その日、一通の手紙が届いた。 レギンが差出人の名を読み上げると、どんな重要な書類よりも、その封筒を奪い取り、中身を確認した。 「…これは!至急、こいつを呼べ!今すぐだ!」 理由を聞かずとも事を察したレギンは、大急ぎで部屋から出て行った。 件の人物は、2日後魔王の城に到着した。 本来、来客時は、謁見室か応接室で対面するが、そんな形式すら惜しいとばかりに、執務室に通させた。 長い銀の髪を緩く1つに纏め、銀細工の方眼鏡をかけ、法衣のようなざっくりした服装の美丈夫が顔を出すと、魔王は書類塗れの机を叩き上げた。 「遅い!一体いつまで待たせる気だ!」 「はあ?そっちが急げっていうから、こっちはわざわざ下山してきたんでしょうが」 「ちっこんな緊急事態によくもまあ暢気なことを」 苛立つ魔王とは対称的に、銀髪の男は飄々とした態度で応える。 そればかりか、執務室に備え付けられたソファに横になるとだらけ始めた。 魔王は、こめかみがピクピクするのを抑え、平静を装い話題を持ち出した。 「で、早速だが、あの手紙の内容は本当か?」 「当たり前でしょー。俺が150年かけて研究した結果だもん。神子なんてのは嘘っぱち。神子から受ける"恩恵"とやらは、神子そのものじゃなくて、神子を召喚すること自体にあったってわけ」 「召喚すること自体とは?」 「うーん、つまり、召喚って別の世界からの物質が、この世界にぶち込まれるわけでしょ。すると歪みが発する。コップギリギリに水がある中、石っころ入れると零れるよね、つまりそういうこと」 「今回の災害は、その歪み、というわけか。では伝承にあった神子と交われば力が得られるというのは?」 「えー、そんなん決まってるでしょ。愛だよ愛。愛し合った相手とのえっちは気持ちいってこと。多分、初代の王と神子がたまたま好き合って、たまたまくっついたのが後々言い伝えになってって、あー、疲れたー。俺もう帰っていい?実験してるとこほったらかしてきてさ、」 上体を起こし、立ち去る気配を見せる男を魔王は呼び止めた。 「待て」 「ん?何?」 「この状況を止める方法は?」 「は?知らないよ、そんなの」 一瞬、空気が止まった。 「何のためにお前を呼んだと思ってるんだ、フォラス」 「ホント、何のために実験投げ出してまで呼ばれたわけ?俺」 フォラス、と呼ばれた男は、態度を崩すことなく、ソファの前のテーブルに足を乗せる。 「曲がりなりにも研究者だろうが!その無駄にある知識を、少しは有効に使えんのか!」 「あー?そんなこと言われてもさー。ああー、あれ。神子をさ、元の世界に還すとか?」 「還す?どうやって?」 「さあ?人間ならわかるんじゃない?人間が呼んだわけだし」 「却下だ」 「えー、わがままだなあ、もう。んー、じゃあ神子を消しちゃえばいい」 「…消す?殺すってことか?」 「うん。とりあえず、異物がなくなれば治まるんじゃない?確証はないけど」 ふぁあ、と大きく口を開いてあくびをするフォラスを気にも留めず、魔王は頭で神子暗殺の算段をつける。 「今、大きく人員を割くことはできんな…何とか隙を突くか」 「っていうかさ、この城にいるんじゃなかったっけ、神子」 「ああ、それは向こうに返した」 「そうじゃなくて、」 夜も深まった時間帯、魔王はゆっくりとした動作で寝室の扉を開けると、ベッドサイドの蝋燭のみが、灯っていた。 天蓋の布をすっと、捲る。 そこには無防備な律が眠っていた。 その寝顔を見つめながら、昼間の会話を思い出す。 「そうじゃなくて、もう1人の神子だよ。神子って2人きたんじゃなかったっけ?」 「もう、1人」 「ま、1人消したって治まらないとは思うけどさー、過去に例がない規模の災害って、多分2人一遍にきたからじゃない?」 「…つまり、あいつを殺せば、被害は最小に抑えられると?」 「ましにはなるでしょ」 ふ、と意識を律に戻し、右手を律の首元に伸ばす。 (こいつを殺す…そんなの造作もない) 手に力を込めようとした時、まるで走馬灯のように、今までのことがよぎった。 いつも怯えた表情で、その体はボロボロだったこと。 薬湯を零して目に涙を溜めて始末していたこと。 震えながらブランケットを手渡してきたこと。 そして、救いを求めるかのようなあの歌声。 その瞬間、正気に戻ったとでも言うように、手を引っ込めた。 眠っている律に構うことなく、その体を抱え上げ、抱き締めた。 「………?」 案の定、覚醒してしまった律だったが、抱き寄せる魔王の手が少し震えていることに気付き、静かに身を委ねた。 そんな律の優しさを、感じ取った魔王は初めて自分自身に嫌悪した。 (こいつ、…ああ、俺はこいつの名前すら知らないのか) << >> |