役立たずな自分に失望し、死が唯一人の為になるとさえ思っていた。
けれど、佐野はそんな智樹をもう一度、絶望の淵から救い上げてくれた。

――俺の為に生きろ。何もできないなら何もしなくていい。ただ俺の傍から離れるな。

佐野に指輪を嵌められ、嫁になれと言われ、そのまま初夜を迎えたのが昨日。
怒涛の展開に、頭はついていけず、あまつさえ翌朝には熱が出てしまい、またしてもベッドの住人と化してしまった。
体調も回復し、やっと状況を把握できたのは、その二日後だった。

智樹は広すぎるアイランド型キッチンで一人、あたふたしていた。

(どうしよう!?僕、何を作れば……!佐野さんに合うようなお洒落な料理なんて知らないよ!)

冷蔵庫を開けては、無意味に食材を取り出したり、戻したり、と落ち着きがない。
歩き回りながら考えるも、浮かんでくる物は煮物や煮付けなど、地味な料理ばかり。
そもそも智樹が頭を抱えているのには訳があった。
それは、ベッドから起き上がれるようになった今朝のこと。
初めて二人で囲む朝の食卓にただでさえ智樹は熱がぶり返しそうなのに、テーブルの上に広げられた食事に卒倒する思いだった。
病み上がりの智樹を考えて、佐野が行き付けの料亭にわざわざ作らせた療養食なのだが、どこから見てもそれらは懐石料理だった。
どう手をつけて良いものかと悩んでいると、既に皿を半分程空にした佐野が何とはなしに言った。

「今日は18時までには帰る。飯は食うから、頼んだぞ」

佐野は残りを一気に平らげると、さっさと仕事に行ってしまった。
青くなった智樹の顔色には気付かずに。

そうして朝から智樹の修羅場が始まった。
自分で考えても仕方がない、とまずは料理本やレシピがないか探し回った。
もちろん、佐野がそんな物を持っているはずもない。
次にテレビ番組の存在を思い出し、何度かザッピングしたものの、タイミング良く料理番組がやっているなんてことはなかった。
最終手段として、智樹は料理本を買いに行こうと思い立った。
素早く、ウォークインクローゼットに駆け込み、隅に置いてあったバターの箱を開ける。
中には数枚の500円玉が入っていた。

(本当は佐野さんに返そうと思ったけど……し、仕方がない、よね?ごめんなさい!)

それは嘗て智樹が佐野に身体を買ってもらった時に貰った収入だった。
夜中にこっそりゴミ箱から拾ったバターの空箱を取ってきて、その中に貯めていた智樹にとって唯一の財産だ。
それを持って、智樹はまた別の部屋に駆け込む。
そこは智樹の部屋、として与えられ、部屋はもちろんクローゼットの中の衣服も全て智樹の物だ、と明け渡された。
改めて入ってみると、8畳の部屋は広すぎて落ち着かない。
壁一面、備え付けのクローゼットを開けると、100着は超える洋服がずらりと並んでいた。
ほんの2、3着だと思っていた智樹は、その光景に圧倒されて一瞬固まる。

(ど、どれが僕に用意してくれた服なんだろう……?)

クローゼット全てが智樹の為に誂えた物であったが、今まで服と言えば学校の制服や体操服ぐらいしか着てこなかった智樹は、そんなこと考えもしなかった。
このマンションに連れてこられてからも、佐野から適当に貰ったYシャツとハーフパンツをずっと着ていた。
智樹はとりあえず、引き出しを開けて一番上にあったシンプルな白のシャツと、ハンガーラックに吊るしてあるベージュのズボンに着替えた。
そしてシューズボックスから智樹が履けそうなサイズのトラッドシューズを見つけ準備は整った。
エレベーターで一階へ降り、いざ出陣、とマンションのエントランスを潜ろうとした時だった。

「智樹さん、どちらに行かれるんで?」

後、数歩で外、と言うところでいきなり黒づくめの男達に囲まれたのだ。
それは佐野の部下で、今は智樹の護衛に就いていた。
一様に皺のないスーツをパリッと着こなしているが、明らかに一般人ではないオーラを感じ、気圧されるばかりだった。

「あ、あ、の……」

前も後ろも塞がれて、恐怖で声が引き攣る。

「さあ、部屋に戻りましょう」

相手に有無を言わさないところはやはり護衛と言えども組織の人間である。
あれよあれよと部屋に戻され、結局、料理本を買うと言う切り札も消えてしまった。

昼になると、先程の護衛の一人がまたも豪華な昼食を届けに来たが、焦りと緊張で一口も喉を通らなかった。

(どうしよう……せっかく、せっかく佐野さんが傍に置いてくれるって言ったのに……。でも、お嫁さんなんて、僕にできない……)

見た目だって悪い、体もガリガリで、直ぐに寝込む、料理も限られたレパートリーしかなく、掃除も洗濯もここにある物は上質すぎて自分のやり方が合っているのかもわからない。
何もできないなら何もしなくていい、確かにそう言われたが、本当に何もできないということは苦しいのだ。

(佐野さんにがっかりされたくない……何とかしなくちゃ)

じわりと目の淵に溜まった涙を拭い、智樹は冷蔵庫を再び開けた。

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