兎達に由れば、ここは現世ではなく、常世なのだそうだ。
現世と常世は映し鏡のように繋がっていて、そっくりそのまま同じ建物が存在している。
しかし、境内は現世と何一つ変わりないのに、六畳程だったお堂は玄関の上がり間になっており、その先にはずっと廊下が続いていた。
今日から此処が俺達の住まいとなるらしい。
大国主様は福の神としての力を奪い地主神としてこの土地に縛りつけたそうだ、手伝いとして藤の魂ごと。
その話を聞いて俺と藤は戸惑った。

俺はともかく、藤はもう人として生きることは出来ない上に、人間からすれば気の遠くなる年月この土地に囚われるということだ。
そんな理不尽なことがあっても良いのだろうか。
不運な人生を歩み、不遇な最期を迎え、待っていたのはこの仕打ち。
藤の様子を横目で窺っていると、急に立ち上がり俺の正面で正座した。

「露草様。僕は対してお役に立てないことでしょうが精一杯お仕えいたします。出来るだけ露草様を煩わせないよう気をつけます。なので、どうぞ僕を此処に置いてください」

そう言って、藤は頭を下げた。
藤の言葉に軽く混乱したが、何やら違和感があった。
俺は藤の頭を上げさせると俺達の溝を丁寧に埋める為、話し始めた。

「待て、藤。仕えるだなどと、お前はそんなことをしなくてもよい」
「た、確かに僕では役者不足かもしれませんが……っ」
「違う!そうではない。そうではなく、俺は藤にただ傍に居てくれさえすれば……否、これは俺の願望に過ぎない。お前は違うだろう?もっと人間として人生を全うしたかっただろうに。幸せになりたかっただろうに」

ゆっくり、藤を怖がらせないようにその頬に触れた。

「露草様……。それこそ間違いで御座います。僕は、僕は露草様と共にいるだけで幸せなのです。貴方様のお世話をできることこそが喜びなのです」

瞳一杯に水の膜を張り、困った笑顔で藤はそう言った。
嗚呼、そんな顔をさせたいわけではないのに。
思わずまた、この腕に華奢な身体を閉じ込めた。

「藤、藤。俺はお前のことを心から慕っている。お前がいないのならこの世もないのと同じだ。だから何だってしてやりたい。頼むから我が侭を言ってくれ。俺に遠慮をしてくれるな」

暫し沈黙が包み込んだ。
腕の中から、ぐすり、とくぐもった嗚咽が聞こえた。
「我が侭を、言っていいと言うのなら、一つだけ。露草様、貴方と共に在りたいです……!貴方のことをずっとお慕い申しておりました!貴方が常世に帰られてから、僕は生きがいを失くし抜け殻となって、只管貴方に供物を捧げる日々でした。いつか貴方が戻ってくるのではないのかと、そればかり考えて」
「それであれだけの供物が……」

自ら食べることなく、俺へ捧げる為だけに。
そのせいで藤は衰弱してしまったのか。
俺は胸が引き裂かれる痛みに襲われた。

「露草様が現世から去られたのは……僕が至らなかったせいですよね。僕が貴方を拒んでしまったから。でも、今度は絶対に拒んだりなど致しません!だから……っ」

今ならわかる、何故あの時藤が俺を拒んだのか。
周辺に山菜や実が生らず、決して丈夫とは言えない細い身体で遠くまで採取しに行っていたのだ。
そんな身に何も考えずに俺は欲望をぶつけていた。
藤の身体は限界だったのだ。
それなのに、藤は自分を責めていたのか。
俺が去ったのは自分のせいだと。

「ありがとう。ありがとう、藤。こんな俺を想ってくれて。必ず、藤を幸せにする。だからこの先は俺と共に歩んで欲しい。もう二度と離れたくないのだ」
「僕でよければ、いくらでもお傍に。何だって致します……っ」
「では、妻として俺の傍らに寄り添っていてほしい」

俺の言葉に藤は激しく咽び泣いてしまい、返事は聞けなかった。
だが、小さく震えながら遠慮がちに纏ってくる手が答えのような気がした。



月は磨り減り、薄く尖ってやがて新月となり無くなる。
けれど月はまた満ちていくのだ。



END.

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