18時きっかり時間通りに帰宅した佐野は、一つ溜息を吐いた。
昼前に、智樹がマンションを抜け出そうとした、と部下から連絡が入ってから、内心気が気でなかったのだ。
退院した日に、思い詰めた表情で果物ナイフを手に持っていたという前科もある。
もしかすれば、まだ死にたいと思っているのかもしれない。
そう思って扉を開けると漂ってきた食欲をそそる匂いに安堵する。

ゆっくりとリビングに向かえば、キッチンを動き回る気配がした。
ソファにジャケットを乱雑に投げると、ネクタイを緩めながらキッチンスペースを覗き込んだ。
智樹はまだ佐野に気付いていないようで、調理に夢中になっている。
自分の為に料理する姿に、男は誰も見たことがない程威厳ある表情を崩していたが、不可思議な光景に眉を顰めた。

「流石に作りすぎだろう」

その声で智樹ははっと、振り返り佐野が帰ってきていたことを知った。
驚いている智樹と、難しい顔をしている佐野の間にあるキャビネットの上には、所狭しと料理が並んでいた。

「お、お帰りなさい……佐野さん」

慌てて目を泳がしながらそう言う智樹は、台詞とは反面、佐野を歓迎していないようだった。
そうして俯いてしまった智樹に、佐野は少しだけ眉間の皺が深くなる。
不機嫌さを隠さず、佐野はで?と問いかける。
智樹は頭を上げると、頭上にはてなを浮かべていた。

「こんなに作ってどうするつもりだ?」

その言葉に、漸く智樹は思い出したのか、眼前に並ぶ器と佐野の顔を交互に見た。
釣られてキャビネットに視線を落とす。
筑前煮、から揚げ、茄子の煮浸し、ハンバーグ、里芋の煮物、等々。
男二人と言えど食べきれないくらい数がある。

「あ、の……ど、どれか、食べられる物はありますか?」
「俺は特に好き嫌いはない」
「あ……え、っとでも、僕の味付けだと、食べられないかもしれませんから」

もごもごと口篭り、智樹は身体を小さくしながら言った。
佐野は暫し逡巡すると、手前に置いてある煮物を指で摘んで食べてみせた。
目を一杯に見開く智樹を尻目に、佐野は次から次へとそれぞれ口にしていった。
佐野がどんどん食べていく中、智樹の顔色はどんどん青くなっていく。
粗方、摘み食いした佐野はただ一言、うまい、と言った。

「お前が作った物は全部うまい」
「あ……あ……っ」

たったそれだけで、智樹は身体中の糸が切れたように、その場に座り込んでしまった。
両目から大粒の涙をぼろぼろ流し全身で泣く智樹は、佐野の理解を超えた。

(またパニックでも起こしたらまずいな……)

一度落ち着かせようと、抱き上げてソファのコーナーカウチに座らせた。
少し屈み目元を隠している智樹の手をこじ開けると、親指で涙を拭った。
真っ赤な目がやっと佐野に向く。
震える唇を噛み付くように奪い、舌を滑り込ませ、口内を蹂躙した。
智樹の口角から二人分の唾液が零れるくらいになると、激しさに耐え切れなくなり無意識に佐野に縋りついた。
胸辺りのシャツをきゅっと握る仕草に、佐野は気を良くし、徐々に体重を掛け、智樹を押し倒した。
長い口づけから解放すると、智樹はとっくに泣き止んでいた。
それどころか、佐野のキスで蕩け、上せたように赤く染まっている。

「ったく、何をそんなに泣く必要があったんだ?」

涙で頬に張り付いていた髪を剥がしてやりながら聞いた。
すると、またしてもくちゃっと顔を歪ませた智樹だが、込み上げるものを堪えながら、話し始めた。

「僕、お、洒落な、料理とか、知らな、っくて……」

レシピを探したり、料理本を買いに行こうとしたことなど、途切れ途切れになりながらも懸命に話した。
そこで初めて佐野は智樹の性格を思い出した。
思い詰めればとことん一途になるということを。

「洒落た料理なんかどうだっていい。基本何だって食うし、お前が作った物なら全部食ってやる」
「ごめ、なさい。が、んばります。さ、佐野さんの、お嫁さんにちゃんとなれるよ、う、頑張ります」

(またややこしいこと言い始めたな、こいつ)

溜息を吐きたいが、必死に飲み込む。
今の智樹はそれすらも自分に呆れた、面倒だと思われているとネガティブな捉え方をするであろうから。

「別に頑張らなくてもいい。言っただろう?俺の傍にいればいいって」
「でも、僕、りょ、料理もできない、し」
「あれだけ作れれば上出来だろ」
「掃除とか、洗濯、とかふ、普通の方法し、しか知らない、し」
「寧ろ普通以外何があるんだ……」
「セ、セックス、もへ、下手だし、すぐ寝込む、し」
「それは俺が仕込むからいい。体調も管理するから問題ない。後は何だ?」

こうなったら思う存分不安を聞いてやろう、と意気込んだ。
智樹は、きょろきょろと目を動かしたと思えば、あ、と声を上げた。
そうして、するり、と佐野の下から抜け出し、キッチンへ引っ込んだと思えばすぐに帰ってきた。
佐野はソファに座り直すと、智樹の手元にあるバターの箱を見て、既視感を覚えた。
フローリングに座り込んだ智樹が、ソファの前のローテーブルにジャラジャラと箱から出した500円玉を見て合点がいく。
嘗て、智樹の部屋として与えたウォークインクローゼットの隅に置いてあった物だ、と。

(貯金箱だったのか……)

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