遡ること1ヶ月前。 松原くんはバイトがあるから先に帰り、僕は委員会に出るために遅くなった。 会議が終わり、帰ろうと廊下を歩いている時だった。 教室に残ってお喋りしている女子の声が聞こえた。 「っていうか松原くんってさー、ホモ?なんだよね?」 「ああ、何か同じクラスの男子と付き合ってるって噂」 「噂でしょ。だって私見たよ、松原くんがバイト先で美人と絡んでるとこ」 「まじで?私、中村さんだったらいけると思うんだけど」 「いやいや、松原くんだったら清楚系じゃなくて色っぽい子が好みでしょ」 僕は頭を金槌で叩かれたような衝撃を受けた。 確かに失念していた、松原くんがこれ以上ないくらいの美形で、それ相応にもてる、と言うことを。 学校では、僕以外とは話さないし、バイト先のことまで気にかけていなかった。 (でも、松原くんは僕とお付き合いしてくれているはずだし、例えもてたとしても関係ないよね?) 自問自答してみるものの、ネガティブな答えしか出なかった。 だってよくよく思い返せば、僕ってばかなり酷いかもしれない。 ほぼ毎日、松原くんの家に入り浸ってるし、部屋にいてもココア淹れてもらったり、ご飯作ってもらったり、たまに勉強教えてもらったり。 してもらうばっかりで、僕は何一つ松原くんにしてあげていないことに気付いた。 まずい、絶対にまずい。 こんなのいつ愛想を尽かされてもおかしくない。 というか、もう尽かされているのかも……。 そんなの絶対に嫌だ! 僕は生まれ変わるんだ! それは松原くんに告白した時に誓ったはず。 その時は、ただ今までの自分を変えたかっただけだった。 でも今は違う。僕が生まれ変わるのは松原くんとずっと一緒にいれるためだ。 と言っても何から始めればいいのか、迷った。 変わると言うと、やっぱり見た目だろうか。 確かに松原くんは整った顔立ちを除いても、お洒落でかっこいい。 この前の私服姿なんかはモデルさんみたいでかっこよかったな。 けれど、僕にはそんなセンスないし、お金だってない。 お金、というところで僕はピンときた。 そして、バイトを始めようと決めたのだ。 これは、松原くんと付き合いだした頃から決心していたことだった。 松原くんは最初、受け身な僕が嫌いだったって言ってた。 その後で、そうじゃないって言ってくれたけど、吃音を理由に色々諦めている僕はやっぱり甘いんだと思う。 せめて何かひとつ、積極的にできればと考えていた。 だから、まずはアルバイトをして、自分の力でお金を稼いでみたいと思った。 それで松原くんにプレゼントを買おう。 いつもお世話してくれてる感謝を形にしたかったからだ。 何を買うかはまた頭を悩ませそうだけれど、そこは一先ず置いておくことにした。 こうして僕の改造計画が始まった。 バイト先は意外なところで決まった。 その日、どうしても松原くんのバイト先で絡んでいた美人、とやらが気になって、後をつけた。 バレないように、道路を挟んだ向かい側のビルからこっそり様子を窺う。 僕はその光景に愕然とした。 カフェでバイトをしている、とは聞いていたけれど、お客さん全員が若い女の子ばかりだった。 しかも、間違いなく松原くん目当てであろうことが、遠目でもわかる。 女の人の目線に、磁石でも付いているかのように、松原くんを追っかけていた。 (こ、ここまでもてるんだ……松原くんは) そんな打ちひしがれる僕の目に、それは飛び込んできた。 ビルの入り口横の壁に、真っ白い紙にでかでかと書かれている募集の文字。 タイミングの良さにすぐ食いついた。 「ビルの清掃……?」 「う、う、うん。ああの、オオ、オーナーさんが、と、とっても良い人でっき、吃音で、でもいいって」 「何で隠してた」 「あ、えっとおお驚かせよう、とお思って」 「……辞めろ」 「ど、どどうして?