少しぬるくなったコーヒーを一気に飲み干すと、多少平静になれた。 「あのさ、一緒に住んでて体の関係まであるなら、それって付き合ってるってことなんじゃないの?そもそも処理って何?別に蛍からそう言われたわけじゃないんでしょ?」 自分と四條の仲を修復させるために別の男と関係を迫った忍だ、きっと変な勘違いをして暴走しているに違いない。 大方四條のちょっとした発言をかなりネガティブに捉えたのだろう。 多奈川はそう分析した。 しかしながら、困ったように笑う忍の顔を見て自信をなくす。 「え……嘘でしょ……まさか言われたの?ただの処理だって?」 こくり、と忍は首を縦に振った。 その瞬間、多奈川は大仰な溜息と共にテーブルに突っ伏した。 「わわ、た、多奈川くん!だ、大丈夫!?お水貰おうか?」 「いい、いいから。大丈夫だから。蛍のアホさに力が抜けたの」 「え、えっと……?」 狼狽する忍を傍目に多奈川は元恋人にありったけの罵詈雑言を心の中で浴びせた。 付き合っていた当初から最悪な男ではあったがそれでも最低限の常識は弁えていたはずだ。 大学を辞め、姿を消した忍を追いかけた時は人間くさい一面もあるじゃないかと少し見直したりもした。 それが何故この体たらく。 多奈川が勢いよく顔を上げると様子を窺っていた忍は椅子から落ちそうになりながら素っ頓狂な声を上げた。 「そもそもあんたはそれでいいの!?蛍のこと好きなんだよね?恋人になりたいとか思わないわけ!?」 「こ、恋人だなんて!ただ、その……と、友達になりたいって思います。あっもちろん今のままだとそんなの無理だってわかってて!だからまずは僕が四條くんの隣に並んでも恥ずかしくないくらいの人間になろうと頑張ってます!」 最早謙虚を通り越して卑屈な発言でしかなかったが、忍は飽くまでも前向きだったようで照れ臭そうにはにかんでいた。 よもや多奈川に何か言う気力も、そして掛ける言葉も見当たらなかった。 お互い目を合わすことなくテーブルの上をじっと見つめたりしていた。 途端にはっとした忍が時計を見ると、もう行くと慌しく立ち上がった。 「行くってまさかさっきの店とか言わないよね?」 「そう、です、けど?」 多奈川ははあ、とまた大きく息を吐いた。 「専門学校?調理の?」「うん、10月入学の夜間学校なんだけど働きながら通えるの。だけど、その、夜は家を空けちゃうことになるんだけど、いい、かな?」 四條は眉間に皺を寄せ考え込んだ。 その様子をどきどきしながら窺っていると、わかった、と了承が返ってきた。 「あ、ありがとう!もちろん家事はちゃんとするから……!」 小さく喜ぶ忍を四條は胡乱げな目で見つめた。 それからの忍は朝、慌しく家事を終えるとアルバイトに行き、夕方一度帰宅してから学校に通うという生活を始めた。 今まであまり料理に興味を持っている素振りなどなく、寧ろ嫌っていたようにも思えるくらいだった忍が、専門学校に通い始めたことはかなり不自然だった。 四條は度々その理由を聞き出そうとしたが、如何せん朝も昼も夜も全くすれ違う生活になってしまったためその機会はまだきていない。 学校とアルバイトの休みが重なった日でも忍は友達と約束があると言い、夜まで帰ってこなかった。 ――バイト先でね、先輩が頑張ってるねって褒めてくれたんだ! ――学校の友達が今度遊びに行こうって言ってて ――今日初めて実習でA評価貰えたの! 話をしようと無理矢理時間を作ってみれば、忍はその日あった嬉しい出来事や、友人のことを一方的に話すばかりで四條に口を挟ませなかった。 もちろん行為の回数もぐんと減った。 生活のすれ違いだけでなく、その四條を突き放すような対応に完璧な男の鬱憤は積もり積もっていった。 忍も日に日に冷たく乱暴な態度になっていく男に焦りを感じていた。 そして入学して早二ヶ月、年の瀬も近い時期、ついに四條の怒りは爆発した。 それは数日ぶりに二人で食事していた時のこと。 忍にしては珍しく手の込んだ料理で、四條は少しばかり感動を覚えていた。 ここのところぎすぎすした雰囲気が多かった二人が珍しく和やかな時間を過ごしていたはずだった。 しかし、食後のゆったりとした空気の中、忍は四條に改まって向き直った。 「四條くん……僕ね、この部屋を出ようと思ってるんだ」 「は?」 「年明けになるんだけど……今日、部屋も見てきたんだよ!良さそうなところだったからそこにしようかなって」 「意味、わかんねぇ……何で急に……」 「あ、ご、ごめんね!僕の中では前から決めてて、あの、もっと事前に話せばよかったね、ごめん」 「前から……?前から出ていきたいって思ってたのかよ?」 忍は雲行きが怪しくなってきた会話に、冷や汗が流れた。 << >> |