ホーム/雨上がり/真夜中は私たちの楽園として

 雨上がり。
 少し土の匂いがする空気は、淀んだ空気を全て足元に洗い流す。そうした時に吸い込む空気というものは美味い、と俺は思う。
 駅のホーム。人々の思いが行き交う場所。往々にして喜怒哀楽のステージとなるこの場所は、雨上がりには異空間に繋がるような風景を俺に見せる。
「どうしたの?」
「あん?」
「悟にしては、大人しいと思って。明日も雨かな?」
「……俺のこと、何だと思ってんだよ」
 クスッと笑って俺を見上げる焦げ茶の瞳は細められている。これで、コイツとは何回目の任務だったか。最初の頃は、俺が先頭切って突っ走るもんだから、コイツや傑に迷惑掛けてたんだっけか。
 今日の呪霊は、わざわざ終電後に出てくるらしいよ。そう言葉を紡ぐ俺よりも小さな口を見ていると、話、ちゃんと聴いてるの? と苦笑いをされてしまった。
 話はしっかり聴いている。一度、ちゃんと話を聴かずにいて、コイツに大怪我を負わせてしまったことがあって……。俺は生まれて初めて、後悔、という感情を学んだ。真っ赤に染まった制服の下の白いシャツを見て、初めて狼狽した。しっかりしろ! と傑に殴られた。数日経っても、コイツを見ると胸がざわざわとして気持ち悪くて、でも、ああ、ちゃんと生きていると実感出来ると、今度は途端に喉の奥が、頭が熱くなって。

 これが恋なのだ。と自覚した時には、傑と硝子がニヤニヤと俺を見ていた。当の本人は気付いていない。二人が言うには、『これだけ好き好きオーラを出しているのに気付いてもらえないのは可哀想だけど、見てて楽しい。グッドラック!』らしいが。その日の夜、俺はベッドの上で悶え転がった。まさか、気付かれているとは思っていなかったから。
「んー! 雨上がりだからかな、空気が綺麗だね。結構長く降ってたし」
「あー、俺も同意。空気が美味いし、オマエ」
 言いかけて片手で口を塞いだ。危ない。今、『オマエの良い匂いがよく分かる』って言いそうになった。こんなん聞かれたら、一発アウトだろ。絶対に嫌われる。HENTAI五条とかって傑と硝子に笑われるに決まってる。
「私がどうかした? その文脈だと、悪い意味ではなさそうだけど」
「いや、なんでもねぇ」
「そ? あ、来たよ悟」
 指差す方からやって来るのは、呪霊特急とでも言えばいいだろうか。いかにもあの世行きって外観だ。
「オマエが線路沿いに結界張って、被害を最小限に留める。でよかったよな? 蒼の周りに張れるなら、上手くいけば一晩で線路直せるんじゃね?」
「そうだね、やってみる」
 ホームから線路の上に飛び降りると、呪霊特急の真ん前に立ちはだかる。俺は、好きな奴を怪我させるのは御免だから、あの日以来、ペアを組む時は俺の前には絶対に立たせない。大体後ろか、百歩譲って隣に立つまでなら目を瞑っている。
「おっ! また結界術上手くなったじゃん」
「ほんと? 頑張ってる甲斐があるよ」
 蒼の収束が終わり、呪霊は跡形もなく消え去った。被害も線路が一部壊れたのみ。雨で湿っている地面が土埃を舞い上げることもなく、終電後の駅が再び戻ってきた。
 ホームに上がるのに、小さくて柔らかな手を握り引き上げる。ありがとう。と言われると、俺はまだ小さな声で、おぅ。と答えることしか出来ない。

 はずだった。

「良い匂い」
「へ?」
「悟って、良い匂いがするなって」
 雨の日は、悟の匂いがよく分かる。ホームの時計を確認すると、時刻はちょうど一時を回ったところか。ベンチに座って自販機でジュースを買って飲んでいて、ふと言われた。
「ジュースじゃなくて?」
「違う、悟の匂い」
 多分、ここ。そう言うと耳に柔らかい指先が触れ、神経がその一ヶ所に集中したものだから。俺は油断していたんだと思う。
「……オマエも良い匂いがする。今日は、よく分かる」
「さっき言おうとしてたの、それだったんだね」
「……キメェだろ」
「え? 何で?」
 良い匂いだって言われて嬉しいよ。そう言った小さな唇は、小さく弧を描いていて。
 思わず。本当に、何て言うか、普段とは違う、異空間にいるような雰囲気に酔っていたのかもしれない。思わず、俺の耳に触れていた手を握って、小さな背中に手を回して、唇を重ねた。


「ねぇ、悟」
「んー? どったの?」
「あの駅、また呪霊が出るようになったみたい」
「ああ……もう10年経つからね。呪いが吹き溜まったかな?」
 仕方ない。僕達の思い出の場所だから、祓いに行かないとだね。
 あの日から卒業するまで、一体何回、夜の寮を抜け出しては駅のホームでデートをしただろう。決まって真夜中、皆が寝静まった時間に空中散歩して、駅のホームに降りてはキスして。
 味気ない終電後の無人な空間は、君とキスしたらたちまち楽園へと変わる。
「私達が幸せなだけじゃ駄目かぁ」
「嫉妬する人間もいるでしょ。僕、グッドルッキングガイだし」


 今日は雨。空気が綺麗で、君の甘い香りがよく分かる。
 任務の後、僕に少し時間をちょうだい? 君の左手の薬指を縛って、君の香りに包まれる時間を。


2022/03/05



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