あっあ……ま、松原くんのバ、バイト先のち、近くだ、から?あ、あの、き気持ち悪い、よね、ごごめっ」 「そうじゃない、何か欲しい物があるのか?なら俺が買ってやるから」 「ち、ち違うよ?ぼ、僕はは働きたいだけなんだ。そ、それにととも、友達も、でできた、し」 「友達……?まさか最近メールが多いのは、その友達からか?」 「う、ん。あの、ま真崎さんってい言って、だだ大学生の人な、なんだけど、こ今度遊びにい、行こうって」 「は!?」 今まで、表情を変えなかった松原くんが、思いっきり顔を歪めた。 その表情に、僕は余計びくびくしてしまう。 「そいつは男か?女か?」 「お、お男の人、」 「辞めろ!今すぐそんなバイト辞めろ!」 「な、な何で!何でバ、バイトしちゃ、いいけない、の!?」 珍しく反論する僕に、松原くんは静かに立ち上がり、僕をベッドに放り投げた。 まるで、初めて乱暴した時を再現するかのように、馬乗りになり、服を剥いでいく。 無表情で強引な手つきの松原くんが、怖くなり一気に涙が零れ落ちる。 「やっやあ!い、い、いやっ!」 「誰がもてるって?変に色気振り撒いてるのはお前のくせに!いつも自覚しろって言ってるだろ!!」 「ごめっなさ……っやめ、るからっババ、バイト辞めるからっき、きら、嫌いになら、ないで」 嗚咽を漏らし本格的に泣き始めると、松原くんの手はぴたりと止まった。 「違うな……」 ぽつり、と呟くと、乱れた衣服を直してくれた後、キッチンの方に行った。 僕は何が違うのかわからず、混乱した。 やっぱり、僕のことが好きじゃない? 思っていた性格と違った? 嫌な想像がぐるぐる頭を廻り、涙腺は緩みっぱなしだった。 暫くして、松原くんが戻ってくると、冷たいもので目を覆われた。 「ごめんな、俺が間違ってる」 「……な、な何が?」 すっと、視界が開けたと思うと、松原くんの手には濡れタオルがあった。 「全部だ。変な独占欲出して学校でも俺以外と話せないようにしたり、平日も休みの日も俺の部屋に閉じ込めて、その上バイト禁止するなんて」 「……え?え?えっ?」 「俺はお前に酷いことしてたし、いつか正気に戻った陽に愛想尽かされるんじゃないかって、勝手に焦ってた」 突然の告白に、言葉も出ず、僕の脳は情報を処理しきれなかった。 「そ、そそんな……そ、そんなことない!ぼ僕の方が、ぜ全然駄目だし、ああ愛想尽かされるって」 「……あまり言いたくなかったけど、最近お前、人気あるんだよ」 「に、にん……?え?えええ!?」 「えろ……いや、あー、可愛くなったとかで」 正直、松原くんの話にはついていけなくなっていた。 最近人気で、その理由は可愛くなったからとは、一体どこのどなたの話なんだろう。 それくらい、僕には似つかわしくない話題だった。 「だから、バイトは辞めなくていい。でも、1つだけ条件がある」 「えー、ひなちゃん行けなくなったの?」 「ご、ご、ごごめんなさ、い!あ、あの、こ、こ恋人が、そ、その」 「ひなちゃん、彼女いたの!?」 「え、えっと、」 松原くんが出した条件は、真崎さんとは遊びに行かないこと、だった。 曰く、絶対狙ってる、らしく恋人がいることも仄めかしておけよ、とも言われた。 ひと波乱あった、僕の初めてのバイトだったけれど、今は一緒に出勤して、一緒に帰ることができるから、とても幸せだ。 その後初給料で、財布をプレゼントした――もちろん散々悩んだ――。 ありがとうって笑顔で受け取ってくれたけど、今度からは無駄遣いするなよってちょっぴり怒られた。 次からは食費に回すね、って言ったらむっとした後、顔が少し赤くなってた。 そのやりとりが新婚さんみたいだなあって呟いたら、もっと真っ赤になってそうだな、って言ってくれた。 これが、最初で最後の僕達が喧嘩したお話。 END. << |