丘忍(おかしのぶ)は、メリハリのない人生を送ってきた。
勉強や運動、趣味、特筆するものはなく、控えめな性格も手伝い人間関係も地味だった。
それに加え、一度も染めたことのない髪はクセ毛でボサボサだったし、一昔前の丸眼鏡を掛けていて、とにかく見た目に頓着しなかった。
決して目立つ存在ではないが、忍は不満もなく慎ましく生活していた。

そんな忍のありふれた日常が一変したのは高校二年生、17歳の春だった。
忍のクラスに転入生が入ってきたのだ。
その人こそ、四條蛍だったのである。
当時から野性味溢れる男らしさに、忍は転がり落ちるように恋をした。
ゲイではなかったはずだったけれど、四條は性の垣根を易々と飛び越える魅力を持った男だった。

好きで好きで、堪らなく好きで四條を追いかけ同じ大学に入った。
眼鏡を外しコンタクトに替えた、初めて美容院に足を運び髪も染めた。
服装だって雑誌を買い漁り研究した。
何もかも四條に近づくため、せめて彼の中でのその他大勢に入りたかった。

長い間、洗面台の前で呆けていた為か、濡れた肌も乾いていた。
両頬をペチン、と叩いて気合を入れ直すと、忍は急いで調理にかかった。



それから数時間後には昨日と同じく、保存容器を手に四條のマンションまで足を運んでいた。
忍は震えそうな指先で、インターホンを鳴らす。
何も反応がないのでいつものようにドアを直接ノックした。

「丘です!あ、あの……入るね?」

相手の応答を聞かぬ内に忍は鍵のかかっていない扉を開けた。
少し埃臭い玄関を抜け1LDKのリビングに入った。
四條は昨夜と変わらず、ソファの上で酒を煽っている。

「四條くん、また何も食べないでお酒飲んでたの!?」
「また、お前かよ……いい加減にしろ」

怒鳴りつけるのも面倒なのか、低く唸りながらねめつけた。
忍は以前よりも鋭くなった眼光に小さくなりながら、目に付く範囲のゴミを拾う。

「聞こえなかったのか……余計なことすんじゃねぇよ、とっとと失せろ」
「でも!ご飯くらい食べないと……」

今日はシチュー作ってきたから、と言う忍を四條は鼻で笑った。

「てめぇのクソまずい飯なんざ食えるか。ゴミ食ってる方がましだ」
「そ、んな……ま、前は食べてくれたよね?」
「腹減ってたからな。空腹の時はまずい飯でも食えるだろ」

その言い草に忍は青褪め、ごめんなさい、と呟くと部屋を後にした。
そして、ここ数日同じように繰り返した、中身のなくならない保存容器を手に自分のアパートへととぼとぼ帰った。
玄関扉が閉まると、そのまま背中を預けずるずる座り込む。

「馬鹿……僕の馬鹿……消えてなくなれ」

それは四條と多奈川の袂が分かった時から、ずっと抱えている思いだった。
忍は幸せそうに微笑み合う二人を脳裏に浮かべた。
多奈川が綺麗に笑う、それに釣られて四條は少し目を細めて口角を上げる。
そんな表情が好きだった。

「好き……好きだよ、四條くんっ」

未だ枯れることのない恋心を無視するかの如く、忍は目を瞑った。



忍は我が目を疑った。
いつも通り、多奈川を探そうといちょう通りに出た。
すると、人とすれ違い様、探し人の名を耳にしたのだ。

――多奈川も良い奴と出会えて良かったな。

嫌な予感がして、急いで広場まで走った。
円形になっている広場の曲線階段で、集団が屯している。
目を凝らすと中心に多奈川で談笑していた。
近づこうとした途端、多奈川は誰かに呼ばれ立ち上がった。
振り返る多奈川に釣られて忍もその先を見ると、体躯の良い男がいた。
そして、多奈川は友人達に別れを告げると、その男と恋人のように手を繋ぎ、去っていった。

(何、今の。何で多奈川くん、あんな男と……!)

そこではっとする。

――悪いけど……僕、もう良い人がいるんだ。

多奈川は昨日、確かにそう言っていた、と。
忍はただの言い逃れだとばかりに、聞き流していた。

(そんな!そんな、どうして!?四條くんのこと、好きじゃなくなったって言うの?嘘だ!)

四條は華やかな男だ。
しかし、先に見かけた男はスポーツ少年がまんま青年へと成長した、素朴な人だった。
真面目で誠実そうな、四條とは正反対の。

(当て付け?ううん、多奈川くんは誰かを利用するような人じゃない。だとしたら、あの男に言い寄られてる、とか?)

忍は確信した。
原因はあの男にあるのだと。
思い描いていたこととは裏腹に、状況は悪くなっていく一方。
血の気が薄くなった顔色で、けれどその瞳は強く光っていた。

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