「あの……佐野、さん……」

数ヶ月も住んでいたというのに、一度も座ったことのない高級ソファーの上で智樹は困惑した。
佐野は相変わらずの無表情だったが、これまでとは明らかに違った。
気難しそうな雰囲気はまだ健在だが、何より違うもの、それは距離にあった。
大人が十人程度腰掛けれそうなコーナーソファなのに、智樹の真横にベッタリと張り付いているのだ。
つまり、智樹の呼びかけに応えるのも、きわめて近く。
何だ?と低く艶やかなテノールが脳髄まで響いて、くらくらした。

「ぼ、僕に……できる、ことって……」

極力、佐野がいる右側を視界に入れず、智樹は核心に触れた。
不安と、ときめきでうるさく飛び跳ねる鼓動が骨から伝わってくるのをやり過ごして、返答を待つ。
しかし、いつまで経っても右耳から美声が届くことはなく。
不思議がって盗み見ると、目を見開いて固まっている佐野がいた。

「さ、佐野さん?」

普段の佐野からすれば、只ならぬ様子に智樹は慌てた。

「……ああ、すまない。まだ説明してなかったんだな……そうか」

佐野は我に返ったものの、すぐに強張った顔で思い悩み始めた。
暫くして、結論を出したのか待ってろ、とだけ言い残しリビングから出て行ってしまった。
一人になった智樹は、幾らかの緊張が解け少しばかりソファの背に沈んだ。



ふ、と光る物を見つけた。
それは目の前のローテーブルに置いてある果物かごの脇にあったナイフだった。
何となく、誘われるように手に取る。

(僕にできることがあるって言うけれど……死ぬことも、僕にできること……かもしれない)

このナイフがあったのは偶然ではなく、必然なのかもしれない。
智樹はナイフの鈍色に魅入った。

「何してるんだ」

急に手首を持ち上げられ、その手からナイフは零れ落ちた。
今度は、怒りに燃える佐野の瞳を呆然と見つめる。

「あ、さ、のさ……」
「できることはやるって言った約束、破るつもりか?」

ゆるゆる、と首を振るも納得しないようだった。

「もういい。お前の意思は聞かない。お前は病院で了承した時点で俺に命を売ったんだ。だから生かすも殺すも俺次第だ。いいな?」

目一杯頷くと、ようやく拘束から解放された。
けれど、次に左手を取られてしまい、また怒られるのかと肝を冷やしたが、指に違和感を覚えそちらに意識がいった。

「え……これ、って」

左手の薬指、確かにそこに銀色の指輪が填まっていた。

「お前は役に立たないから生きる意味がないんだろう?なら、俺の為に生きろ。何もできないなら何もしなくていい。ただ俺の傍から離れるな」
「ま、待って!佐野、さん、それは」
「お前の意思は聞かない、さっきそう言っただろうが。今までぐだぐだ考えてた俺が馬鹿だったんだ。初めから無理矢理にでもお前を俺のモンにしときゃよかった」

何を言われているのか理解できない智樹は呆気にとられている。

「言っとくが、お前が嫌がろうと泣き喚こうと俺はもう離さない。戸籍上も俺の養子にした。物理的に逃げても無駄だ。日本国内はもちろん外国に行っても絶対に探し出すからな」
「……それじゃあ、僕はどうしていれば、いいんですか?」
「この家に居ろ。それだけでいい。後は飯作って、風呂沸かして、待ってりゃ完璧だな」
「……何だか、お嫁さんみたいですね……」

あまりの展開についていけない智樹は、暢気な返答をした。

「みたいじゃなくて、そうなれと俺はさっきから言ってるんだが」
「お嫁さんみたい、じゃなくて、お嫁さん……え……ええっ!?」

ようやっと意図が汲み取れたものの、混乱が増すだけだった。

「でも、それじゃあ佐野さんに迷惑かけるだけじゃあ……」
「まだわかってないみたいだな。お前は俺のことを気にかけている場合じゃないってことを」

またもクエスチョンマークが飛び交っている智樹を抱き上げると、佐野はずんずんと寝室へ向かった。
いつもより幾分か丁寧に、けれど性急にベッドに降ろされると、大きな体が覆い被さってきた。

「嫁になるってことは夫婦の営みもするってことだ」
「夫婦の、いとなみ……?」

言葉の意味する行為を智樹は何回もしてきたはずなのに、表現が理解できなくてきょとんとしている。
智樹の純真な眼差しに、欲望が焚きつけられた佐野は、その薄い唇を貪った。

「んんっ……は……っ」

ごつごつした手が、真っ白な体を這う。
やっと、激しい口づけが止んだかと思うと、ほとんどの衣服が剥けていて、貧相な肢体が浮き彫りになっていた。
心許なくなった智樹は、身を縮こまらせようとするも、佐野がそれを許さない。
首筋を舌で舐められ、胸の赤い飾りは指先で弄ばれ、智樹自身も優しく揉みしだかれた。

「はう……ん……さ、のさん」

最早、佐野は聞く耳も持たず、智樹を食い尽くす勢いでその身体を味わった。




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