立ち反駁する講師、この二役は一人ではできない。それまでこの三科目全てを一人で請け負っていた松陽には、それが好ましかったのだ。何より、雰囲気がいい。
 しかしこの担当科目の割り振りには実は一悶着あった。かねてより冷静に物事を見る事のできる桂にこそ思想学の授業が、型のなった剣術を教わっている高杉に剣術の授業が相応しいということは誰の目にも明らかだったのだが、現実にはそううまく事が運ぶはずもない。

「俺算術とか本気で無理」

 この銀時の一言には、高杉、桂はともかく松陽すらも思わず頷きかけた。桂は「教本通りに進めればいい」と言ったが、高杉が「質問に答えるだけの理解能力がこいつにあると思うか」と囁いたせいで危うく取っ組み合いの喧嘩に発展しそうだったところを、松陽の案によって事なきを得たのだ。
 銀時には戦場孤児としての滅茶苦茶な我流の型が体に深く染みついていたが、松陽が教えた剣術の型も後付けとしてなんとか形にはなっている。それに戦争の終わった今の平和な世での剣術とは、名誉、格式、あるいは用心棒などに見られる腕の売りどころ、それほどの需要だろう。熱心に教えすぎる事で、反幕の徒とみなされる事もあると聞く。それらを考慮しても、剣術はほどほどに教えるべきであった。
 次に問題になったのが、高杉が思想学を希望した事であった。要するに若かりし頃の松陽が最も力を注いでいた科目を、自分が引き継ぎたいと言ったのだ。理由は桂が呆れ、松陽も苦笑するほどに明白であったが、「お前は短気な上視野が狭く偏見がある」というのが公正を求める桂らしい意見だった。ぶすっと不貞腐れた高杉の顔を覗き込み、

「やってみますか?難しいですよ」

 と松陽が笑った時の高杉の顔と言ったら。

 とにかく、松陽はこうした教え子達の申し出を喜んで許可し、普段は別室でゆっくりと書物を読んだり居眠りをしたり、彼らの行う授業をこっそり見守ったり参加したりして、忙しなかったかつての日々を取り戻すように生活している。それでも今の塾生達にとっては「先生の先生」という認識により深く懐かれている。前述した一悶着からも分かるように一番融通が利くという事も大きいだろう。松陽にとってもそれは同じで、まだ世界の広さも、これからとてつもなく大きな時代の波に呑まれゆくだろう事も知らない小さな子供達が好きだった。そのかわいい塾生が殴られたとあれば、松陽も立ち上がらざるを得ない。そこで今回の事件である。

 思想学の授業に顔を出していた銀時はいつものように壁に寄りかかって居眠りをしていたのだが、教室の騒がしさにばちりと目を覚ました。丁度、高杉が弥七の胸倉を掴んでその頬をひっぱたいたところだったのだ。銀時は訳も分からないままとりあえず割って入り、するとそれがそのまま高杉との掴みあいに発展してしまった。通りがかった桂が見咎め、松陽に注進した事で事件は一応の終結を迎えた。松陽は事情を聞くため弥七を自室に引き取り授業を切り上げると、銀時と高杉には裏庭の草むしりという罰を与え、そして冒頭に至る。

「ったくよー。とんだとばっちりだぜチクショー」
「てめえが勝手に割ってきたんだろうが。ざまあ」
「あん?ガキぶん殴っといてよく言うわ」
「ぶん殴ってねーよつついただけだ」

 淡々と作業を進めながら、二人は目も合わせず悪態を吐きあう。その内、高杉が、ハァ、と一際大きくため息をついた。土埃を払った手で髪をかき混ぜる様子はどこかばつが悪そうに見える。

「…だいたい、弥七の野郎も悪ィんだよ。たまの筆盗んでたんだからよォ」
「盗…なにそれどういうこと」

 たまは、算術と思想学を学びに来ている女童だ。真面目で優しく、時には他の塾生と共に松陽に連れられて山菜採りや買い出しに行く事もある。その彼女の筆を、高杉が言うには弥七が盗んだのだという。ろくに理由も聞かず仲裁を行った銀時は、当然疑問符を浮かべて聞き返した。

 先日、授業の後に困った顔で高杉の元へやってきたたまは、何も言わずに自分の筆記具を見せた。綺麗に手入れされた硯、上質な墨、「珠」と文字の刻まれた文鎮、その中であるべき筆だけがない。高杉はたまの言い分を理解し、その顔を覗き込んだ。ぽろぽろと涙を零す瞳を見て驚くも、彼には何があったか聞く必要があった。

『…っ、わたしの…筆がないの…さっきまであったのに』

 たまが席を外したのは、授業が終わった後、松陽の元にお喋りをしに行っていたほんの少しの間だけだ。その間、高杉は授業の片づけをしていたし、他の塾生達も帰り支度を始めており、たまが訴えてきた頃には既にほとんどの塾生が帰路についていた。それゆえ誰にも確認をとる事ができず、その日はとりあえずたまを帰らせたのだ。その後勿論塾内もくまなく探したが、出てこなかった。それを、今日になって弥七が持っていたという事らしい。

「あいつの筆には名前が彫ってあんだよ。だから弥七に聞いた…そしたら逃げようとしたから、思わず」
「へえ、ああそう…まぁお前あの子好きだもんな。ロリコンだもんな」
「おい黙らねえとその舌ねじ切るぞ。…あっちが寄ってくんだろうが」

 嫌々という風を装うが、高杉の人気は確かに高い。どこがいいのか、と銀時は唾でも吐き捨てそうな勢いでじとりと非難の目を寄越した。無論、高杉にはそのような嗜好はない。ただのいい先生じゃねえかいけ好かねえ奴。銀時が眉を顰めた、その時である。

「銀時、高杉。先生がお呼びだぞ」

 桂の呼び声に、再び二人は視線を縁側へと向けた。桂は手招きをするでもなくその場に立っているだけだったが、二人を招いているには違いなく、すぐに背を向けると奥の部屋へ引っ込んでしまった。労働の終わりの予感に、ぱっと銀時が腰を上げると、高杉も負けじと大股に足を踏み出した。







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