(佐野さん……佐野さんはどんな料理が好きなんだろう?やっぱり大人だし、お洒落だから外国の料理かなあ?) 近頃では、少年がいない僅かな一時に、佐野のことを想い、空想に耽ることが楽しみであった。 佐野の好みを考えたり、次に会った時どんな会話をしよう、どんな事を喋るのだろうとシミュレートしたり。 最早それは、現実の佐野からは大きくかけ離れた人物像になりつつあった。 何日も会ってないが故に美化されていく思い出、想像の中ではとろとろに甘く優しい佐野。 考えるだけで、胸は脈打ち、頭はふわふわする。 智樹にとって初めてとも言える“幸せ”な時間を打ち壊したのは、荒々しく開いた扉の音だった。 「なに、のうのうと寝っ転がってんだよ!」 腹部を思いっきり蹴りつけられる。 それは苦痛な時間の幕開けを告げる合図だった。 地獄の日々に、一筋の光が射し込んだのは、冬の寒さも架橋に入った頃。 二ヶ月ぶりに佐野が帰ってきたのだ。 敵対する組と、抗争一歩手前の緊張状態にあり、幹部である佐野も一先ず身を隠すことにしたという。 けれど本来、武闘派である佐野は乗り気ではなく、苛立った様子だった。 「こっちはもういい!とりあえず、残りは親父ンとこ回せ!……あ?知るかよ、それを上手くやんのがてめえの仕事だろうが」 隣のウォークインクローゼットでぐったりしていた智樹は、その怒鳴り声で佐野の帰宅を知った。 すぐに会いたくとも立ち上がることも一苦労な程、満身創痍であった。 しかしながら、逆にそれが智樹にとっては良かったのだろう。 数ヶ月ぶりに帰宅したというのに、もうずっと佐野の機嫌は地の底を腹ばいしていた。 特に悲惨だったのは、世話係の少年だ。 一番佐野と接する機会が多いためか、時には疎まれ、時には無視され、仕舞いには世話係の任を解かれてしまった。 智樹がそれに気付いたのは、久しぶりに体の痛みが薄れてからだった。 一難去ってまた一難。 やっと少年の暴虐から逃れたと思った矢先。 スプリングがギシギシ鳴る狭間に、苦しげな息づかいが交じる。 肉を叩く音が大きくなるにつれ、それらの温度も上がる。 「うっぐぅっあ……あぁっさ、のさん……っ」 「黙ってろ」 次に智樹に無体を働いたのは、他でもない、佐野だった。 きっかけは些細なこと。 真夜中、それは智樹がやっと食べ物にありつける時間帯だった。 少年に酷い暴力を受けるようになってから、智樹に食事が与えられることはなかった。 だから、仕方なく深夜にこっそりキッチンに入り、ハムやチーズ、漬物など減ってもわかりづらいものをつまんでは空腹を満たしていた。 それは少年が去ってからも変わらずで、夜の闇に紛れてそうっと廊下に出た瞬間、ばったり佐野と出くわしてしまった。 実は、佐野が帰ってきてから会うのはこれが初めてで、智樹は大きい槌で心臓をがあん、と強く叩かれたぐらいの衝動が走った。 今の今まで、会いたくて。 それでも、ドア越しから伝わってくる緊迫した空気に、とてもじゃないけれど顔を出せず。 欲望と理性の狭間で葛藤していたのだ。 智樹の唇が、不意に佐野の名を紡ごうとした。 「なんだ。まだいたのか」 ぞくりと、足元から冷え渡る声だった。 まるで霧が晴れたかのように、智樹の瞳に佐野がくっきりと映った。 目の前の男は決して思い描いていた人物ではなかったのだ。 それどころか、正反対の、春を冬にしてしまうような、暖炉の灯火を一瞬で灰に変えてしまうような、冷酷な雰囲気を纏っている。 ときめきが一転、恐怖に胸が震えた。 「ちょうどいい。暇つぶしに遊んでやろう」 智樹は否を言う暇もなかった。 寝室に引きずり込まれると、ベッドに投げられうつ伏せに倒れこんだ。 服を脱がせることもなく、臀部のみを曝け出すと、ローションをお座成りに塗ると、背後から一気に貫かれた。 少年にされた性的暴行の方が何倍も辛いと思っていたのに、今では佐野に与えられる痛みの方が凌駕していた。 性行為と呼ぶにはあまりに身勝手で、己の欲望を放つと智樹の頭を掴み上げた。 「しゃぶって綺麗にしろ」 体液に塗れ、熱が治まっても尚大きい男根が眼前に突きつけられる。 体力も気力も限界に達しそうな自身に鞭打ち、そっと頬張る。 少年に散々仕込まれた通りの手順で、丁寧に舌を動かした。 すると、暫くもしない内に佐野に止められた。 「待て。お前……それ、どこで覚えた?」 地獄の門から漏れ出たような声に、また体がすくみ上がる。 ガチガチに固まった智樹に舌打ちすると、顎を掬い、無理矢理目線を合わせた。 もう一度催促すると、智樹は歯をカチカチ鳴らしながら少年のことを告げた。 それを聞いた佐野は一拍置くと、掌を智樹に振り下ろした。 ぱしん、と乾いた音が脳にまで響く。 同時に衝撃を受けた智樹はベッドの反対側までふっ飛んでいた。 「はっそうだったな。お前はそういう奴だった。誰彼構わずすぐに股開く淫乱が!俺の若いのにまで手ぇ出してたなんてな」 智樹は違う、と思った。 だって、あの行為は自分が望んだことではないのだから。 抵抗だってたくさんした。けれど、その度に容赦なく殴られ蹴られた。 本当は嫌だったのに、あの地獄の中では受け容れるしか他なかったのだ。 そう言いたかったのに、智樹の口は開かなかった。 口だけではない、指も足も、目玉もどれひとつ言うことを聞かない。 ただ冷たい涙だけは、だらだらと流れ出ていった。 << >> |