(お父さん、お父さん)

市は、亀裂から出ると、最初に来た泉に出た。
一心不乱に村を目指し、山を下っていった。
すると、山菜を摘む、村の女衆に出くわした。
見慣れた顔についつい懐かしさがこみ上げ、話しかけようとしたところ一人の少女と目が合った。

と、耳が割れんばかりの悲鳴が上がった。
釣られてそこにいる全員が市を見ると、皆、金切り声を上げだした。
そして口々に、

「バケモノ!」
「いや!来ないで!」
「市だ、市の怨霊だ!!」

そう叫びながら一斉に逃げていった。

「ま、待って……!」

自分は死んでいない、誤解だ、と遅い足取りで懸命に追いかけた。
幾らかして、前方に村人の姿が見えた。
こちらに向かってきているのだが、どうも様子がおかしいとよく見れば、皆手にクワやナタ、オノなどを持って険しい顔つきをしていた。

市は、その溢れる殺意に恐怖し、後ずさったものの、身重の体だけでなく、左足を引き摺りながらでは逃げ切れず、あっさり取り囲まれた。
命の危機を感じ、咄嗟に腹を庇った。

「本当だ、こいつ、市だ」
「おい、こいつの腹ぁ、膨れてやがる」
「こりゃあ孕み女と一緒の腹してらぁ」
「まさか、水神様の子か?」
「おいおい、こいつは男だぜ?」

下種な笑い声が四方八方から聞こえ、市は嘔吐感に苛まれた。

「おい、この腹の子殺っちまおう」
「いや……まずいだろ」
「でも、水神には正直困らされてばかりだからなぁ」
「確かに、ガキが殺られたとなりゃあ少しは大人しくなんだろうよ」

穏やかではない内容に、市は男達の隙をついて逃げ出した。
が、やはりこの山道ではそれは叶うはずもなく。

「市、手間かけさせんじゃねーぞ!」
「お前が生きててもなぁ、誰も嬉かねぇんだよ」

(そんなことない!そんなことない!だってお父さんは……!)

市は、男達の話を聞かないように努めた。

「お前の父親、今何してるか知ってるか?」
「え?」

聞いちゃだめだ、そう心は訴えるのに、

「都に下ってよぉ、そこで女と所帯を持ったらしいぜ」

一言一句、市の耳は言葉を拾う。

「この間、ガキが産まれたってよ」

ずっと知らないふりを、しなければいけないのに、

「お前は捨てられたんだよ、とっくの昔に」

市は真実を、全て知ってしまったのだ。

「もういいだろう、冥土の土産にはなったか?」
「じゃあな、市」

男達は、刃物を振り上げた。



ざわり、と結界を潜り抜ける感覚を、遠く離れた出雲から水神は感じ取った。

「おい、どうした?」

旧知の間柄である山神から、声をかけられるが、最早そこに意識はない。

(今の感じ、大きかった。大型の動物か、あるいは人間か――)

嫌な予感が拭えない。
まだ神議の途中で、放り投げるわけにはいかない、が。

(駄目だ、我慢ならん!)

どろん、と人型から、龍になると忽ち空へ上った。
そこを天狗と化した山神が追いかけてきた。

「待て、どこへ行く。御主が治める山々の幽事が決まっておらぬ!」

幽事とは、人々の願いや、罰を与えることであるが、これを神が決めねば人々は迷い己を見失うとされている。

「知ったことか!あんな屑ども!どうにでもなるがいい!!」
「おい!水神よ!」

天高く吼えると、大きく体を波打たせあっという間に見えなくなった。


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