「お願いします!本当に何でもしますから!僕にお仕事をください!」

智樹は、文字通り佐野に縋った。
野次馬が好奇の目で見ているが気にも留めずに、土下座までした。
佐野は智樹を見下ろしていたが、何も言わず歩き出す。

「ま、待って!」

縺れる足で、何とか佐野の背中を追う。
人混みの中でも、決して見失うことはない存在感のおかげで、智樹でも追いつけた。
佐野はある店舗の前で足を止めていた。
けばけばしいその外装は看板を見ずとも風俗店と語っている。

「佐野さん!お、お疲れ様です!」

そこへ店の中から出てきた、腰の低そうなひょろい男が佐野に挨拶した。
それに応えることなく、佐野は智樹の襟を摘み上げ、男の前に差し出す。

「こいつをボーイで使え」
「は、はぁ……」

手を離すと、やはり智樹に一言も声をかけることなく、去っていった。
残された智樹は唖然としていたが、男に更衣室に案内され制服に着替える頃には働き口を紹介してもらったのだと理解した。

(佐野さん、ありがとうございます、ありがとうございます!僕、頑張ります!)

気合十分に、ロッカーを閉めた。





智樹のやる気も虚しく、二時間後には店の事務所のソファに横になっていた。
見慣れない天井に状況が掴めなかったが、馴染みのある気だるさは熱によるものだとすぐに理解する。
それから、起き上がろうと身動きをとった瞬間、左半身に激痛が走った。

「う……っ!」

骨から伝ってくるような強い痛みに、生理的な涙がじんわりと目元に滲む。
それでも痛みに耐え、ゆっくり上体を起こしたところで、事務所の扉がけたたましく開いた。
入ってきたのは数時間前に、智樹に仕事を紹介した張本人だった。

「……3244万円だ」
「……え……?」

智樹の声は酷く掠れていて、佐野に聞こえたかはわからなかった。

「お前の家族とお前の債務だ。ここ数日、お前の治療費で借金は減るどころか増えた」
「あ……」

そこでようやく思い出す。
意気揚々と、風俗店の仕事をしていた智樹だったが、仕事を始めて暫く経った時だった。
酔っ払いの客が嬢を乱暴に扱っているということで、それを止めようとした。
するとまんまと左頬に拳を受けて吹っ飛び、頭をぶつけ気を失ってしまったのだ。

「お前は煮ても焼いても食えやしない。むしろ損ばかりだ」

佐野は抑揚のない、けれど突き刺すような冷たい声で淡々と話す。

「いいか、もう一度言う。俺にとってお前は無益な人間だ、用はない。わかったなら出て行け」

マンションを追い出された時と同じセリフを残し、佐野は去って行った。
冷たく安っぽいフェイクレザーのソファの上、智樹は暫く動くことはなかった。




「おい、いいのかよ?」

車に乗り込むと、佐野はだらしなくにやける部下に目を遣った。
泣きボクロがセクシーだと囃されているこの男、堺(さかい)は軟派な見た目とは裏腹に、情報力や柔軟性に長けており、佐野の腹心の部下だったりする。

「お前ちょっと気にしてたんだろ?」

上司、ましてや皆に恐れられる佐野に、軽々しく口を利けるのは、幼馴染という特権からだった。

「泉智樹、19歳。両親は既に他界。親戚に引き取られるも、借金を残し蒸発。学歴は、あー中卒だって!こんな不景気の折に家なし、中卒、おまけに病弱ときちゃあ、職なんて就けねーし?この寒空の下野垂れ死にするしかないよなー。カワイソー」

無視を決め込む佐野に対し、堺はタブレットを操作し蓄積されたデータをわざとらしく読み上げる。
反応を返さない男に、諦めのため息を吐くと仕事の話に切り替えた。
その引き際の見極めが、佐野の右腕としていられる所以だ。

「停めろ」

先の繁華街から少しばかり離れたところで車は停まった。

「今日はもういい。お前らは帰れ」
「どっかいくの?」
「飲みに行く。護衛はいらない」
「ああ、そう。じゃあさっきの事端末に送っとくから目通しといてよ」

佐野が一人で飲みに行くことはよくあることなので、堺は運転手と共に切り上げていった。
そうしてまた、明るい繁華街に足を踏み入れると、行きつけのこじんまりとしたバーに向かった。



寝酒にと、少々強いものを飲み、程よくアルコールが回ってきたところで、佐野は一人バーを後にした。
時計の針は既に天辺を越えていたが、ネオンの明かりは未だに煌々としている。
だが、客引きは落ち着いたらしく、人影はまばらだった。

しかし、気を抜くことなく歓楽街を歩く。
組では一応それなりの肩書きをもらっているので、護衛を外した時はとりあえず警戒をするようにしていた。
とは言え、自分のシマなので、そうそう手を出してくる者もおらず、酔っ払いや血の気の多い若者のトラブルに出くわすことがもっぱらであった。

「ほら!そこのホテルでいいよね?ね?」

不意に、陽気な男の声が飛び込んできた。

「だーいじょうぶだってぇ!ちゃんと払うからさぁ!」

妙に間延びした話し方で、目を向けずとも酔っ払いの戯言だとわかる。
ホテルに入るか入らないのかで揉めているのだろう、と佐野は気に留めずその傍を通り過ぎた。

「え……!5000円もくれるんですか?」

が、聞き覚えのあるか細い声に、反射的に振り返った。
そこには、40代程の小太りで想像通り出来上がっているサラリーマンに腰を抱かれた、智樹の姿があった。

「そう!ね、行こう!すぐそこだから!」
「は、はい!よろしくお願いします」

数時間前まで、お金を返すと纏わりついていた少年が、易々と身体を売ろうとしている。
そのことに少し苛立ちを覚えた佐野は、つい詰め寄り智樹の腕を掴んでいた。
急に現れた第三者に智樹と中年男は呆気に取られ、佐野も自身の行動に戸惑いその場は一瞬、時が止まった。

「な、なんだ!お前は!」

酒の勢いなのか、中年男が最初に反応した。
酔って気の大きくなっている男は、雰囲気のある佐野に臆することなく歯向かう。

「えっ!あ、ちょ……っ」
「おい、どこ行くんだ!待て!」

慌てて引き止める中年男を佐野は、一瞥するも取り合うことなく強引に智樹を連れ去った。


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